ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

片倉喜多の墓

2010年05月25日 21時14分47秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
少納言喜多の墓
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の中で竹下景子さんが演じた「喜多」です。
献身的に伊達家に仕えた知的な喜多は、印象深くまた、政宗を立派な武将に育てた喜多の姿は親として母としてあやかりたいものがあります。
そんなことから、墓石はお参りに来た人々が削っていったようで、かなり小さく歪になっていました。


片倉代々記によると、父は鬼庭周防良直・母は本澤直子の一女で貞山公(伊達政宗)の御乳母となり少納言喜多と称されていたとある。
喜多の母は鬼庭と離別後、片倉式部景重と再婚、小十郎景綱を生み喜多は、異父姉となった。
喜多は伊達輝宗に政宗の乳母を任じられているが、未婚の女性であったため、乳母というより保育・教育の係りであったと考えられている。
そして政宗の名君としての素地・人格形成に強い影響を与えた。
後生政宗の最も信頼を得た武将としての弟小十郎の母代わりとして、その育成に大きく貢献したと伝えられている。
白地黒鐘の大馬験をなびかせ縦横に戦場を疾駆し伊達に知将片倉小十郎ありと嘆せしめたが、この黒鐘の大馬験も「その名を天下に鳴り響かせよ」という姉喜多の弟への励ましの作であったと伝えられている。
現在、この黒鐘は白石市の市章となっている。
国元に蟄居後の日常の動向は明らかではないが晩年はこの地に草堂を結び余生を送り、慶長十五年(1610)七月、七十二歳で亡くなっている。
喜多のすぐれた人柄や事跡ついては、伝承として数多く語られているが、その生涯を明らかにする資料や実像を伝える資料は少なく、しかも少しずつ異なっている。
少納言の称号も朝廷から任じられた記録はなく、残された資料から見ると理由は明らかでないが早くから少納言と呼ばれていた。
名前も「喜多子」とする資料もあるが「喜多」が正称であったと考えられる。
いずれにしても仙台藩祖・名君政宗を保育し、白石城主・片倉氏160年の繁栄の基を築いた賢婦人であったが、その生涯については謎の多い女傑であったといえよう。





ご覧の通り、削られていますね・・・・



観音堂



実はこのお堂や狛犬も居たのですが、廃墟同然でした。
もう少し手厚く保護してほしいものです。

ここは滝の観音と言われる観音堂ですが、造りを見ると奥に神殿があり神社のようでもあります。








延享五年四月吉日とあります。
辰の文字が見えますので、この年は寛延元年でもありますね。
この年の7月12日に年号が変わっていますから、この狛犬は四月なので延享五年でOKです。
この時代の将軍は徳川9代家重です。 1748年


かなり風化浸食が激しく、可哀相になりますね。




手水社なのでしょうか?

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HP伊達政宗と仙台藩


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10 コメント

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桃源児さんへ (ひー)
2010-05-27 18:34:12
白石の街が現在人気になっています。
勿論片倉小十郎のお蔭でしょう。またそれを育てた喜多も大きく白石に貢献したはずです。
もう少し手厚く保護して欲しいものですね。
返信する
Unknown (桃源児)
2010-05-27 09:34:55
日本では昔から有名人のお墓を削るという風習がありますね。
削って、その粉を飲むとか?
摩滅した狛犬に朽ちた手水舎、物悲しさも感じてしまいます。
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いっくさんへ (ひー)
2010-05-27 00:39:27
ほんとに廃墟でした。
一度記事になんとかして欲しいと書きましたが、どこまで喜多と関係があるのか分からなくて削除しました。
狛犬の年号から見るとかなり後なので?
でも後から置いたかも知れないので?なんとも言えませんがね。
返信する
Unknown (ほでなすいっく)
2010-05-26 23:09:22
大河ドラマの喜多、覚えてますよ

ちょっとさびしい場所ですね
もう少しお手入れしててほしいです
片倉家なのに伊達家の紋ですね
返信する
丹治さんへ (ひー)
2010-05-26 20:57:02
流石丹治さん、気付きましたね。
触れなかったのですが、私もいち早くそこに目が行きました。
伊達家に尽くしただけありますね。
このすぐ近くに愛姫の父、田村の墓もありましたが寄らずに帰って来ました。
返信する
ほっとします (丹治)
2010-05-26 17:41:16
戊辰の役の幕府軍戦死者を弔った函館の碧血碑もそうですが、
滅多に人が訪れぬような墓や供養塔に花や千羽鶴が供えてあると、
ほっとします。

『独眼竜政宗』の竹下景子さん演じる喜多は、
今でもはっきりと覚えています(愛姫や猫御前よりも好きでした)。

この紋、竪三引両ですね。
伊達家の紋所です。
片倉家の紋は上り藤に井桁。
伊達家の紋を墓石に刻むことが許されたことに、
喜多に対する政宗の浅くない感謝を見る思いがします。

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維真尽さんへ (ひー)
2010-05-26 16:32:57
喜多は大河ドラマの中でも忠義であり、自分の身辺にいたら頼もしいですね。
非常に信頼のおける人物です。
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やはり~ (維真尽(^.^))
2010-05-26 12:45:12
母親の影響は おおきいですね

どんな女傑か
見てみたい気がしますね (^_-)~☆
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クロンシュタットさんへ (ひー)
2010-05-26 09:12:44
ありゃ~
こりゃ~失礼! 世の中江戸時代の人がたくさん居ることになりますねwww
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のんびりどこかをめぐりたい (クロンシュタット)
2010-05-26 05:26:51
確かに荒れ果てていますね。不気味なくらいです。
でもかえって「とわの棲みか」としては良いことなのかもしれません。
ただし住まいとしての草堂の場所では寂しすぎます。

竹下景子さんも「ゲゲゲ」の母親役ではずいぶんと昔の役柄と変わってしまいました。
まあ、それであっての俳優の仕事なのでしょうね。

ところで家重の時代が1948年ならば、今はまだ徳川の御世ってこと?へへへへへ・・・
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