駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

従姉の死

2012年03月05日 | 駄日記
3月5日(月)
週明けでたまった仕事に追われていて、それでもそろそろ終業時間に近づいたころ、姉より連絡が入った。
一歳年上の従姉(女のいとこ)が亡くなったという。
昨夜、具合が悪いということを聞いて、見舞いに行こうか行かまいか、と迷っていたところだった。
何となく嫌な予感はしていたのだけど、万が一の時のために携帯をチェックできるようにしておいたのだけど、あまりの早さに驚いた。
小さい頃はよく遊んだ従姉だけれど、大人になってからは長いこと東京で自由気ままに一人暮らしをしていて実家にも滅多に帰らなかったらしい。
ここ数年はどういうわけか浜松に帰っていたのだけど、相手が独身の女性ということもあり、オレは殆んど会うこともなかった。
彼女は、去年、病気が発覚して療養していたが、「誰にも言わないで」という本人の強い希望で、家族以外誰にも病気を伏せていたのだという。
でも先週、いよいよ病状が思わしくなくなり、小さいころから仲の良かった、オレの姉に会いたいと言って、初めて姉のところへ連絡をよこしたそうだ。
会いにに行ってきた姉は、「そんなに遠くない将来のため」に、家系の長男のオレに連絡してくれて、「本人は見舞いは望んではいないけど、一応伝えておく」という微妙なニュアンスで電話を切った。
本人が「会いたくない」と言っているのに見舞いに行くのはどうか、でも、このままその時が来た時に後悔しないか、など葛藤していたのだが、それもこの瞬間に終わってしまった。
オレは、仕事を出来るだけすばやく片付けて、早退することにして、急いで帰宅した。
いつもより1時間早く帰宅して、その足でクルマに乗って父の実家だった浜松へ向かった。
到着すると姉は先に着いており、親戚の伯父さん伯母さんたちは、葬儀の日程などを相談していた。
そのうち、連絡しておいた妹や、他のいとこたちも集まってきた。

従姉は、病院から帰っており、真っ白な布団に横たわっていた。
もう動くこともない従姉だが、化粧をしてきれいな顔をしていて今にも動きだしそうでもあり、しかし、闘病で髪の毛が抜け落ちたらしく、毛糸の帽子を被っていて、やはり痛々しさも感じる寝姿であった。
伯母が、時折、涙をぬぐいながら今までのいきさつを話してくれて、病院に通いながらも病気が発覚しなかった当初の病院の対応や、それからの約1年間の苦しい闘病生活を明かしてくれたが、何はともあれ人手不足に逼迫する地方の医療界での限界を感じ、聞いていても胸が痛むばかりである。
それにしても、今日会いに行ってやはりよかった。
本人の希望により、通夜式や告別式は行わず、家族のみの密葬とのことだが、その時にまた会いに来ることにして、帰路に就いた。
彼女の人生は、幸せだったのかどうか、本人の気持ちは知る由もないが、こればかりは本人しか分からないことだ。
基本、自由な彼女に「お前の知ったこっちゃないよ」って言われると思うので、オレは考えないことにした。
コメント
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