
通称大日坊と一般的に言われているお寺です。
観光的には、即身仏を見られ事でよく団体のお客さんも訪れます。
正式には、湯殿山龍水寺金剛院といい大日坊は、その中の一つの坊であるのです。
住職さんからお話を聞くことが出来ました。
明治に入り、神仏分離令により、神社になりなさいと言われたが、空海弘法太師により開基したこの寺を神社には出来ないと断ったそうです。
その為に、本堂は焼かれてしまい、この大日坊だけが残ったようです。
由来等詳しくは、こちらへどうぞ大日坊HP
阿金剛
吽金剛
仁王門にはこの他にも、風神像・雷神像があります。
写真が撮りにくかったので、パンフです。
六十里越した人々が置いていったのでしょうか
これ兎
このお寺は祈願時であるため、お墓はありません、つまり檀家もほとんど居ないそうです。
寛永17年(18年と言う資料もある)江戸城大奥の春日局が大日坊を再建したという記録がある。
春日の局は徳川三代将軍家光(幼名:竹千代)の乳母で天下泰平と家光の武運長久を祈願するため、大日坊境内に三間四方の堂宇を建立し大日如来像を安置した。
春日局は二代将軍秀忠の病気回復を表向きの名目として、実は家光の将軍継承を極秘に祈願したとも伝えられています。
ただ参拝して帰ろうと思っていたのですが、お寺の人がお払いをして上げますのでどうぞ・・・と言う言葉に入場料500円×2を払って中へ・・・
もう一組の参拝者と一緒にお払いをして頂きました。
さっきHPを見たら二人共前厄、後厄だったので、ちょうど良かったと言うことがわかりました。
春日局が持ってきた祈願文を入れた状箱には三つ葉葵の紋が入ってますが、将軍家の葵の紋は一枚の葉のデザインが違うのですね。
今まで知りませんでした・・・
水戸黄門ばかり見ていたからでしょうかこれは、寛永5年(1628)に建立された宝筺印塔。
即身仏
ミイラと言う人がいますが、全く違います。
エジプトや平泉にある藤原三代のミイラは、死後処理されたもので、即身仏は自らそのような身体になるように、生きながら仏になる行の一つだと思います。
これは、口で言うほど簡単では無いことがわかります。
即身仏を志した行人は、木喰行(もくじきぎょう)に入ります。
まず「五穀断ち」から始め、米・麦・粟・黍・豆を断つ。
さらに五種類の穀物を加え「十穀断ち」となり、最後はほとんど食べなくなる断食行です。行の期間は最低千日、人によっては四千日~五千日も山籠の及んだ記録もあるようです。
穀立ちの後、4畳半程の穴を掘り石室を造り外側にはびっしりと炭で囲うそうです。
腐らないように、入れるのでしょう。場所も日当たりのいい場所を選ぶそうです。
入定する時には、自ら身体が腐食しないように漆を飲んだそうです。
中では何を食べていたかと言うと、木の皮などのようです。
まさに木喰行です。
土の中で最後の修行をするわけですが、空気穴には節を抜いた竹筒を通していたそうです。
毎日お弟子さんが「和尚さん元気ですか~」と声を掛けに行きます。
無言の行でありますので、声を出せない為、中には鐘を持って行き返事の変わりに「チーン」と鳴らした人もいたそうです。
返事や音が無くなると、遺言に従い3年もしくは3年3ヶ月後に塚を掘りほとんどミイラ化している遺体を即身仏として祀ったそうです。
しかし、ミイラ化に失敗したり場合によっては保存処理する場合もあったそうです。
大日坊の真如海上人即身仏
幼少の頃より仏教の教えに心をひかれ、青年時代より出家し
二十代より即身仏を志し、木食いの行に入り天明三年九十九歳で生き身のまま土中に入定するまで七十余年の長い間この難業苦業を積み重ね即身仏となられた。
真如海上人は左目がありません。
これは、眼病の流行病があった時、世の中の人々の目が治りますようにと、自ら左目をえぐり、その目を湯殿山に納めたそうです。
撮影禁止の為写真を撮影
丁寧な説明、感心しました。
最後までスーッと読ませる筆力、スバラっです♪
実際に写真を見せられると...
人々のために~
仏になる
言葉がありません
20代から即身仏を志して、99歳で叶えるって凄いですよね
私には絶対ムリだなぁ
なかなか行けないでおります。
歴史的にも素晴らしい寺院です。
機会を作っていってみます!
実は、ペンと手帳を車に忘れ、住職の話しをメモ出来ず。
一生懸命聞いてましたよ。
本にも書いてあるのですが、長くて難しいので却下!
ガイドの話しも思い出しながらでした。実は、3体あったのですが、2体は寺と一緒に焼かれてしまい、この真如海上人は入定する前に遺言で自分だけ別の場所に安置するように書かれいたそうです。それで、一体だけ残ったのですね。
予言していたのでしょうか?
漆を飲むなんて
生きながら死んで行くのですね
更に驚きました
苦しい最後の修行なんでしょう・・
とっても考えられないです
身仏に成るって・・言葉が出ません
亡くなってから3年程置きますが、遺言を守らず、もしくは知ってる人が居なくなり、埋められたままの行者もいるようです。
自分もまだ行ったこと無く、この日に行きたかったのですが、時間がなくて…こちらには、鉄門海上人即身仏があります。