大日如来堂 柳 町
柳町通りの名が残るこの辺りは、藩政時代のお茶屋の町でした。
大町・肴町・南町・立町・荒町そしてこの柳町が伊達家が米沢領だった時代からの譜代町です。
伊達政宗が仙台に城下町を造り出した慶長6年(1601)、大手門近くに町を構えましたが、繁華街から離れていた為、都合が悪く、寛永4年(1627)に現在の地に移転しました。
この町は藩から茶の専売権を与えられていたそうです。
この大日如来は、妻のご本尊なのでお参りしてきました。
小銭が無かったので、お茶屋街だけにペットボトルのお茶を自販機で買い、
そのつり銭を・・・・
これ、景色じゃないですよ 正面から入って左側、ビルの壁です。
窓があるのわかりますか。
この景色私の想像ですが、山形の羽黒山の表参道のような?
石畳と杉木立がどことなく・・・もう一つの理由は、この如来堂は、昔、山伏寺系統の柳生山教楽院と言われていたようです。 この町は教楽院丁角から西の袋町までの地域を言います。
山伏といえば、羽黒山ですからね。
おっ!猿 守護申の文字が・・・
隣には羊が・・・
こんな感じ・・・
こんな人・・・・職場に居たような・・・?
東側の門です。ビルの壁ってわかりますね。
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もう少し探して見ます。
仙台城の鬼門には大きなお寺が位置しています。
この大日如来は、最初の街づくりから移転をしているとすれば、当てはまれないかも知れませんね。
これって、どこに位置してんのかしらん?
やっぱ南西?(・_・)
自分もオッ!て思いましたよ。
大日如来様、いつの間にかこんなことになっていたとは…
学校の近くだったので、柳町界隈はよく歩きました。行ってみようかな。
全くわかりませんでした (^^ゞ
どこまで~絵なのか
わかりませんでした (^_-)-☆
仙台には十二支あるのですが、昨日探したら資料がみつからなくて・・整理しないと・・・。
ブログにUPしましたね。
懐かしいです。
あの絵にはビックリしました
窓がなければ、此処に歩き出す人がいるかも。
コンクリートの壁だけじゃ寂しいですよね。
良く営業でこの辺ウロウロしてましたよ。
昔の事務所はSS30にありました。
これからは、大神と呼ぶことにします。
どうりで私は頭が上がらないわけですね。
ビルの壁絵(写真)を見に行きたいです。
私のご本尊でもあるんですよ~
昔、この近くに勤めていたこともあって、
仙台駅から柳町通りを歩いて通勤してました。
お祭りの縁日も楽しかったな
貴・奥方 天照大神の生まれ変わりなんです♪