慶長遣欧使節船(けいちょうけんおうしせつせん)
サン・ファン・バウティスタ号と支倉常長についてチョット触れてみたい。
1613年10月28日、支倉常長ら一行
180人を乗せた慶長遣欧使節船は、
月浦から遥かローマを目指し出帆したのです。
伊達政宗公の命を受けた家臣・支倉六衛門常長(1571~1622)は、
慶長遣欧使節の大使としてサン・ファン・バウティスタに乗り込み、
イスパニア王国(現スペイン)さらにローマ教皇にまで謁見を果たすことができた。しかし・・・・・
常長のことや、船の様子を次回から紹介したいと思います。
つづくクリック
サンファンバウティスタ号と支倉常長はこちらにまとめています。
サン・ファン・バウティスタ号と支倉常長についてチョット触れてみたい。
1613年10月28日、支倉常長ら一行
180人を乗せた慶長遣欧使節船は、
月浦から遥かローマを目指し出帆したのです。
伊達政宗公の命を受けた家臣・支倉六衛門常長(1571~1622)は、
慶長遣欧使節の大使としてサン・ファン・バウティスタに乗り込み、
イスパニア王国(現スペイン)さらにローマ教皇にまで謁見を果たすことができた。しかし・・・・・
常長のことや、船の様子を次回から紹介したいと思います。
つづくクリック
サンファンバウティスタ号と支倉常長はこちらにまとめています。
サン・ファン・バウティスタの停留して
居る所にはまだ、行っていません
併せて支倉常長さんのお話も
お聞きしたかったので楽しみにしています
それが~子~孫へと影響する
そういう時代だったのでしょう~か
是非、機会があったら行って見て下さい。
見応えあると思います。
どこから書き出すか悩んでます。
あまり長くならないように、わかりやすく紹介したいのですが…
その子孫は達は、今でもたくさん残っているようです。
日本だけでは、ないようです。
行ってみたいです。
そういえば、佐藤賢一さんのデビュー作”ジャガーになった男”の主人公も、支倉常長の使節の一員だったという設定だったのを思い出しました。
カトリック作家らしい着目だと思います。支倉も洗礼を受けてますからね。詳しい事は、記事の中で…
帰国後の状況、どんな風に変わっていたか、
ひーさんの名調子を待ちたいと思います。
王妃の離婚 の佐藤賢一さんが書きそうなテーマです。
ひーさん 遠藤周作 お好きで?
わたし「女の一生」読みました
「侍」も読みたくなってきてます
最近またコーヒーのCMに復活してますね。
あの記事の続きは、まだ考えてません。明日書きますが、あまり長くも出来ず、簡単明瞭にしたいと思います。
でも、どこから書けばいいのか?
悩んでます。
「さとけん」さんですかぁ。 短縮して馴れ馴れしく呼びしましたが
本を読んだことないんです。
私のお隣の山形出身の方ですね。
あ~さんは、西洋歴史の本も読むんですかぁ~
でも、半端じゃない位読んでますよね。尊敬します。
常長の記事は明日帰ってから考えます。長すぎても飽きるだろうから、手短に…