おでかけ大好き

お金のかからないおでかけ&ささやかな幸せ&読書など。毎日楽しいことばかりだといいのにな。

文通

2015-06-21 06:43:59 | 日々喃々
最近、文通を少しだけ復活。

私の学生時代は携帯もなく、下宿先に自分専用の電話を持ってる人も少なく、

連絡はもっぱら文通だった。

手紙が間に合わず、友人の誕生日祝いに、電報を送ったことも。

テスト前情報の連絡網なんて、夜中に歩いて伝えに行ったこともある。

そんな昭和情報暗黒時代は人と繋がってないのが当たり前だったし、

他人が今していることもわからないので、

他人と比較して、今寂しいなんて思わなかったな。

だから、友だちと会えば話すことも聞きたいこともいっぱい。

友人と話をするために学校に行き、

楽しくもめんどくさい友人付き合いとは家では繋がってなくて楽。

昭和よかった。

あれ?そう文通。

一時期、きれいな包装紙で封筒を手作りしていたこともある、暇人。

貧乏性?

友だちがくれた安倍川餅の包装紙の封筒が、

インパクトあって楽しかったのを、真似したんだった。

リサイクルという言葉もなかったが、先進的。

電話やメールが普及しても、数人の友人とは細々と文通を続けていたな。

こどもが赤ちゃんで、空き時間も不規則、ひきこもりがちで話相手もおらず、でも不満たっぷりだったころ。

同じ境遇の友達と。

親しい友人に、日々の出来事や思ったこと、読んだ本なんかを少し客観視して。

答えが欲しいわけではない、読んで共感してくれると信じる人がいればよし。

でも、出してしばらくは、ポストをあける楽しみも。

春休みにあった友人とも長らく文通友人で、しかししばらく連絡もご無沙汰で。

「ポストを開けて手書きの手紙があるとすごく嬉しいよね」と。

友人、一人暮らし再開で寂しくなるというので、文通も再開。

再会を機に再開。

まだ数回のシロヤギクロヤギ文通。

また途切れたり、始まったりしながらでいいかも。

手紙は書くのにすごく時間がかかるし、手直しもあまりできないので、意味不明だったり、

長くなりすぎたり、短かったり。

開き直りがないと。

でもなんか書いたあと、でたーっ的にすっきりするよ。作家の気分を味わうなぁ。

やっぱり手紙を嬉しいと思って、返事を書ける相手でないと負担になりそうだし、

相手を選ぶかもしれないけど、

たまにの手紙で繋がっているようなゆる~い友人関係こそ、

長く続くのではないかな。

手紙のなかでは、最近読んだ本のなかで、心に残ったことを書くことも多いかな。

たいてい文通友達は、読書家だし、今どんな本に感心があるかで、近況がわかる気もするしね。

だから、本読まないと、手紙も書けないという、本末転倒(笑)

最近、本読んでないなぁという前振りのつもりが、本文になってしまった。

本末転倒すぎる。









愛を叫ぶ

2015-06-21 06:16:03 | 日々喃々


田んぼの中の道をこどもたちが帰宅するのを見るのが好き。

田舎だから遠くからでも、でっかい声で

「カッパくん、おかえり~」と叫ぶ。

田舎の中心で愛を叫ぶ。

本人を目の前にしてはできない満面の笑顔で。

大きく手を振って。

リアクションするまで叫ばれ続けるので、こどもたちも手を振り返してくる。

嬉しくなくもないって顔?


友だちと楽しげに出かけていく後ろ姿も好き。

お母さんより大事なものがあるのね。と、嬉しいような寂しいような。


近くにいるとほっとけないので、手の届かない少し離れたところで一部分だけ見てるくらいがちょうどいい感じ。

世界一幸せになってほしいけど、彼らの人生の主人公は彼らで、

観客のひとりの母は、共感して一喜一憂、喜怒哀楽するだけ。

本人のためと思っても、ゆく道を変えることはできないのかも。

と、友人相手ならそう割り切れるのにね。

親子がどこまで関わるか、不幸でない親子関係でいるのは、

永遠の課題だぁ。

せめて、おかえりなさーいと、いってらっしゃーいくらいは、

気持ちよく叫ばせてもらうからな。(俺様ジャイアン?)