江戸時代の旅人は、1日に何キロ歩いたのだろう。
私は、最初こんな歌を思い出しました。
『♪お江戸日本橋七つ立ち 初上り アアコリャコリャ 行列揃えて あれわいさのさ こちゃ高輪 夜明けの提灯消す こちゃえ~ こちゃえ~♪』
最初の、疑問は七ツって何時? でした。
きっと暗いうちに出発して、高輪に着いた頃夜が明け、提灯の火を消したのだろうと想像がつきます。
調べているうちにいろんな事がわかって来ました。
まず七ツは明け六ツの2時間前で季節によりますが4時頃を指すようです。
じゃあ明け六ツはと言うと太陽が上がる20分前だそうです。
暮れ六はというと太陽が沈んでから20分後らしいです。
ちょっと脱線しますが、仙台ではこの時刻だけ呼び名が違います。
それは、仙台藩主は代々陸奥の守(むつのかみ)だったので『むつ』という言葉は使われなかったようです。
変わりに、明半時、暮半時と言ったいたそうです。
戻ります。
江戸時代は各所の木戸が閉められ、夜中の往来は制限されていたようです。
それで『寅の刻、七ツ』になると木戸が開けられ通行を許されたようです。
ですから早く出発しても、木戸の前で行列を作り七ツの鐘を待っていたのですね。
「初上り」は京都に向かう事ですね。
今は東京ですが、よくお上りさんしてましたよ。
それでは、1日にどの位歩いたのでしょうか?
松尾芭蕉は岩出山から一関まで1日で歩いたと言う記録があります。現在の距離で58キロです。
今の人は驚きますが、当時は不可能な距離でも無さそうです。確かに芭蕉は健脚ではあったようですが……忍者説もでましたねぇ
それでは、参勤交代はどうだったのでしょう。
仙台藩では、800人~1000人のおともがいたようです。
江戸までの距離は93里 (1里=3.927)約365キロです。
そこを8泊9日で歩いたようです。
つまり1日に歩いた距離は40キロになるわけですね。
(^_^)b
参勤交代には、食料を持って行き、宿泊地(本陣)で自炊したそうです。
面白いのは、お風呂まで持って行ったそうですよ。
ちなみに、秋田の佐竹藩は、約600名のお供で江戸まで2週間かかったそうです。
そこで、経費なのですが、仙台藩ては約5千両と考えられてます。
1石=1両=6.000文として1石は150kg
米10キロを借りに3.000円とすると、1両45.000円
5千両だと2億2千5百万円です。
最近、米が安いので、10キロ4000円で計算すると3億円になります。
仙台藩は62万石でありながら、100万石以上の力を持っていた…と言うか、収益があったようです。
ですから幕府は仙台藩を恐れていました。
そこで、他の藩より多く参勤交代をさせて、お金を遣わせたと聞いたことがあります。
江戸に行く度に3億では、気の毒ですね。
私は、最初こんな歌を思い出しました。
『♪お江戸日本橋七つ立ち 初上り アアコリャコリャ 行列揃えて あれわいさのさ こちゃ高輪 夜明けの提灯消す こちゃえ~ こちゃえ~♪』
最初の、疑問は七ツって何時? でした。
きっと暗いうちに出発して、高輪に着いた頃夜が明け、提灯の火を消したのだろうと想像がつきます。
調べているうちにいろんな事がわかって来ました。
まず七ツは明け六ツの2時間前で季節によりますが4時頃を指すようです。
じゃあ明け六ツはと言うと太陽が上がる20分前だそうです。
暮れ六はというと太陽が沈んでから20分後らしいです。
ちょっと脱線しますが、仙台ではこの時刻だけ呼び名が違います。
それは、仙台藩主は代々陸奥の守(むつのかみ)だったので『むつ』という言葉は使われなかったようです。
変わりに、明半時、暮半時と言ったいたそうです。
戻ります。
江戸時代は各所の木戸が閉められ、夜中の往来は制限されていたようです。
それで『寅の刻、七ツ』になると木戸が開けられ通行を許されたようです。
ですから早く出発しても、木戸の前で行列を作り七ツの鐘を待っていたのですね。
「初上り」は京都に向かう事ですね。
今は東京ですが、よくお上りさんしてましたよ。
それでは、1日にどの位歩いたのでしょうか?
松尾芭蕉は岩出山から一関まで1日で歩いたと言う記録があります。現在の距離で58キロです。
今の人は驚きますが、当時は不可能な距離でも無さそうです。確かに芭蕉は健脚ではあったようですが……忍者説もでましたねぇ
それでは、参勤交代はどうだったのでしょう。
仙台藩では、800人~1000人のおともがいたようです。
江戸までの距離は93里 (1里=3.927)約365キロです。
そこを8泊9日で歩いたようです。
つまり1日に歩いた距離は40キロになるわけですね。
(^_^)b
参勤交代には、食料を持って行き、宿泊地(本陣)で自炊したそうです。
面白いのは、お風呂まで持って行ったそうですよ。
ちなみに、秋田の佐竹藩は、約600名のお供で江戸まで2週間かかったそうです。
そこで、経費なのですが、仙台藩ては約5千両と考えられてます。
1石=1両=6.000文として1石は150kg
米10キロを借りに3.000円とすると、1両45.000円
5千両だと2億2千5百万円です。
最近、米が安いので、10キロ4000円で計算すると3億円になります。
仙台藩は62万石でありながら、100万石以上の力を持っていた…と言うか、収益があったようです。
ですから幕府は仙台藩を恐れていました。
そこで、他の藩より多く参勤交代をさせて、お金を遣わせたと聞いたことがあります。
江戸に行く度に3億では、気の毒ですね。
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