ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

破壊された田老町の防潮堤と以前の姿

2012年08月22日 22時00分17秒 | 東日本大震災
2010年7月12日にこの記事を書いている。
津波防災の町/田老町
つまり、2011年3月11日の大震災(津波)以前の記事です。
こちらには過去の津波被害の一部を記載しています。

この時の写真を再度利用し、現在の様子と比べてみたいと思います。

なかなか足を運ぶことができず。時間が経ってしまいました。

2010年7月

10メートルの防潮堤



2012年8月



過去の津波の水位を山肌に記録してあった。

2010年7月








岩の壁を覆っていたネットは、津波によって剥がされ、記録の表示はグニャリと曲がっていた。
津波に襲われる前に、被害に遭った年を記録した表示は新しい物と取替えられていました。

それでは現在の様子です。









明治29年に15メートルの津波が来たわけですから、10mの防潮堤では防げませんね。
昭和8年でさえ10mです。
防潮堤は難無く壊されてしまいました、そして高い防潮堤は津波が近づいて来るのを見えなくしてしまいましたね。
その為に逃げ遅れた人が多くいました。
高い防潮堤が安心感を生み、恐怖心を取り除いてしまったのですね。
津波を遅らせることしかできないことを自覚しなければいけませんね。


2010年 田老湾
静かな光景がここにはあった。





2012年 あの赤い灯台は消えた・・・ 防波堤も無くなり応急的にテトラポットが置いてある。







田老港の正面は鉄の扉の枠だけが残っている。



湾の正面からやや南側の防潮堤は残っていた。

2010年



2012年 建物や家並みは無くなり、手前の仮設のプレハブと遠方の斜面に建った家が見える。
    この防潮堤の裏側は、基礎しか残っていなかった。




早期の復興を祈ります。

地震関連の記事はこちらに纏めています。




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8 コメント

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おばんです (ほでなすいっく)
2012-08-22 22:30:46
あの頃、ニュースで田老のおんつぁんが
「何が防潮堤だよ!!」
って叫んでたのを思い出しました
返信する
ほでなすいっくさんへ (ひー)
2012-08-23 16:31:54
人の力なんて大自然には敵わないのですね。
そんな映像ありましたね。
小さな津波に慣れてしまって、昔の大津波を忘れてしまったのですね。
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自然の (維真尽(^^))
2012-08-23 16:54:07
大きな力の前には
なす術がないんですね
よくわかりました 

はやくの 復興祈ります
返信する
やはりお出かけになられましたか (酔漢です)
2012-08-23 17:33:07
釜石の友人から写真をおくられましたのが、昨年の6月。
公開を控えておりました。
「譜代」「釜石」と「くだまき」にいたしました。
田老の様子は気になっておりました。
震災以前の様子「散歩道」から拝借しまして、田老の防潮堤の件を語りました。(その節はありがとうございました)
改めて写真を拝見いたしました。
田老、国民宿舎「山王閣」。
父、家族との思いでがあります。
あの海が戻って来る日が来ることを願ってやみません。

自転車で一人旅。
田老町着。午後2時。
最高気温を忘れさせるくらい海風が心地よい。
そんな事も思い出しました。
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喉元過ぎればって… (ハム姉さん)
2012-08-23 17:36:55
いってもねぇ~切ない写真です。
2010年の時に写っている方々お元気でと思ってしまいます。
自然の大きな力忘れてはいけないと思いますが原発問題で騒いでいる
今…もしかして もう忘れちゃったのかしら…喉元過ぎてもいないのに
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維真尽さんへ (ひー)
2012-08-24 10:02:44
瓦礫は、片付けられていました。
コンクリートなんて弱いものです。
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酔漢さんへ (ひー)
2012-08-24 10:59:44
やっと時間が取れました。
帰りは、45号線をきました。
釜石は確か、中学生や高学年の子が低学年の手を引いて避難し子供たちは無事だったのでは?
大船渡も見てきましたが、元の道路がわからなくなってしまいました。
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ハム姉さんへ (ひー)
2012-08-24 11:12:22
海岸線沿いの神社を回っていた時に自転車に乗った中 学生が「こんにちは!」と挨拶をして行きました。
あの子は元気なのか心配しています。
元の街に戻るのは、あと何十年も掛かりそうです。
沿岸の町では、沢山の重機が働いていました。
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