ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

三田貝分校・・・道の駅

2010年07月09日 20時05分17秒 | 岩手県の散歩道
盛岡から、455号線を太平洋側に向かいました。
最初に見えて来るのは外山ダム。民謡外山節の発祥の地ですね。
またしばらく行くと岩洞湖が見えてきます。

途中の山間の家はこのような感じで放牧をしています。
まだまだ茅葺の家が残っています。
ここは、旧小本街道で塩の道と呼ばれました。
太平洋から塩をベコ(牛)に乗せて運んだのですね。
そこで出来た歌が南部牛追い歌ですね。





あーさんスタイルで・・・  

           茅葺は朽ち果て雑草の上から頭を出しています。

茅葺の建物は、この街道より一本南側の区界峠の方が多かったような。?
あそこは、山田線が走ってますのでいつかゆっくり行きたいと思っています。

この二本の道路は、よく走りました。
旧小本街道は、早坂高原を過ぎると急斜面のくねくね道があり、秋口になると早く雪が降るこの峠は恐怖でもありました。
アイスバーンになったら命がけですよ。
早坂高原では必ずトイレ休憩をします。周囲には白樺の林があり、平地とは別世界です。

そんないつもの感覚で行ったのですが、トンネルを抜けたらなんと山の下に抜けたではありませんか??????

そうか!!昔、工事をしていたトンネルが完成してそのトンネルを抜けてきたのだ。

便利になったけどちょっと寂しかったですね。

すると、広々とした駐車場が見えてきました。 どうやら道の駅のようです。

あら? 学校?




参観日は17時30分までですよ。


なんと売店は「購買部」 レストランは「給食室」です。



外には黒板が・・・・   昔の写真も展示していました。



給食室のメニューにはこんなものも・・・



なんとテーブルは学校の机ですよ。





グットアイディアですね。

コメント (16)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三ツ石神社と鬼の手形 | トップ | 青の洞窟in岩手(龍泉洞) »
最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お晩です (あーさん)
2010-07-09 21:58:57
拙はオーストラリアン・イェイのつもりなのに
親指あいたた などとイケズを言うブロ友が ww


なかなか面白いアイディア チョット寄りたくなる雰囲気ですねぇ


ロケーションが解りませんが参観の人、チト少なさそう  ?
返信する
Unknown (桃源児)
2010-07-09 23:18:28
子供に戻ったような気分に浸れそうですね。
分校を道の駅に、いいアイディアです。
学校の机と椅子、大人には少し窮屈になっているかもしれませんね。
返信する
桃源児さんへ (ひー)
2010-07-09 23:32:17
あの机は中学や高校の時に使ったものと同じようです。
だから然程窮屈ではありませんでした。
子供の頃、先生が使った大きなコンパスや定規が懐かしく感じました。
返信する
で、給食は残さず食べたのでしょうか? (クロンシュタット)
2010-07-10 06:00:13
近年「道の駅」がますます充実してきていますね。
「鉄の駅」が凋落の一途なのに・・・悔しいです!

で、山田線のことがチラリと。ものすごい路線ですよね。
本数も少なけりゃ、ずーっと山の中ばかりで、さらに、人が住んでないために停車駅が少なくて・・・
そんで支線の岩泉線は「秘境駅」上位の「押角駅」で有名な、「鉄の聖地」。どうやって駅の乗降が成り立っているのか・・・
どちらの路線も2往復している私も、まあナンですが・・・

返信する
おはようございます。 (sidu-haha)
2010-07-10 07:27:47
ああ~^行ったことがありました~
分校~こうして残っていてうれしいですね。
この頃は廃校が目につきますね~
返信する
クロさんへ (ひー)
2010-07-10 08:38:45
今回は、意識して見てきましたが、鉄橋が多く、どこも、国道から簡単に撮影できます。
問題は、列車を待つ時間の長さです。
おにぎり持って行きますよ。
返信する
まさに給食! (丹治)
2010-07-10 08:45:56
分校の建物をそのまま道の駅にしちゃったのがいいですネ。
「購買部」に「給食室」ですか。
思わずクスリとしてしまいます。
これでコッペパンにクジラの竜田揚げ、クリームシチュー風のスープなんかが出てきたら、
まさに給食ですよ。

今回の農家の風景など、宮沢賢治の世界そのものですね。
母方の伯母の一家が宮古にいたことがあり、
夏休みというと家族で遊びに行っておりました。

当時は急行「陸中」号があり、花巻経由でした
(仙台を出る時は、盛行きの「むろね」と盛岡行き?の「たざわ」が一緒でしたね)。
それで妙なこだわりができて、
「宮古に行く時は釜石線経由」と決めています(途中に遠野もあるし)。
もちろん、盛岡~宮古の山田線ものったことがあります(車でも一度)。
クロンシュタットさんの仰るように、
盛岡~宮古間のほうが花巻~釜石間よりも山が深いようなきがします。
このあたり、宮古と釜石に機関区があり、
昭和四十四年まで(用十五年の春?)C58型が走っていましたね。

返信する
sidu‐hanaさんへ (ひー)
2010-07-10 09:02:03
分校風に新しく作られた感じですね。
本当は藪川の話しを書きたかったのですが、貧しい生活や環境の話は暗くなるので…学校給食制度の発端であるとも聞きました。
また、下閉伊郡にも平家落人の話しを聞きます。また、高島忠夫のお爺さんの家もあるとか話題は尽きません。
返信する
丹治さんへ (ひー)
2010-07-10 09:53:59
中は綺麗でしたので、跡地に新しく造ったのだと思います。
裏には、体育館がありました。

給食には竜田揚げが良くでました。
あのシチューは変な味だった記憶があります。
ミルクは脱脂粉乳でこぼしたミルクを拭いた雑巾はすごい臭いになっていましたよ。
残したパンを集めて、犬に食べさせたこともありましたね~。
遠い昔の話しです。
返信する
Unknown (ぱせり)
2010-07-10 11:00:19
おはようございます。

こういうの 好きです、 面白いですよねー♪
給食室に購買部!!  グッド☆です。

岩手までは行けないから 近くでやってっくんないかなー・・・
ぽち!
返信する

コメントを投稿

岩手県の散歩道」カテゴリの最新記事