
浪分神社
これに近い神社名は鹽竈の浪切不動尊があります。以前UP済みです。
今回の地震で今まで疑問に思って来た扁額の謎が解りつつあります。
それは、後程まとめて記事にしたいと思います。
この神社はメディアでも取り上げられました。
この度の震災でこの若林地区の56%が浸水しました。
この神社は海岸から5.6Kmの地点にあります。
あの貞観津波などの堆積物はこの神社の200~300m手前で止まっていました。
こんな神社が福島から三陸には多く見られます。
境内にあった神社の由来をご覧下さい。
もと、稲荷神社といい八瀬川稲荷堂(共同墓地)あたりに在った。
ここは昔はもっと広く、高さニメートル程の小丘で樹木も生い繁っていたということである。
ここに隠居、又右衛門の肝いりで村民相集って小祠を創建した。
時に元禄十六年(1703年)八月十六日であった。
古老の談では、その後あるとき大津波あり、幾波となく押し寄せ多くの溺死者を出したがやがて白馬に跨った海神が現れてこの大波を二分して鎮めたと伝えられている。
これ以来稲荷神社に対する津波鎮撫の霊力信仰が高まり、その名も「浪分大明神」と呼ばれるようになった。
しかし、これは単なる伝説だけでない、この地方は古来幾度となく津波・洪水に襲われているうちに今の地形地層が出来て伝説も生まれたのである。
この地方に大きな影響を及ぼした記録では、貞観十一年(869年)五月二十六日の三陸地方大地震大津波であり、慶長十六年(1611年)の慶長三陸大津波では、仙台領内で1.700人余の死者を出した。
また、天保六年(1835年)六月二十五日発生の東北地方太平洋東部の大地震大津波でも仙台領内で数百の民家が流失し溺死者多数と伝えられているが、この時、白馬伝説が成立したと言われている。
この天保六年六月の大津波は小祠奉献以来この地を襲った最大のもので、この年にはこれに続いて閏七月に二回も大洪水あり、天保十年まで全国的に荒天が続き冷害となり天保の大飢饉となる。
この惨事を救うべく当時の神主津田民部は、文化八年(1811年)より村人により祀られてきた庚神・疱神・山神信仰の由緒深い、五百メートル程西方の現在地を卜占し小祠を奉献、いぐねを伐ってお堂を建て、翌天保七年(1836年)二月十二日、新たに祭神、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の御神体を奉納、石造り神明大鳥居を配し、除災を祈願された。
爾来津波の災害も減少した。
明治三十八年(1905年)日露戦争勝利後、浪分神社に昇格、明治四十三年(1910年)三月、旅立稲荷神社(保食神社)に合祀された。
最近本殿の腐朽甚だしく、氏子町民相計り改築の運びとなり、昭和五十年(1975年)九月十五日落成、遷座祭を執行した。
回廊を除いた以外は旧本殿と全く同型にし、小祠も元通り縁下に納めた。
素木(しらき)造り丸柱一間社。屋根は切妻瓦葺、流山造、向拝あり、破風板と海老虹梁(えびこうりょう)の材料には最も苦心したが、栗の自然一本木を用いたので、小規模ながら神殿らしい簡素な美しさを感じさせる。今はあらゆる除災招福の神社として崇敬されている。




本殿の下に石の祠が祀られています。


由緒の通り山神などの石碑が見られます。

ここから海側に向うと多数の犠牲者を出した。荒浜方面です。
先人の警鐘を忘れるべからず。
次は、仙台空港と並ぶ神社ですが、ここは破壊を免れました。
これに近い神社名は鹽竈の浪切不動尊があります。以前UP済みです。
今回の地震で今まで疑問に思って来た扁額の謎が解りつつあります。
それは、後程まとめて記事にしたいと思います。
この神社はメディアでも取り上げられました。
この度の震災でこの若林地区の56%が浸水しました。
この神社は海岸から5.6Kmの地点にあります。
あの貞観津波などの堆積物はこの神社の200~300m手前で止まっていました。
こんな神社が福島から三陸には多く見られます。
境内にあった神社の由来をご覧下さい。
もと、稲荷神社といい八瀬川稲荷堂(共同墓地)あたりに在った。
ここは昔はもっと広く、高さニメートル程の小丘で樹木も生い繁っていたということである。
ここに隠居、又右衛門の肝いりで村民相集って小祠を創建した。
時に元禄十六年(1703年)八月十六日であった。
古老の談では、その後あるとき大津波あり、幾波となく押し寄せ多くの溺死者を出したがやがて白馬に跨った海神が現れてこの大波を二分して鎮めたと伝えられている。
これ以来稲荷神社に対する津波鎮撫の霊力信仰が高まり、その名も「浪分大明神」と呼ばれるようになった。
しかし、これは単なる伝説だけでない、この地方は古来幾度となく津波・洪水に襲われているうちに今の地形地層が出来て伝説も生まれたのである。
この地方に大きな影響を及ぼした記録では、貞観十一年(869年)五月二十六日の三陸地方大地震大津波であり、慶長十六年(1611年)の慶長三陸大津波では、仙台領内で1.700人余の死者を出した。
また、天保六年(1835年)六月二十五日発生の東北地方太平洋東部の大地震大津波でも仙台領内で数百の民家が流失し溺死者多数と伝えられているが、この時、白馬伝説が成立したと言われている。
この天保六年六月の大津波は小祠奉献以来この地を襲った最大のもので、この年にはこれに続いて閏七月に二回も大洪水あり、天保十年まで全国的に荒天が続き冷害となり天保の大飢饉となる。
この惨事を救うべく当時の神主津田民部は、文化八年(1811年)より村人により祀られてきた庚神・疱神・山神信仰の由緒深い、五百メートル程西方の現在地を卜占し小祠を奉献、いぐねを伐ってお堂を建て、翌天保七年(1836年)二月十二日、新たに祭神、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の御神体を奉納、石造り神明大鳥居を配し、除災を祈願された。
爾来津波の災害も減少した。
明治三十八年(1905年)日露戦争勝利後、浪分神社に昇格、明治四十三年(1910年)三月、旅立稲荷神社(保食神社)に合祀された。
最近本殿の腐朽甚だしく、氏子町民相計り改築の運びとなり、昭和五十年(1975年)九月十五日落成、遷座祭を執行した。
回廊を除いた以外は旧本殿と全く同型にし、小祠も元通り縁下に納めた。
素木(しらき)造り丸柱一間社。屋根は切妻瓦葺、流山造、向拝あり、破風板と海老虹梁(えびこうりょう)の材料には最も苦心したが、栗の自然一本木を用いたので、小規模ながら神殿らしい簡素な美しさを感じさせる。今はあらゆる除災招福の神社として崇敬されている。




本殿の下に石の祠が祀られています。


由緒の通り山神などの石碑が見られます。

ここから海側に向うと多数の犠牲者を出した。荒浜方面です。
先人の警鐘を忘れるべからず。
次は、仙台空港と並ぶ神社ですが、ここは破壊を免れました。
確かに他には見られない神様ですね。
丸森は以前から行きたいと考えていましたが天候や震災の関係で延びてしまっています。
春にでもチェックしたいですね。
浪分神社は鸕鶿草葺不合尊も合祀されてるんですね。仙台近辺では珍しい神様ですよね。
知ってる限りだと、宮城でもそうそう祀られてない神様で、丸森の鳥屋嶺神社くらいしか思いつきません。
その関係は、面白いですね。
そうであれば辻褄が会いますね。
そうなると安倍の名字まで気になります。
今年の5月は、天照大神が天の岩屋戸に籠りますよ。
そうです日蝕です。
そして安部清明の正体は平将門の子、平将国と言う説もあります。
安部清明のご近所には、鞍馬天狗の鬼一法眼が住んでいました。さらに法眼の弟子は源義経。
考えてみれば、平家と奥州藤原家が滅んだ原因には義経が密接に絡んでいます。そして平家と藤原氏を一番恨んでいたとすれば平将門でしょう。もしかしたら、もしかしているのではと思いました。まっ、笑い話です。
因みに平将門には、もう一人生き残った息子がいたとされています。その名前を言うと更に笑い話になってしまいますが、それは又の機会に。
ではでは。
シバ神ですね。 それも伝承ですから何らかの史実があったのでしょう。
星にはいくつかの意味合いや使い方があるのかも知れませんね。
確か陰陽師も星の紋を使っていたような。
なんか古代史に答えは出ないのかも知れませんね。
これからシバが出てきたら注意します。
考えて見れは塩釜桜の神紋も青麻神社の麻紋も、星の形をしていると言えます。
そう言えば、私のブログ友である壱岐島・月読本宮長官の血筋にあたる卜部氏の話によると、猿田彦は昴の星神でシバ神のことであると語っていました。そして卜部氏の屋号もシバと言うそうです。
因みに壱岐島は昔、当時の中国・朝鮮からは一大国と呼ばれ、大国主は一大国の王・一大国主のことで、何時の間にか一が取れてしまったと語っていました。そして大国主の正体は月読命であるとも、そして更に違う名前も・・・。
まっ、参考程度に。
本来ならここから海側に住まなければ誰も傷つかなかったはず。
しかし、人は慣れると忘れるのですね。
岩手の田老地区も巨大な防潮堤がありながら、防潮堤の外側に建物を建てたりしたわけで、教えに逆らってはいけないのですね。
小さな仕来りも理由があるからなのですね。
大事にしないといけないですよね
最初はこの石の祠からはじまったのでしょう。
この形最近行った神社にもありました。
この石の祠は珍しい!
以前記事にしてから追及していませんでした。豊かな知識はそのような部族の移動によって文化が栄えたのでしょうね。
七北川も氷ったのでしょうね。
子供の頃砂押川に関があって上流は流水が無い為氷っていました。
学校からは絶対遊ばないように御触れがでてました。
扁額の上に星型、日ユ同祖説を物語っているようにも見えてしまいます。
白馬だけでなく、波繋がりでもありますしね。