明治17年の台風で壮大な夢は、打ち砕かれ『幻の港』になってしまった築港跡が宮城県にある。
私がそこを訪れたのは17歳の頃だと記憶している。
友人に誘われ、その跡地を見に行った。
彼は自慢げに話してくれた。
『ここは、横浜のようなデッカい街になっていたはずなんだ。』
『築港跡を見に行かないか?』
そんな誘いに乗って自転車で行ったような気がする。
そこは、宮城県桃生郡鳴瀬町小野(現在の東松島市)隣接する駅はJR仙石線で陸前小野になります。
野蒜築港跡と呼ばれ、国道45号線にも看板が出ていたと思います。
鳴瀬川の河口と北上運河が交わる辺りです。
明治9年、明治天皇が御巡幸の際、この地に注目されたようで、後に大久保利道の視察で建設が決定。
1878年(明治11年)からオランダ人技師 ファン、ドールン(C.J.Van.Doorn)の設計で着工した。
岸壁は海岸線に4キロを構築し外港とし、河口に市街地を造成する予定だったのです。
明治政府は本格的国際貿易港として着々と工事を進めていたが、だった一度の台風がその夢を打ち砕いたのです。
台風がこなければ、鳴瀬町は神戸・横浜規模の都市に成長していたことでしょう。
今でも、積み上げられたレンガやその岸の一部は残っています。
何十年振りに行って見ようかと思いました。
いずれその時にでも、写真をアップしたいと思います。
私がそこを訪れたのは17歳の頃だと記憶している。
友人に誘われ、その跡地を見に行った。
彼は自慢げに話してくれた。
『ここは、横浜のようなデッカい街になっていたはずなんだ。』
『築港跡を見に行かないか?』
そんな誘いに乗って自転車で行ったような気がする。
そこは、宮城県桃生郡鳴瀬町小野(現在の東松島市)隣接する駅はJR仙石線で陸前小野になります。
野蒜築港跡と呼ばれ、国道45号線にも看板が出ていたと思います。
鳴瀬川の河口と北上運河が交わる辺りです。
明治9年、明治天皇が御巡幸の際、この地に注目されたようで、後に大久保利道の視察で建設が決定。
1878年(明治11年)からオランダ人技師 ファン、ドールン(C.J.Van.Doorn)の設計で着工した。
岸壁は海岸線に4キロを構築し外港とし、河口に市街地を造成する予定だったのです。
明治政府は本格的国際貿易港として着々と工事を進めていたが、だった一度の台風がその夢を打ち砕いたのです。
台風がこなければ、鳴瀬町は神戸・横浜規模の都市に成長していたことでしょう。
今でも、積み上げられたレンガやその岸の一部は残っています。
何十年振りに行って見ようかと思いました。
いずれその時にでも、写真をアップしたいと思います。
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