7月2日(水)
オレの日記、見てくれてんだか見てくれてないんだか、気にしてもらってんだか無視してんだか、面白いんだかつまんないんだか、じぇんじぇん分かりましぇん。
ま、自分の日記なんで、見てもらえなくてもさほど気にはなりませんが、気になるのは勝手に書いた文章やら写真が、人様を傷付けていやしないかという点のみであります。。
けっこう思い付きで、しかも夜中書く時は殆んど酔っ払って書いております。
きっと、そんなつもりじゃなくても、友人や後輩などには(時には先輩にも)洒落を効かせたつもりが悪口ととられるような書き方もしているかもしれません。
そういう点だけは気をつけないといかんなと思うのであります。
もし「人権蹂躙だ!」「差別だ!」「エロだ!」「セクハラだ!」「猥褻だ!」「誇大広告ジャロ?」等々、そう思いましたらコメントもしくはメール、電話、FAX、手紙、宅配、電報、飛脚、伝書鳩、糸電話、耳打ち、言づけ、交換日記、なんでも結構です。放っておいてください。いや、ぜひともお知らせくださいな。
でも、脈略もなく「バカだたわけだ」という無記名の嫌がらせの罵詈雑言とか、全く記事に無関係のエロ系の吊りコメントには、無条件で削除させてもらっていますので、あしからず。
と言ったところで最近、な~んにも反応なし。シ~ン。
コメントくれたの最近約1~2名の知り合いのみだし。
そこはそれでね、ありがとさーん!!だけど。
「絡みにくい」そんなキャラのオレなんだし。と。へへへ。
サテ、住みにくいこの世の中。
オレ、またまた転勤いたしまして、7月から長距離通勤を余儀なくされております。
朝晩、2時間以上の道のりを電車と歩きで職場まで通い始めております。
毎日が睡眠不足と疲労との戦いとなりまして、音楽のブログなんて書いていられるか~!ってなもんですけど、こうなりゃ実はこれだけが生きる望み。
何が悲しいかって、趣味つうかライフワークの音楽を辞めなきゃいけない時だけが悲しいワケでして、それはすなわち死を意味するものであります。
生きている限り、動ける限り、ワシャ音楽を辞めるつもりはありましぇん。
ですから、亡くなる寸前まで歌い続けギターを弾き続けた永遠のギター小僧“ギブソン太郎”小林さんの魂を、オレ達後輩達は踏襲しなくちゃいかんのであります。
これは、小林さんの天から後輩達への声だと思います。
そんなことをライブを通じて思ったわけであります。
今回、オレは25年ぶりぐらいにPPFとして、メンバーの一員として演奏させてもらいました。
今回はドラムではなく、パーカッションとしてであります。
心の友わっつーこと“渡辺昌裕”の死以来遠ざかっていたパーカッションの世界ですが、今回の小林さんのトリビュートライブでの演奏は、オレのパーカス人生、いや生まれて初めてかもしれないというぐらい、楽しい演奏ができました。
お客さんの反応に、確かなものを感じたオレは、何となく、自分にはまだまだ可能性というか、ひょっとして人様に喜んでもらえる「タラント」が残っているかも知れない。などと、図々しい思いを持ったものであります。
書いていて恥ずかしいですけど、皆さんは「バカじゃん」って思ってくだされば結構です。
つーわけで、PPFの次回のライブからは、こんなもんですがメンバーとしてパーカッションを担当させていただきたいなと思うちょります。
実はライブの後、キーボードの吉田さんと話をして、次回のライブには吉田さんと一緒に参加しましょうと、固い握手と約束を交わしたのであります。
吉田さんは、自分とほぼ同じ時代にPPFの正式メンバーだったのですが、自分が辞めてから、しばらくして脱退しておられたのでした。
それから、1月に小林さんの訃報を聞いて葬儀の日に何十年ぶりにご一緒したのですが、その際ポツリと「小林が生きている時にもう一度演奏したかったなあ・・・」とつぶやいておられたのがとても印象深くて悲しかったのでした。
そんな吉田さんとも一緒に演奏をさせていただき、「次もゼヒ!」という気持ちになったのは自然な形でした。
演奏終了後、タカヒロ氏から「これからも一緒にやってよ」なんて言われて、正直思わず身が引き締まる気持ちになりました。
細野さんも、「仕方ないなあ、許してやるか。むひひひひ」などと意味深な笑いをくださいました。
というわけで、オレのパーカッション生活はもうちょい続きそうです。へへへ。
普段の生活は厳しく辛いけど、これさえあれば生きて行ける。
そんな気がする今なのであります。
独り言のよう日記、失礼しました。
オレの日記、見てくれてんだか見てくれてないんだか、気にしてもらってんだか無視してんだか、面白いんだかつまんないんだか、じぇんじぇん分かりましぇん。
ま、自分の日記なんで、見てもらえなくてもさほど気にはなりませんが、気になるのは勝手に書いた文章やら写真が、人様を傷付けていやしないかという点のみであります。。
けっこう思い付きで、しかも夜中書く時は殆んど酔っ払って書いております。
きっと、そんなつもりじゃなくても、友人や後輩などには(時には先輩にも)洒落を効かせたつもりが悪口ととられるような書き方もしているかもしれません。
そういう点だけは気をつけないといかんなと思うのであります。
もし「人権蹂躙だ!」「差別だ!」「エロだ!」「セクハラだ!」「猥褻だ!」「誇大広告ジャロ?」等々、そう思いましたらコメントもしくはメール、電話、FAX、手紙、宅配、電報、飛脚、伝書鳩、糸電話、耳打ち、言づけ、交換日記、なんでも結構です。放っておいてください。いや、ぜひともお知らせくださいな。
でも、脈略もなく「バカだたわけだ」という無記名の嫌がらせの罵詈雑言とか、全く記事に無関係のエロ系の吊りコメントには、無条件で削除させてもらっていますので、あしからず。
と言ったところで最近、な~んにも反応なし。シ~ン。
コメントくれたの最近約1~2名の知り合いのみだし。
そこはそれでね、ありがとさーん!!だけど。
「絡みにくい」そんなキャラのオレなんだし。と。へへへ。
サテ、住みにくいこの世の中。
オレ、またまた転勤いたしまして、7月から長距離通勤を余儀なくされております。
朝晩、2時間以上の道のりを電車と歩きで職場まで通い始めております。
毎日が睡眠不足と疲労との戦いとなりまして、音楽のブログなんて書いていられるか~!ってなもんですけど、こうなりゃ実はこれだけが生きる望み。
何が悲しいかって、趣味つうかライフワークの音楽を辞めなきゃいけない時だけが悲しいワケでして、それはすなわち死を意味するものであります。
生きている限り、動ける限り、ワシャ音楽を辞めるつもりはありましぇん。
ですから、亡くなる寸前まで歌い続けギターを弾き続けた永遠のギター小僧“ギブソン太郎”小林さんの魂を、オレ達後輩達は踏襲しなくちゃいかんのであります。
これは、小林さんの天から後輩達への声だと思います。
そんなことをライブを通じて思ったわけであります。
今回、オレは25年ぶりぐらいにPPFとして、メンバーの一員として演奏させてもらいました。
今回はドラムではなく、パーカッションとしてであります。
心の友わっつーこと“渡辺昌裕”の死以来遠ざかっていたパーカッションの世界ですが、今回の小林さんのトリビュートライブでの演奏は、オレのパーカス人生、いや生まれて初めてかもしれないというぐらい、楽しい演奏ができました。
お客さんの反応に、確かなものを感じたオレは、何となく、自分にはまだまだ可能性というか、ひょっとして人様に喜んでもらえる「タラント」が残っているかも知れない。などと、図々しい思いを持ったものであります。
書いていて恥ずかしいですけど、皆さんは「バカじゃん」って思ってくだされば結構です。
つーわけで、PPFの次回のライブからは、こんなもんですがメンバーとしてパーカッションを担当させていただきたいなと思うちょります。
実はライブの後、キーボードの吉田さんと話をして、次回のライブには吉田さんと一緒に参加しましょうと、固い握手と約束を交わしたのであります。
吉田さんは、自分とほぼ同じ時代にPPFの正式メンバーだったのですが、自分が辞めてから、しばらくして脱退しておられたのでした。
それから、1月に小林さんの訃報を聞いて葬儀の日に何十年ぶりにご一緒したのですが、その際ポツリと「小林が生きている時にもう一度演奏したかったなあ・・・」とつぶやいておられたのがとても印象深くて悲しかったのでした。
そんな吉田さんとも一緒に演奏をさせていただき、「次もゼヒ!」という気持ちになったのは自然な形でした。
演奏終了後、タカヒロ氏から「これからも一緒にやってよ」なんて言われて、正直思わず身が引き締まる気持ちになりました。
細野さんも、「仕方ないなあ、許してやるか。むひひひひ」などと意味深な笑いをくださいました。
というわけで、オレのパーカッション生活はもうちょい続きそうです。へへへ。
普段の生活は厳しく辛いけど、これさえあれば生きて行ける。
そんな気がする今なのであります。
独り言のよう日記、失礼しました。