ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

先代旧事本紀大成経と鹽竈神社の祭神

2018年11月19日 17時06分26秒 | 古代史
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)「さきつよのふるごとのみことのりおおいなるおしえ」

この書は、先代旧事本紀を基に江戸時代に作られたと推測され偽書とされている。
しかし、先代旧事本紀は近年の研究により後世付け足された序文以外の価値は再評価されている。という
古語拾遺に似ている文があったりするためどっちが先か? と突っ込みどころがいくつかあっての偽書説でもある。
この本は一部の大学の図書館や国立図書館などにしかなく、出版された本を買おうと思ってもAmazonでも先代旧事本紀大成経―鷦鷯伝は48.400円もする。 何故偽書なのか・・・・下記の事件を読んで欲しい。

先代旧事本紀大成経事件

延宝7年(1679)、江戸の書店で『先代旧事本紀大成経』(七十二巻本)と呼ばれる書物が発見された。
この大成経の内容が公開されると大きな話題となり、学者や神職、僧侶の間で広く読まれるようになる。

大成経の内容は伊勢神宮別宮の伊雑宮の神職が主張していた、伊雑宮が日神を祀る社であり内宮・外宮は星神・月神を祀るものであるという説を裏づけるようなものであることがわかり、内宮・外宮の神職がこの書の内容について幕府に詮議を求めた。

天和元年(1681)、幕府は大成経を偽書と断定し、江戸の版元「戸嶋惣兵衛」、書店にこの書物を持ち込んだ神道家・永野采女と僧 ・潮音道海、偽作を依頼したとされた伊雑宮の神職らを処罰した。


伊雑宮事件

この事件に先立つ20年前に、「伊雑宮事件」が起きていた。
伊雑宮の神職たちは所領回復のために明暦四年(1658)、「伊雑宮こそが日本最初の宮で、のちに内宮ができ、次いで外宮が鎮座したので、内宮、外宮は伊雑宮の分家である」という「伊勢三宮説」であると主張し、再建願いを出した。

これをうけ、もともと十別宮のひとつである伊雑宮のことなど歯牙にもかけていなかった伊勢内宮としても、皇祖、天照大神鎮座社の地位を奪われかねない事態の発生を 看過してはいられなくなった。
元号は変わっても同じ年の万治元年(1758)、内宮はその上申書に添えられた証拠の神書を偽作と訴えて反撃に出た。

そして結局、朝廷によって、伊雑宮は内宮の別宮で、祭神は伊射波登美命と裁定された。
その結果として、寛文二年(1662)、幕府は伊雑宮を内宮別宮の一つとして再建することにした。
しかし、伊雑宮の神職たちにとってそれは承伏できないことであった。
四代将軍、家綱に直訴したところ、寛文三年(1663)、神官四十七人の神人が偽書提出によって、伊勢・志摩からの追放処分の憂き目にあった。


大成経は、偽書と断定され今日まで来ているが、詰めていくと日本書紀の記述内容の論争に行き着く。 いわゆる宗旨(しゅうし)の争いなのである。
(つまり、宗門の信仰内容の考え方)

伊雑宮

宗像大社と伊勢神宮別宮の伊雑宮との関係

伊雑宮では天照大神荒御魂は瀬織津姫と同一神としている。
また瀬織津姫は弁財天や宗像三女神の一柱の市杵島姫と同一神とされる。
さらに一歩進んで、宗像三女神の三柱まとめて天照大神荒御魂と同一神とも考えられる。

伊勢神宮、宗像大社は太陽、月、星を祀っているという。

簡単に言うと伊勢神宮は天孫族系・・・・・秦氏系で様々な神社を天孫族系に変えてきた。 秦氏は秦の始皇帝の末裔といいますか流れをくむ渡来人とされている(不明)
天孫族系は「天つ神」で物部や出雲系が「国つ神」つまり出雲系は天孫族に国譲りという形で乗っ取られた側。
何度も言っている通り勝者は敗者の記録を抹殺する。と同じですね。  江戸時代でも明治でも国は伊勢神宮の意見を尊重するでしょう。
先代旧事本紀は物部や出雲家の歴史書です。ですから抹殺される理由はありますね。


偽書かそうでないかは、専門家に任せとおきまして。

本題ですが、なぜこの本を読みたかったかと言いますと「龍神よ、我に来たれ」吉田大洋著を以前にも読んでいたのですが、以前は気付いていなかったのですが、鹽竈神社の祭神について記されていた。

しかし、吉田大洋氏は昭和10年満州生まれで時代がちょっと古いので「東日流外三郡誌」がまだ偽書であることを知らず引用している部分がありますので、そこはできるだけ省きます。

219~221ページの引用です。

神武天皇と一戦を交えたトミのナガスネ彦は、逆賊とされました。祭神とされるようなことはない、と考えるのがふつうでしょう。
ところがあったのです。昨年の夏、石見の仁摩で吾郷清彦さんにお逢いしたときのことです。
のっけから、こう言われました。
「塩竈神社(宮城県塩釜市一森山)の祭神を知っているかね」 「一般には、主神がシオヅチの神、福伸がタケミカヅチの神とフツヌシの神とされていますが・・・・・」
「いや違うナガスネ彦なんだよ」 「えっ、本当ですか」

宮東斎臣訳の『先代旧事本紀大成経』(三十巻本)を手にする機会がありました。

(八日)長髄彦は(天孫族に)襲われて大倭国を棄て、陸奥国に往きし故に中国(やまと)は順伏(まつろへ)り。
長髄彦神は、元火神の尸(みがち)に化(ち)る嶽山祗神の児として陸奥国に在り、塩を焼いて民に施し、后(のち)に椎櫻宮(神功皇后)の御代に、住吉神の催促に依て、韓(から)の軍の先に前(すすん)で能く数百の異神(あだしがみ)、怨(あだしき)ぞ撃ち玉えり。
其の長(たち)高く、其の力も強く、其の威も巍(おびただしく)、其の気も猛(はげし)かり故に、洲輪(すわ)【諏訪】の神と倶(とも)に軍船を司て功有り、仍って陸奥の鎮守と為し、今の塩釜神是なり。



江戸時代、当時の祭神にオオクニヌシの児・アジスキタカヒコネを当てたことがありました。
上記文章にも、「ナガスネ彦が諏訪神(タテミナカタ)と軍船を司り」と記され、ナガスネ彦が出雲神族系であることを暗示しています。
また、塩釜神社の神宝の塩釜は、出雲大社や神魂神社の御釜、諏訪神社の御神体の鎌と通じます。
鉄は出雲の象徴でした。
そして、鉄器を神宝とする神社は、例外なく出雲系です。
鹽竈神社の祭神は、竜神ナガスネ彦であるのに間違いありません。


こんな文があったので紹介しました。

海の神である鹽竈神社は龍神系で間違いないでしょう。 龍鳳丸もあることですし・・・・


鹽竈神社の不思議

ホームページコンテンツ









コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真極流柔術 | トップ | 亀岡八幡宮 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
車 寅次郎さんへ (ひー)
2018-11-23 14:13:18
問題は、古から偽書説があること、この文で偽書になった理由が分かるような? 
同じ偽書でも、作成時期が古い為検証が難しい。
今では、序文を除けば、信頼できるという意見もあります。
記事にもしましたが、「東日流外三郡誌」は昭和の偽書なので専門家にあばかれました。江戸時代の古文書だと云っていましたが、古紙を集めて書いたり和紙に尿をかけると古紙のようになることから、二階の部屋で偽作していたことがわかったのです。
返信する
凄い参考になります (車 寅次郎)
2018-11-22 10:53:09
ナガスネ彦=龍神かなりのパワー末裔伊達家?
霊力の相殺的役割に祓戸神の瀬織津姫
繋がる×2 鉄=出雲系東山道経由でですかね・・・・
謎が深まる妄想が止まりません。
返信する
りひとさんへ (ひー)
2018-11-20 21:23:59
ヤマトタケルと書いたあった刀剣をNHKかなんかで見た記憶があります。

事実の歴史を知りたいですね。
偽書が出るのは仕方がないと最近は考えています。
やはり、後世の人々に私たちの先祖はこのようにしていました・・・・と権力のあるものは誇りたいでしょう。
しかし、敗者は実はこうだったのです。とひそかに文書を残します。 でも、どちらも過剰に書き綴ります。
どちらもウソになります。
同じ日本の歴史を書いた書物なのに古事記と日本書紀は微妙に違ってきます。 
真実は一つなのに二分するのです。
そして後世の人は誰がが書いたのか知らないままに古文書を信じます。 悪い例が東日流外三郡誌です。
昭和の人間の作り話をみんな信じました。
それは古文書ですよと言われたまま面白い歴史の発想に喜んだ田舎の東北人です。
東北の人々は都へあこがれを持っています。
ところが東北は都以上に歴史の中心は東北にあったとすれば。皆喜ぶのです。 それを町ぐるみ信用し町史の参考資料にしてしまったのです。 公的機関が活字にしてしまった為。世の中の歴史家はこぞって話題にしました。 それが「世界ふしぎ発見」だったと思うのですがTVでも放送してしまい。その後謝罪をするという事態になります。
いつも思うのですが、タイムマシンがあれば史実を見てみたいと思うのです。 すごく複雑なんだろうなぁ?
って思います。
ナガスネ彦がいなくてもそれに似たモデルになった人がいたのかも知れません。
大阪と奈良、歴史的には奈良が早いと思うのですが、当時は都道府県があったわけでなくアスカ事態は大阪にもあったと思います。最近私たちの時代に教わった仁徳天皇陵は大阪の堺市だったと思います。
一度行きたいと思っています。 
だから奈良・大阪は微妙な区域ですね。
今でいう大仙陵古墳(仁徳天皇陵)や宮内庁が管轄している古墳や陵墓を発掘すれば歴史は変わるかも知れません。
しかし、国は許可しません。
もどかしいですね。
さて、2トップ・・・誰でしょうね?
時代で時代で変わっていくのかも知れませんね?
返信する
気になりますね。 (りひと)
2018-11-20 18:39:08
でもそう思うと逆賊だとされた理由は分かる気がしますね。一番怖い相手だったのでしょう。
そもそも怖いとも思わぬ人には、攻撃しようとなんて思わないですよ。危機感あるから攻撃するんですよね。

そうナガスネヒコが全国的に関わっていると思う方が各地のお話がスムーズに理解出来そうな事ありますね。

で私の中では、サッカーでも何事も2トップが理想的なのでナガスネヒコともう一人がどなたか?気になっておりました。タケミナカタさんならそれはそれは強いはずですね。一歩先に処理できちゃうでしょう。

で神奈川では、出雲っぽい鉄との関わりや剣などのエピソードでもありますのでナガスネヒコは捜索中です。スサノオはいますし、大和猛る(あえてこの字にしておきます)も関東多いのでその辺りを目印に探せるでしょう。でタケミナカタですけどここも結構いるんですよね、時代としても弥生にはなっているので環濠集落あるあたりにいます。2トップは他の場所でも見つけられそうには思います。

あとはどう動いているのか?ですが昨日は大阪和泉市がとても気になりましたね。神奈川と滋賀は連動しそうですけど大阪奈良とはどちらが早いのか?昨日はいわき一番に設定して一度近畿に行って今度は日本海側で山形に飛んでないかな?っと。各地の環濠集落がもっと出てくると2トップいそうな地が出てくるかもしれないと思ってます。
6269
返信する
綱永井寵生さんへ (ひー)
2018-11-20 10:58:44
記載しているのが先代旧事本紀大成経ですが、この本を読んだことがある人は非常に少ないことと鹽竈神社の古い宮司が書いた本にも祭神の特定がされていないとということは今の宮司や神職の人も発祥すらわかっていない鹽竈神社のことを知っているとは思えません。
この本の信頼度もありませんからね。
私の記事のしおがま様の不思議の出典は、タイトルが「鹽竈神社」で著者は、明治40年生まれ、国学院大学卒後、春日神社並びに奈良県・皇典講究所を経て、昭和19年鹽竈神社出典・禰宜・権宮司を経て、45年宮司になり55年より名誉宮司へ著書には赤城神社誌・宮城県神社庁誌・祝詞集・歴代宮司列伝・などを書いたようです。
大先輩の宮司でさえ知らないことを今の禰宜は知らないと考えています。 今の神職は國學院や皇學館等の4年制神職養成機関で資格取得・神社庁の推薦など基本の勉強は伊勢神宮系の勉強でしょうから、マニアックな裏歴史は個人的に興味がないと勉強しないでしょうね。
結局誰もわからないことで、記事の下に「こんな文があったので紹介します。」と書きました。
塩竈市役所にもう退職していますが、10歳くらい上の友人がいました。彼も当時の権禰宜さんに色々聞いたようですが分からないとのことでした。
ところで先日鹽竈神社に行ったのですが、御神馬に西側の丘陵に鹽竈神社の石碑があったのですが撤去されていました。 そちらの方が気になります。
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/bef523ae0bc70ec655bf20366a668ca0
上の記事の下から3枚目の石碑です。
ここには水が置いてあったりして誰かが大事にしているようでしたが撤去されて無くなっていました。周りも草刈りをしてありスッキリしています。
自分的にはここには何かあったと思うのですが、何の説明もないものですから気になっています。
何も知らないままで現在の繁栄を受け入れるしかないのかも知れませんね。
確かにこの記事の内容は「ムー」でも過去に取り上げているようなのでチョット胡散臭いことはあるんですよ。
YouTubeで先代旧事本紀で調べると2、3出てきますのでご覧ください。 なんともいえませんが。

返信する
恥ずかしながら・・・。 (綱永井寵生)
2018-11-20 00:54:01
恥ずかしながら塩釜神社で巫女をしていた人の紹介で、いろいろやらかしたY氏と共に塩釜神社のO禰宜にその件を尋ねました。「そんなの初耳」と言われました。

本でナガスネヒコの石碑の写真も見たのですが、「そんなものは無い」と言われました。

私的には塩釜神社と伊勢神社は同じと考えています。友人の神社でそれを証明出来ます。
返信する

コメントを投稿

古代史」カテゴリの最新記事