一話はこちらです
この伝説について、得た情報はわずかなものでした。
唯一出版されてた、佐々木徳次郎さんの昔話の本は絶版で取り寄せることも出来ず、
他の本を探しましたが、発見出来ませんでした。
河南町は、近年の合併により石巻市に統合され旧ホームページもクローズされてしまいました。
しかしHPには、伝説については記されていましたが、神社については触れていなかったようです。
この石碑の裏には、
霊峰旭山に鎮座する 桃太郎神社は、日本人の心をあたたかく護る
ふるさとの宮居であります。
この度、北村、大沢出身で旭川市の相田利治氏の郷土愛に燃ゆる
篤志御寄付により鳥居を奉献し神域を尊嚴に整えることが出来れた
茲に氏に徳を讃え謹してみて録します。
昭和46年5月
旭峰 斉藤荘次郎 識
内閣総理大臣 岸 信介さんの書のようです。
神社の社殿については、全く記されておらず、祀られた時期もわかりません。
中の神棚は新しくしたようですね。
気になるのは、右側の削られた「田xx神社」の文字???
有志の方々が祀られたのでしょうか?・・・しばらくこれは宿題と言うことでお時間下さい。
私が行った時は、歌碑はなかったのですが、
祠の側に歌碑が建っていましたが、裏側に昭和32年斎藤荘次郎建立と刻まれてありました。
と言う記事のHPがあります。
それでは、どんな伝説だったのでしょう
この地域の物語の流れは、ごく一般的なもののようです。
しかし、違うのは後日談があるようです・・・・
標準語に訳させていただきます。
桃太郎は・・・・・鬼ケ島に行って鬼征伐をして、犬、猿、雉を連れて帰って
来て、お爺さんとお婆を喜ばせ、めでたしめでたしで終るのが殆どの桃太郎
話ですけれど、その後の桃太郎はね、日本で俺くらい強い者はいないと慢心
して、犬や猿や雉を相手にして、毎日酒盛りして遊んでいたそうです。
鬼は、悪い事をして貯えた物だけれども、あんな若僧に持って行かれてしまった。
いつも酒ばかり飲んで悪事をしてきた罰だけれども、
このまま引っ込んではいられない、と思い虎の皮の褌を引き締めて、
捩り鉢巻きで一所懸命働いたそうです。
そうして、すっかり準備ができてから、舟を仕立てて宝物を取り返しに
行ったそうです。
桃太郎は毎日酒ばりくらっていたので、体がなまってしまい、
犬も猿も雉も酔っ払っていましたから、鬼共に負けてしまったそうです。
鬼共は宝物を取りかえし、意気揚揚と帰って行ったそうです。
桃太郎をはじめ、犬と猿と雉は傷だらげになって、それから桃太郎は
心を入れ替えて、一所懸命働いたんだとさ。
佐々木徳次郎さんの著書を見ると、昔話を話してくれた人達のお名前や地名が
書いてあります。
この話も、実際の話を録音され、それを活字にしたようです。
何故、この地に桃太郎伝説が生まれたのでしょう。
これは、私がもしかして・・・・・と思った。
理由と同じなのかも知れません。
それは、まず地名です。
この河南町周辺は桃生郡と言います。
発音は『モノウグン』です。
お隣には、桃生郡桃生町もあります。
「桃から生まれる町」なんて誰でも、桃太郎を想像するのでは、ないでしょうか
それから、大事な『鬼ケ島』の存在ですが
牡鹿半島沖に金華山と言う島があります。
3年続けて参拝すると、お金に不自由しないと言われております。
私も数回行きましたが、船着き場から、すぐ山になり鹿がたくさんいます。
フンだらけ
神社は、もちろん山の上なので、キツイかも?
日本で最初に金が発見されたところと一般的に思われてますが、最初に発見され
奈良の大仏さんに使われたのは、同じ宮城県ですが涌谷と言うところです。
そこには黄金山神社が鎮座してます。
この記事はここです日本で最初の金は
話がそれました。 と言うことで近くに絶好な島もあったのです。
私以外にも、同じ事を考えた人がいたのでしょうね。
実は、この地名の桃生(ものう)は、残念なことに・・・・・
「ものう」とはアイヌ語で「流域の丘」を意味する「モムヌプカ」が
モムノフモノウと訛ったもので、漢字は当て字であり、
桃太郎とは無関係だというのが定説のようです。
伝説とは何なんでしょうね?
都などで聞いた話を郷の者に言い伝え、変化し伝説になったり、消えてしまったり
でも、伝説は人を楽しませ、想像を膨らませてくれますね。
だから歴史はおもしろい
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後日談もそうですが、考えてみれば、鬼が島の鬼は、何も悪さはしてないんですよね。
ただ、鬼というだけで桃太郎の征伐を受けて、宝を取り上げられる。
子供の頃は、鬼は無条件に悪い奴等だと思っていましたが、今にして思うと、侵略の正当化?
でも、桃太郎が猿・キジ・犬と飲み明かして
なまくらになって鬼にやっつけられたなんて
昔話は何かの教えなんですね。
昔は日本人の平均身長は低かったでしょうから、赤ら顔の外国人は全て赤鬼にみえたのだと思います。
だから、鬼伝説は海岸沿いに多い。
こうやって考えると伝説も面白いですよね。
ひーさんの記事もいつも勉強になります。
権力者が
正当化のために
そういう風に
そうしてみると
出雲の国譲り~ますます 謎ですね (^_-)-☆
柳田先生なんかは、ここに触れてないのかなぁ?
朝から楽しく桃太郎伝説を拝読しています。
やはり伝説って明るくて楽しい物はいいですね
桃太郎神社の石碑に書かれている
(日本人の心をあたたかくし護るふるさとの宮居)
良い言葉ですね
実は、鬼に関する神社もあり、それも調べようかと思いましたが、区切って考えることにしました。
鬼にまつわる、祭りや伝説は、日本中にありますからね・・・
昔話や民話は遠回りにいろんな教えを伝承しているのかもしれませんね。
そう思います。
ただ、鬼にも種類があるようで悪役になっている昔話の鬼と、祭りや行事・踊りになっている鬼とは、またチョット、ニュアンスが違うような?
例えば、秋田男鹿のなまはげは神の使いとされています。あそこにも鬼が階段を作る面白い話があるのですが、いずれ写真を添えて記事にしたいとおもいます。
日本海側に鬼の話が多いようですね。
でもこれは、製鉄の神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と関連があるのでは? あ~私には難しい~
日本海に鬼伝説は多いと聞きます。
秋田の「なまはげ」も神の使いとされています。