賀茂神社 宮城県指定有形文化財 昭和39年9月4日指定
鎮座地・宮城県仙台市泉区古内字糺1
主祭神
下賀茂神社:鴨建角身命(かもたけつねみのみこと)・多々須玉依姫(ただちたまよりひめ)
上賀茂神社:別雷命(わけいかづちのみこと)
伊達政宗は慶長12年(1607)鹽竃神社の社殿を造営した際、その境内に下賀茂・貴船の両社殿も造営したが、その後四代綱村の時に鹽竃神社の縁起を考証した結果、下賀茂・貴船の両社は元来関係がないことがわかり、神占によって貴船神社は小角村に、下賀茂神社は古内村の現在地に遷宮された。
賀茂神社は同所に更に上賀茂神社を勧請して完成したものである。
向って右側が下賀茂神社(御祖神社みおや・東の宮とも言う)、左側が上賀茂神社(別雷神社わけいかづち・西の宮とも言う)である。
両社共に茅葺屋根の一間社流造で、三方に縁を巡らし、階段下に浜床を備え正面に両開桟唐戸を吊り、木部は京都の本社にならい朱塗りが施された江戸中期の賢実な作風をよく残した貴重な建物である。
真面目に説明版を読んでいる振りをするひーさんww
この草「竜の髭」とカミさんが言ってました。
この門は、鹽竃神社にあったもののようです。
茅葺の屋根がいいですね。 珍しいと思います。
上賀茂神社 下賀茂神社
下賀茂神社は木鼻が龍です。
向拝の蟇股(かえるまた)が雌鳥です。
上賀茂神社は木鼻が象です。
向拝の蟇股が雄鶏です。
創建時の棟札によれば、下賀茂神社は元禄9年(1696)、上賀茂神社は元禄10年(1697)に、いずれも内藤五左衛門藤原俊広を大工として建てられている。
その後修理が繰り返されている。
伊達家の家紋がキラリと光ります。
境内には、神輿堂
境内社に八咫烏社
道祖神
道祖神を見ると、体制側に抹殺された出雲の大先祖クナトの大神を思い出します。
古代出雲の秘密
長くなりましたが、もう一つだけ書いておかなければならないことがあります。
ここの地名は古内と申しますが、実は古内氏の領地でありこの古内一族の中で有名なのが、古内志摩重如です。
この御方は4代藩主伊達綱村の時の家老(国家老)であり、寛文事件(伊達騒動)の刃傷沙汰の事件現場に居合わせた唯一の生き残りだそうです。
この場所が古内志摩の屋敷跡だそうです。
この方の子孫の方は泉区にいらっしゃるようです。
伊達騒動(寛文事件)
追記
この記事は九年前に書いたものですが、先日立ち寄ってきましたので写真を追加します。2018年11月のものです。
この時社務所を工事していまして、我が家を建ててくれた建設会社です。その後まもなく完成しました。
狛犬は狛犬編として次回UPさせていただきます。クリック
鎮座地・宮城県仙台市泉区古内字糺1
主祭神
下賀茂神社:鴨建角身命(かもたけつねみのみこと)・多々須玉依姫(ただちたまよりひめ)
上賀茂神社:別雷命(わけいかづちのみこと)
伊達政宗は慶長12年(1607)鹽竃神社の社殿を造営した際、その境内に下賀茂・貴船の両社殿も造営したが、その後四代綱村の時に鹽竃神社の縁起を考証した結果、下賀茂・貴船の両社は元来関係がないことがわかり、神占によって貴船神社は小角村に、下賀茂神社は古内村の現在地に遷宮された。
賀茂神社は同所に更に上賀茂神社を勧請して完成したものである。
向って右側が下賀茂神社(御祖神社みおや・東の宮とも言う)、左側が上賀茂神社(別雷神社わけいかづち・西の宮とも言う)である。
両社共に茅葺屋根の一間社流造で、三方に縁を巡らし、階段下に浜床を備え正面に両開桟唐戸を吊り、木部は京都の本社にならい朱塗りが施された江戸中期の賢実な作風をよく残した貴重な建物である。
真面目に説明版を読んでいる振りをするひーさんww
この草「竜の髭」とカミさんが言ってました。
この門は、鹽竃神社にあったもののようです。
茅葺の屋根がいいですね。 珍しいと思います。
上賀茂神社 下賀茂神社
下賀茂神社は木鼻が龍です。
向拝の蟇股(かえるまた)が雌鳥です。
上賀茂神社は木鼻が象です。
向拝の蟇股が雄鶏です。
創建時の棟札によれば、下賀茂神社は元禄9年(1696)、上賀茂神社は元禄10年(1697)に、いずれも内藤五左衛門藤原俊広を大工として建てられている。
その後修理が繰り返されている。
伊達家の家紋がキラリと光ります。
境内には、神輿堂
境内社に八咫烏社
道祖神
道祖神を見ると、体制側に抹殺された出雲の大先祖クナトの大神を思い出します。
古代出雲の秘密
長くなりましたが、もう一つだけ書いておかなければならないことがあります。
ここの地名は古内と申しますが、実は古内氏の領地でありこの古内一族の中で有名なのが、古内志摩重如です。
この御方は4代藩主伊達綱村の時の家老(国家老)であり、寛文事件(伊達騒動)の刃傷沙汰の事件現場に居合わせた唯一の生き残りだそうです。
この場所が古内志摩の屋敷跡だそうです。
この方の子孫の方は泉区にいらっしゃるようです。
伊達騒動(寛文事件)
追記
この記事は九年前に書いたものですが、先日立ち寄ってきましたので写真を追加します。2018年11月のものです。
この時社務所を工事していまして、我が家を建ててくれた建設会社です。その後まもなく完成しました。
狛犬は狛犬編として次回UPさせていただきます。クリック
神社の祭りとして行われるんですね
呼び方は違いますが、全国にありますね。
やはりぶらり自転車で走っておりまして、マークした地図をなくしてしまって途方に暮れておりました。泉のあたりは地理にはうとく、コンビニもなかった時代でしたから。「適当に走っていたらなんとかなるっちゃ」といつもの様には行かなくなりました。
この神社の前でようやく(残りの地図にあったので)自分のいる場所が分かったのでした。
夕方近くで中まで行きませんでした。
中の様子を初めて知りました。
30年前の小雨のふる五月。確かそんな日だったと思います。
なんであんな遠くにと感じたものです。
団地が団地や宅地がドンドン増えていたころかも知れませんね。
行きたい神社の一つでしたが、いつでも行けると思うとなかなか行けないものです。
先週、京都へ行ったのに、上下賀茂、寄れませんでした
次回は、本家を ww
京都に行ったら帰りたく無くなりますね。