当初、女郎山(小松崎?)辺りからの風景を撮りたかったのですが、車で行けるとこではありませんね。この辺りは、住宅街(塩竃の坂はどこもですが)・・・
結果行き着いた先はここでした。
塩竃市立第二小学校
千賀の浦を望めば東北ドック(造船所)も見えます。
この辺の道は狭いですね。 塩竃の一番の問題点ですね。怖いのは火事の時に消防車が近くまで行くが大変ですね。
地図で気になっていた梅の宮神社が近くにあったので、覘いて来ました。
残念ながら狛犬はいませんでした。
石が祀られていますが、詳しいことはまだ調べていません。隣の写真は神明社の鳥居
祠を囲っているようですが、物置に見えました(失礼!)
この神社については、詳しいいことが分かりませんでした。すみません。
女郎山からの写真のようです。宮町~北浜の景色でしょうか? 昭和10年です
稲荷下通り・・・昭和10年 あの白い鉄筋コンクリートの建物はどこでしょう。
昭和32年 本町通り
昭和32年釜の前・・・・・ですからお釜神社の前辺りですかね。
引用した本の名前をメモするの忘れました。図書館に行って見てきます。
本日は、この辺で・・・
結果行き着いた先はここでした。
塩竃市立第二小学校
千賀の浦を望めば東北ドック(造船所)も見えます。
この辺の道は狭いですね。 塩竃の一番の問題点ですね。怖いのは火事の時に消防車が近くまで行くが大変ですね。
地図で気になっていた梅の宮神社が近くにあったので、覘いて来ました。
残念ながら狛犬はいませんでした。
石が祀られていますが、詳しいことはまだ調べていません。隣の写真は神明社の鳥居
祠を囲っているようですが、物置に見えました(失礼!)
この神社については、詳しいいことが分かりませんでした。すみません。
女郎山からの写真のようです。宮町~北浜の景色でしょうか? 昭和10年です
稲荷下通り・・・昭和10年 あの白い鉄筋コンクリートの建物はどこでしょう。
昭和32年 本町通り
昭和32年釜の前・・・・・ですからお釜神社の前辺りですかね。
引用した本の名前をメモするの忘れました。図書館に行って見てきます。
本日は、この辺で・・・
気になりま~す (^^♪
遊郭らしき建物がまだ、残っているようですが、点在しておりどこに移動したかは、私は不明です。
地名の俗称からするとこの辺にあったのかも知れませんね。
昔、あった!と言う話も聞いたことがあります。
イイ景色ですわねぇ・・・しみじみ・・・
やっぱこれって日本の代表的な景色なのかなぁ~ええなぁ~
山も海もナイこのへんって・・・ つまんないっす(・_・、)
隣と直ぐ隣接してるような状態ですかね?
そうなると火災時は本当に怖いですね。
あの頃は本塩釜駅をはさんだ海岸通りとともに、周辺市町村では最も栄えた通りでしたよね。
日曜日になると、買う物がなくとも(てか買えないのか)毎週のようにブラブラしに出かけました。
「番ブラ」「銀ブラ」と同じ意味合いの街々でした。
昨今の寂れ方は時の流れとはいえ、尋常ではないです。
で、二小の辺りの事は、酔漢さんを待ちましょうか・・・
やはり、バランスが大事!
でも景色は最高です。
もっと酷いと、人の敷地を歩かせて貰うところも…
火事になったら消防車が入りません。
やばいです。
昔は、今野屋もあったし買い物は塩釜でしたね。
昔の活気は戻らないのですかね。
海岸通りの店はシャッター通りですよ。
酔漢一味のテリトリーでございました。
梅の宮神社では悪さばかりしておりました(笑)
その所為ですか、父の車が不思議とこの神社の前でエンストするのでした。
ですが、故障ではありません。
バチ当たり?かなぁぁ。
懐かしい風景でもありますが、ひー様後ろを振り返れば、酔漢宅でございました。
消防車のサイレンは119番通報からすぐ聞こえてくるのですが、なかなか到着しないのです。
焦りまくりでした。(汗・汗)