十八夜観世音堂
平成20年9月10日 河北新報より
仙台市太白区長町一丁目の十八夜観世音堂の「菩薩立像」が、八世紀後期ごろの奈良時代に造られた仏像の可能性が高いことが九日、東北大と市博物館の調査で分かった。
大和朝廷があった近畿で発祥した針葉樹の一本造りで東北に現存する最古の木彫り像とみられる。
観世音の半径2キロには、東北最古の役所「郡山官衛(かんが)」や官衛に付属する「郡山廃寺」「陸奥国分寺」といった遺跡群がある。
菩薩立像が仙台で造られたかどうかは不明だが、東北の古代史を解明する上で貴重な調査結果といえそうだ。
菩薩立像は、言い伝えなどから、慈覚大師円仁が835年ごろに造ったとされた。
しかし詳細な年代調査はされていない・・・・他、以下省略。
東北の有名なお寺は、慈覚大師円仁が多いのですが、やはりここもそのようですね。
この記事が出た時に、記事をスクラップしていたのです。
いつも目の前にしていたのですが、本日やっと覘いてきました。
5月31日の記事、永町橋と橋姫明神社で人柱になった女性がお参りしたお堂ですね。
地元では、「おかんのんさん」
歴史は古く天台寺門派による11世紀半ばの開基とされています。
当初は根岸にありましたが、1697年伊達家の菩提寺として大年寺の建立により、長町宿の鬼門に当たる現在地に鬼門除けとして移されました。
十八夜観音の名は旧暦の18日の夜の月待ちの講が開かれたことに由来します。
講は女が中心の宴会ないしは、おしゃべりを楽しむ息抜きの場だったようです。
こんな講なら楽しいですね。
お隣には・・・・・・
覗いてみました。 お稲荷さん? 観音様も・・・
天満宮じゃなくても牛はいますね。
次は、塩釜の記事です。
平成20年9月10日 河北新報より
仙台市太白区長町一丁目の十八夜観世音堂の「菩薩立像」が、八世紀後期ごろの奈良時代に造られた仏像の可能性が高いことが九日、東北大と市博物館の調査で分かった。
大和朝廷があった近畿で発祥した針葉樹の一本造りで東北に現存する最古の木彫り像とみられる。
観世音の半径2キロには、東北最古の役所「郡山官衛(かんが)」や官衛に付属する「郡山廃寺」「陸奥国分寺」といった遺跡群がある。
菩薩立像が仙台で造られたかどうかは不明だが、東北の古代史を解明する上で貴重な調査結果といえそうだ。
菩薩立像は、言い伝えなどから、慈覚大師円仁が835年ごろに造ったとされた。
しかし詳細な年代調査はされていない・・・・他、以下省略。
東北の有名なお寺は、慈覚大師円仁が多いのですが、やはりここもそのようですね。
この記事が出た時に、記事をスクラップしていたのです。
いつも目の前にしていたのですが、本日やっと覘いてきました。
5月31日の記事、永町橋と橋姫明神社で人柱になった女性がお参りしたお堂ですね。
地元では、「おかんのんさん」
歴史は古く天台寺門派による11世紀半ばの開基とされています。
当初は根岸にありましたが、1697年伊達家の菩提寺として大年寺の建立により、長町宿の鬼門に当たる現在地に鬼門除けとして移されました。
十八夜観音の名は旧暦の18日の夜の月待ちの講が開かれたことに由来します。
講は女が中心の宴会ないしは、おしゃべりを楽しむ息抜きの場だったようです。
こんな講なら楽しいですね。
お隣には・・・・・・
覗いてみました。 お稲荷さん? 観音様も・・・
天満宮じゃなくても牛はいますね。
次は、塩釜の記事です。
鬼瓦ほんまに恐い!
下の柔和なモーさんとの対比が面白い。
講、娯楽が少ない時代の楽しみだったんでしょうね。
お稲荷様と観音様、神仏習合の名残でしょうね。
知らなかったので・・・・
庚申とは干支(えと) 即ち、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、この夜に人間の体の中にいる三尸の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く。天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。ところが、三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は、徹夜をする、これを庚申待ちという。
サンキューベルマッチョ!
あーさんの夜更かしも、若者に負けませんねww
お早いですね。
昨日は寝るのが遅かったのですが、普段の習慣で5時には、起きてしまうのです。
どこにでもありそうなちっぽけなお堂だと思いきや・・・・隠れた歴史は分からないものですね。
地理や地学、気象といった学問が確立されていなかったのに、何ゆえ選ばれたのでしょうか?
永らく住み続けてきた人々の、伝承に基づく「土地の選択」なのでしょうがね。
武蔵国の国分寺は文字通り国分寺市にあり、近現代の江戸東京の中心地からは、だいぶ離れています。
世が世なら多摩地区が日本の中心になっていたかも知れませんね・・・
「おかんのんさん」がマンションに囲まれている風景は、少々息苦しくなってしまいます。
菩薩様も暮らしにくい時世を感じていることでしょう。
何故でしょうね?
白河の関や勿来の関、安宅関から北部はいわゆる道なき道の奥の細道的な感覚・・
しかし、それ以前には都人があこがれる塩竃の存在・・・不思議ですね。
やはりこの辺は仙台平野・・大崎平野の平坦な地や太平洋の存在もかかわって来たのでしょう。
顔の輪郭が無くなってきていますねぇ~
造られた当初は素晴らしかったのでしょうね
輪郭がはっきりした修正って出来ないのかしら・・・
日当たりが悪そうで何だか可哀相に・・。
直ぐ後ろにもマンションですね。
牛が酔っ払い人に見えて夜、ちょっと怖いかも・・?
お見受けしましたが
やっぱり歴史があるって
羨ましくも素晴らしい
\(^o^)/
観音様も窮屈でしょうが、マンション住民の方々はどんな気持ちなのかなって思います。
お稲荷さんのお隣に家を建てた友人が、2階から見下ろすのが申し訳なくてと言ってましたが…