気になっていた蒲生干潟をやっと訪れることが出来ました。
仙台新港の横から蒲生の町に入って行きました。
いや、正確には町だった所・・・・になってしまいました。
悔しいですね~ 3.11の大地震と津波は、次々と私の想い出の地を消して行きます。
正直見たく無い!と言う思いが私の足を止めていたのかもしれません。
この地は、私の祖母(母方)の生まれた地です。つまり私のルーツなのです。
小学生の時、母の実家に泊まり寝床につくと遠くの方から波の音が聞こえたものです。
婆ちゃんから「豆腐買って来い!」と言われると、親戚の子と一緒にここにあった養殖場の鯉にいたずらしながら用足しをしたものです。
狭い道路に密集していた住宅は、一軒もありませんでした。
車を止め、ぐるっと見渡しますが、何もないのです。
近年建てられた工場もかなり傷んでいます。
自分の家を見に来たのでしょう。 みんな呆然としています。
確かここだったよなぁ・・・と思いましたが、確認できず。
やはり見にきていた地元のおじさんに「日和山はどこでしたかね?」と聞いたら・・・
「なんだや、ここだっちゃ!」・・・なんと自分が立っていた場所が日和山だったのです。
「えっ!んだっちゃね」 ハァ~! 愕然としました。
影も形も無いのですから・・・・
2008年7月30日に訪れ記事にUPしたものがありますので比較して下さい。
元祖日本一低い山
場面右側の工場は鉄骨だけでした。
基礎だけ残る住宅地
2008年の日和山
現在の日和山
これじゃわかりませんよね。
干潟の様子です・・・・
2008年の干潟
現在の干潟 遠くにある砂地だけが残っています。
2008年仙台港方面
看板の後ろに家が見えますが、流されてしまっているのがわかりますね。
後ろの養殖場の池を見ると下の神社の写真の背景にある池と同じ場所であることがわかります。
2008年 あの時、隣に神社がありました。
画面右隅に鳥居が・・・
同じ鳥居ですね。
正面の干潟の中央にあったのはコンテナです。 仙台港の埠頭から流されたのでしょう。
夏日の今日、さわやかな海風が気持ち良かったのですが、目に入る光景は残酷なものでした。
我が家を訪ねて、その敷地に立ち尽くし肩を落としている人にカメラを向けることは出来ませんでした。
悔しくて涙が止まりません。
この砂浜に草が生えてくれば、また野鳥が戻って来るかも知れませんね。
今更、こんな記事を書いていますが、やはり記録しておこうと思い震災記事だけの目次をHPにしたいと考えています。
もううんざりだと思いますが、ご了承下さい。
仙台新港の横から蒲生の町に入って行きました。
いや、正確には町だった所・・・・になってしまいました。
悔しいですね~ 3.11の大地震と津波は、次々と私の想い出の地を消して行きます。
正直見たく無い!と言う思いが私の足を止めていたのかもしれません。
この地は、私の祖母(母方)の生まれた地です。つまり私のルーツなのです。
小学生の時、母の実家に泊まり寝床につくと遠くの方から波の音が聞こえたものです。
婆ちゃんから「豆腐買って来い!」と言われると、親戚の子と一緒にここにあった養殖場の鯉にいたずらしながら用足しをしたものです。
狭い道路に密集していた住宅は、一軒もありませんでした。
車を止め、ぐるっと見渡しますが、何もないのです。
近年建てられた工場もかなり傷んでいます。
自分の家を見に来たのでしょう。 みんな呆然としています。
確かここだったよなぁ・・・と思いましたが、確認できず。
やはり見にきていた地元のおじさんに「日和山はどこでしたかね?」と聞いたら・・・
「なんだや、ここだっちゃ!」・・・なんと自分が立っていた場所が日和山だったのです。
「えっ!んだっちゃね」 ハァ~! 愕然としました。
影も形も無いのですから・・・・
2008年7月30日に訪れ記事にUPしたものがありますので比較して下さい。
元祖日本一低い山
場面右側の工場は鉄骨だけでした。
基礎だけ残る住宅地
2008年の日和山
現在の日和山
これじゃわかりませんよね。
干潟の様子です・・・・
2008年の干潟
現在の干潟 遠くにある砂地だけが残っています。
2008年仙台港方面
看板の後ろに家が見えますが、流されてしまっているのがわかりますね。
後ろの養殖場の池を見ると下の神社の写真の背景にある池と同じ場所であることがわかります。
2008年 あの時、隣に神社がありました。
画面右隅に鳥居が・・・
同じ鳥居ですね。
正面の干潟の中央にあったのはコンテナです。 仙台港の埠頭から流されたのでしょう。
夏日の今日、さわやかな海風が気持ち良かったのですが、目に入る光景は残酷なものでした。
我が家を訪ねて、その敷地に立ち尽くし肩を落としている人にカメラを向けることは出来ませんでした。
悔しくて涙が止まりません。
この砂浜に草が生えてくれば、また野鳥が戻って来るかも知れませんね。
今更、こんな記事を書いていますが、やはり記録しておこうと思い震災記事だけの目次をHPにしたいと考えています。
もううんざりだと思いますが、ご了承下さい。
自然の脅威 まざまざと・・・・
あぁ 神も仏もないのかっ!!!
国土地理院のサイト(http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-ok/photo/photo_dj/index.html)で見ったげんと
なんだもねっちゃねぇ~~
オラも両親が新婚時代を仙台新港高松航路に沈んだ中野赤松で過ごした関係で
あの辺りは馴染深いんだでば…
塩竈実家には池がありまして、鯉を飼っておりました。
車で父と一緒に鯉を買いに行った記憶がございます。
昭和47年頃。父の愛車はカローラでした。
大きな池の真ん中にグルグル回っている水車のようなものを覚えています。
蒲生だったのですね。
場所の記憶があいまいでした。
新聞では分からない場所の様子を知ることができました。
トラバお願いします。
開発ばかりするなよ・・・と。
隣の画像と連動して見れないのが残念ですね。
Googleで見たら、豆腐屋の位置が書いてありましたよ。初めて知った。
航空写真を見るとどこがどこなのか、しばらく考えないと理解できませんでした。
次は多賀城の八幡神社に行きました。
遠くにいると 実態がわからないですよ
引越しされたとのことで
荷物が着いて安心しました
全然何も無くなって
全てが洗い流されてしまって言葉に言い表せません・・・・
人は無い物からまた生み出してくれるでしょう
力を落とさず頑張ってくれると思います
しかし・・
本当に何も無くなってしまって驚きですね
日本で一番低い山の日和山が無くなって・・
自然の脅威の凄さが・・
唖然といいようがないです
ショックなんですよ。この風景・・・
「記録をしなければ」とまとめています。
陸に1キロ入っても大きな被害ですからどうしようも無いですね。