はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 047 (修正版)

2016-01-27 15:11:00 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

人の身は、気を以て生の源、命の主とす。故に養生をよくする人は、常に元気を惜みてへらさず。静にしては元気をたもち、動ゐては元気をめぐらす。たもつとめぐらすと、二の者そなはらざれば、気を養ひがたし。動静其時を失はず、是気を養ふの道なり。

もし大風雨と雷はなはだしくば、天の威をおそれて、夜といへどもかならずおき、衣服をあらためて坐すべし。臥すべからず。

客となつて昼より他席にあらば、薄暮より前に帰るべし。夜までかたれば主客ともに労す。久しく滞座すべからず。

(解説)

 その昔、孔子は斎衰の喪服を着た人や礼楽に関係する人に遇った時、盛大なもてなしを受けた時、そして「迅雷風烈」、「大風雨と雷はなはだし」時には必ず顔色衣服を正し、態度を改め、敬意を表しました。そのことを「迅雷風烈には必ず変ず」と言い、それは『論語』郷黨に記されています。

 伝統的に中国には天に対する信仰がありました。人民を支配する者は天子であり、祭礼により天の声を聴き、天に代わって人々を導くという建前があったのです。それ故、王は人々の上に立てるのであり、もし干ばつや洪水や地震などの自然災害、大規模な飢饉で人々が苦しめば、それは王が適切に政治していない、天子としての役割をしていない、天に認められていないということで、首をすげ替えられてもおかしくなかったのです。天には人々の倫理道義に反した行動に対して天罰を与える力があるとも信じられていました。

 『孟子』離婁上には、「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とあるように、天に従うことは天下の平和を目的とする儒者にとって重要なことです。『左伝』文公十五年には、「詩に曰く、天の威を畏れて、時に之を保つ」とあり、嵐でも地震でも洪水でも一たびそれらが起れば、人間は全く無力なものです。

 『書経』太甲には、古代中国の名宰相、伊尹の言葉が残されています。

「先に奉ずるには孝を思い、下に接するには恭を思い、遠きを視るには明を惟い、徳を聞くには聡を惟え。・・・、・・・天には親なし、克く敬するを惟れ親しむ」

 天は家系や血統などを親しむことはなく、ただ敬いの心を持っている人を親しむのです。孔子の行動にも、益軒の言葉の裏にもそんな意味が隠されているのです。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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