ちょっと岩手県の話しをしてみたいと思います。
中心となるのは、北上川流域、現在の平泉あたりの話しです。
縄文時代の東北地方は、日本列島のなかでもすぐれた文化をもっていたといわれています。
約千三百年前ごろから、「えみしの国」「蝦夷の国」と呼ばれ、
次には「日高見国(ひたかみのくに)」 「日の本の国」と呼ばれ、
続いて「道の奥の国」「陸奥の国」と変わってきたようです。
脱線しますが日本酒にも「日高見」というのがあり、美味しいと評判ですよ。
それでは、日高見国についてですが、 「日本書紀」に次のように記されています。
゛東夷のうちに日高見国がある。その国の人達は、勇みたけしい。
蝦夷というのはこの人たちである。
土地は肥沃で広大である。
討ちとって領土とすべきである゛
日高見は北上川の名のもとづくところといわれ、この地方にある「日高見神社」は、北上川の神をまつっています。
珍しい地方史書があって。
これは、現在の学問上では認められてはいないのですが、興味深く、これからの研究になんらかのヒントを与えてくれるのかも知れません。
それは、今から二百年ほど前に津軽の秋田孝季という方が、当時の言い伝えを書きとどめたものとされていて
『東日流(つがる)外三郡誌』
この本にも、やたらと日高見という呼称が出てくるといいます。
古い時代には東北地方を五つの国に分けて統治し、その中心は平泉であったとし
王国の一つに日高見国があり、それは現在の岩手地方になっています。
また、前九年の役で討死した 安倍頼時(初代藤原清衡のお爺さん/末裔には前総理大臣:安倍晋三)を『日の本将軍』といい、
法名を『日高見大院殿良法戒学大禅定門位』と記している。
また「ほんまつたえ」という日本神代文字の文章には、次のように書かれていると研究家松本善之助氏が発表している。
゛天照大神は16歳までイサナキ、イサナミ両大神と共に富士山麓のサカリノ宮におられたが、その後はヒタカミの国五代タカミムスビのもとに天成の道を学ぶために出立した゛
゛タジマモリはタチバナの 木を求めてヒタカミの国を旅して回った゛とあるようだ。
私自身、詳しいわけでは無いが、こんな話しがあっても面白いのではないだろうか
注:『東日流外三郡誌』は、偽書とされています。
中心となるのは、北上川流域、現在の平泉あたりの話しです。
縄文時代の東北地方は、日本列島のなかでもすぐれた文化をもっていたといわれています。
約千三百年前ごろから、「えみしの国」「蝦夷の国」と呼ばれ、
次には「日高見国(ひたかみのくに)」 「日の本の国」と呼ばれ、
続いて「道の奥の国」「陸奥の国」と変わってきたようです。
脱線しますが日本酒にも「日高見」というのがあり、美味しいと評判ですよ。
それでは、日高見国についてですが、 「日本書紀」に次のように記されています。
゛東夷のうちに日高見国がある。その国の人達は、勇みたけしい。
蝦夷というのはこの人たちである。
土地は肥沃で広大である。
討ちとって領土とすべきである゛
日高見は北上川の名のもとづくところといわれ、この地方にある「日高見神社」は、北上川の神をまつっています。
珍しい地方史書があって。
これは、現在の学問上では認められてはいないのですが、興味深く、これからの研究になんらかのヒントを与えてくれるのかも知れません。
それは、今から二百年ほど前に津軽の秋田孝季という方が、当時の言い伝えを書きとどめたものとされていて
『東日流(つがる)外三郡誌』
この本にも、やたらと日高見という呼称が出てくるといいます。
古い時代には東北地方を五つの国に分けて統治し、その中心は平泉であったとし
王国の一つに日高見国があり、それは現在の岩手地方になっています。
また、前九年の役で討死した 安倍頼時(初代藤原清衡のお爺さん/末裔には前総理大臣:安倍晋三)を『日の本将軍』といい、
法名を『日高見大院殿良法戒学大禅定門位』と記している。
また「ほんまつたえ」という日本神代文字の文章には、次のように書かれていると研究家松本善之助氏が発表している。
゛天照大神は16歳までイサナキ、イサナミ両大神と共に富士山麓のサカリノ宮におられたが、その後はヒタカミの国五代タカミムスビのもとに天成の道を学ぶために出立した゛
゛タジマモリはタチバナの 木を求めてヒタカミの国を旅して回った゛とあるようだ。
私自身、詳しいわけでは無いが、こんな話しがあっても面白いのではないだろうか
注:『東日流外三郡誌』は、偽書とされています。
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