伊達黒船造船の地 サン・ファン・バウティスタ号
支倉常長やサン・ファン・バウティスタ号の記事は多々書いて来ましたが、これが打ち止めですかね。
さて、伊達黒船(サン・ファン・バウティスタ号)を造船された地は、雄勝町の呉壺と言われています。
この地は、雄勝硯で有名な場所です。
伊達政宗公が遠島(現在の牡鹿半島)へ鹿狩りの折、硯二面を献上したところ、いたく賞賛され褒美を賜ったとあります。
また、二代藩主忠宗公も、その巧技に感服し硯師を伊達藩お抱えとされ、その硯材を産する山を「お止山(現:お留山)」と称し一般の採掘を許さなかった言われています。
伊達公の御用硯の地でもあるのです。
地質学的には、北上山系登米層古生代上部二畳紀(2、3億年前)に形成され黒色粘板岩といいます。
石碑には、「支倉六右衛門造船地」と彫られています。
ここには壮大なプロジェクトがあったのです。
慶長18年(1613)9月15日、仙台藩主・伊達政宗の命を受けた支倉六右衛門常長は「慶長遣欧使節団」一行180余名は伊達の黒船「サン・ファン・バウティスタ号」に乗り太平洋を渡ったのです。
政宗の天下獲りの野望はこの船に託されていたのでしょうか?
その真意は文献が残っておらず謎に包まれたままです。
国際化している現代、当時の政宗のロマンは勇気と感動と力を与えてくれます。
当時の造船技術の粋をつくして建造された黒船は横五間半、長さ十八間、高さ十四間余、二本マストの洋形で約500屯の木造で船体は黒塗仕上げ、胴の間は青貝はめ込み春慶塗であった。
ここ呉壺の天然の地形と条件を利用し、ダム式進水の方法で進水され、ここから石巻の月の浦に廻航され、日和待ちの後、順風に帆をはらませ、万里の波濤を越えて出港したのです。
巨大なガレオン船は江戸時代の三代船に数えられた優秀な船であったと言われています。
※春慶塗=♪秋田音頭にもありますね。能代春慶、檜山納豆、大館まげわっぱwww
正面の海にはウミネコが舞っていた。
このウミネコの祖先は黒船造りを見ていたのだろうか・・・・
場所
月浦は出航の地です。
コリア・デル・リオ
支倉常長
支倉常長やサン・ファン・バウティスタ号の記事は多々書いて来ましたが、これが打ち止めですかね。
さて、伊達黒船(サン・ファン・バウティスタ号)を造船された地は、雄勝町の呉壺と言われています。
この地は、雄勝硯で有名な場所です。
伊達政宗公が遠島(現在の牡鹿半島)へ鹿狩りの折、硯二面を献上したところ、いたく賞賛され褒美を賜ったとあります。
また、二代藩主忠宗公も、その巧技に感服し硯師を伊達藩お抱えとされ、その硯材を産する山を「お止山(現:お留山)」と称し一般の採掘を許さなかった言われています。
伊達公の御用硯の地でもあるのです。
地質学的には、北上山系登米層古生代上部二畳紀(2、3億年前)に形成され黒色粘板岩といいます。
石碑には、「支倉六右衛門造船地」と彫られています。
ここには壮大なプロジェクトがあったのです。
慶長18年(1613)9月15日、仙台藩主・伊達政宗の命を受けた支倉六右衛門常長は「慶長遣欧使節団」一行180余名は伊達の黒船「サン・ファン・バウティスタ号」に乗り太平洋を渡ったのです。
政宗の天下獲りの野望はこの船に託されていたのでしょうか?
その真意は文献が残っておらず謎に包まれたままです。
国際化している現代、当時の政宗のロマンは勇気と感動と力を与えてくれます。
当時の造船技術の粋をつくして建造された黒船は横五間半、長さ十八間、高さ十四間余、二本マストの洋形で約500屯の木造で船体は黒塗仕上げ、胴の間は青貝はめ込み春慶塗であった。
ここ呉壺の天然の地形と条件を利用し、ダム式進水の方法で進水され、ここから石巻の月の浦に廻航され、日和待ちの後、順風に帆をはらませ、万里の波濤を越えて出港したのです。
巨大なガレオン船は江戸時代の三代船に数えられた優秀な船であったと言われています。
※春慶塗=♪秋田音頭にもありますね。能代春慶、檜山納豆、大館まげわっぱwww
正面の海にはウミネコが舞っていた。
このウミネコの祖先は黒船造りを見ていたのだろうか・・・・
場所
月浦は出航の地です。
コリア・デル・リオ
支倉常長
でもおそらく幕府は公式の歴史からは抹消し尽したのではないでしょうか?
龍馬が知っていたら仙台や月浦までやってきたことでしょうから。
「地図萌え」派にとって、この雄勝湾の食い込みはゾクッときます。
今度牡鹿半島の二万五千分の一地形図を買ってきてじっくり眺めようと思います。
「明神」という地名に「塩釜神社」が!
塩釜神社ありますね。
末社を全部回るのも面白いかも・・・・
かなり時間もかかりますね。
んだがら、舟手奉行の向井将監とウィリアム・アダムス(三浦按針)ば技術顧問みたいな立場で月浦まで派遣してんだおんね・・・
ところで、クロさん塩釜神社に目が行ったみたいだねぇ~♪
全国に摂社末社が100以上あるらしいから、探してみっと面白いかも・・・
ちなみに東京では新橋5丁目と東大和市にあるらしいよ ^o^v
新橋5丁目は気軽に行けそうです。東大和もなんとか行けるか。
・・・でもこの連続猛暑日が落ち着かないと行き倒れになってしまいます。
この暑さ。上京してからは一番厳しい夏です。
徳川水軍の視察があったのですね。
秘密で出港は無理だったのですね。
塩釜の末社は全国にあるから行脚する気力は出てきませんね。150くらいはあったような?
それとも行くべきでしょうか?
でも仕事か?
今日は休みですが、日勤で今から出勤です。
題名は『伊達の黒船』。
著者は失念しましたが元県職員です。
土木畑を歩かれた方で、
県内の港湾のことも熟知しています。
さまざまな条件から考えて、
雄勝湾がサン・ファン・バウチスタの建造地であると結論づけています。
雄勝湾には私も行ったことがありますが、
外海からは深く切れ込んでいるし、
大型船の建造には適した地形ですね。
復原されたサン・ファン・バウチスタも
二~三度見ています。
船体が小ぶりな割にはマストが非常に高いのが
印象的でした。
塩竈神社といえば、かつての仙台駅東口の近くにもありましたね。
二口峠の頂上近くに「塩竈神社」だか「塩竈明神」だかの石碑を発見した時は
さすがに驚きました。
元号は江戸時代のものだったと記憶しています。
コメントありがとうございました!
お仕事一段落着いたでしょうか?
お元気そうですね。
懐かしいサンファン号!できた当時見に行きましたよ~!!
こんなのでヨーロッパへ?!!と 衝撃でしたね、ホントに!!
この辺をモデルに書いたと思われる伊坂幸太郎の小説も楽しく読めました☆!
≪あーココ行ったことある~≫って 記憶って大事ですね ^^/♪
昔は興味が無かったですからね。
ここは、本当に深い入江ですね。
そして穏やかな海です。
でも今でこそ車で簡単に行けますが、当時はやはり船を移動手段として利用して居たのでしょう。
当時の様子を覗きたいものです。
工大学ではタイムマシンの研究はしていないのでしょうか?www
映画:ゴールデンスランバーのロケに参加させていただきました。
その記事は「ひーさんの自由帳」に先日ちょっと書きました。
ところで、≪あーココ行ったことある~≫っていうのは嬉しくなりますね。今までに一番感動したのは、ローマに行って帰って来てから「ローマの休日」を観た時・・・感動でした。
それも何十年も前の映画なのに、風景が変わっていないからです。
イタリヤやフランスなどは、外観の改築を認めていないからですね。
より感動が大きかったのかも?