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仕事の関係で近くまで行ったので立ち寄りました。
カメラを持って行かなかったので今回は携帯での写真です。
ここは市営地下鉄の富沢車庫の入り口にあります。
大正15(1926)年11月25日
待ちにまった木造製の四輪単車の市電が仙台の街を駆け抜けた。
最初営業を始めたのは大町一丁目~仙台駅前~荒町間の3.3km。
昭和3年(1928)年になると市内循環線と芭蕉の辻線が完成する。
その後延長され、長町・八幡町・北仙台・原町各線の総営業キロは16kmになりました。
開通翌日の河北新報の記事です。
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大正15年9月に川崎造船所で新造された木造四輪単車。大正15年11月25日の市電創業の時から約40年にわたり、仙台市民の足として大いに活躍しました。昭和51年の市電廃止時には創業当時の姿に修復されてお別れ運転を行いました。
1号車(モハI型)
•定員:40人(内座席18人)
•最大寸法:7,924mm(長)×2,200mm(幅)×3,518mm(高)
•自重:7.63t
•速度:28.2km/h
•製造価格:9,450円
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制御器(コントローラー)
直接直並列式制御器ですが、仙台市電はすべてこのタイプを使用していたそうです。
中央の主ハ ンドルで抵抗及び電動機の直並列制御を行い、電車の速度を調節します。
また、主ハンドルを逆方向に操作することにより非常用電気ブレーキが作用するように なっています。右側のリバースハンドルは前後進の方向転換を行います。
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123号車(モハ100型)
100型は仙台市電では最初の大型車です。
123号車は昭和28年3月に新潟鉄工場で新造された半鋼製二軸ボギー車。
市電廃止まで長く主力電車として活躍しました。
•定員:84人(内座席28人)
•最大寸法:11,400mm(長)×2,174mm(幅)×3,665mm(高)
•自重:14.0t
•速度:21.0km/h
•製造価格:700万円
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415号車(モハ400型)
昭和38年4月に日本車両製造所で製作された全鋼製二軸ボギー車。
仙台市電最後の新造車です。
軽量化と自動車部品を取り入れて保守性の向上を図っていました。
•定員:84人(内座席28人)
•最大寸法:11,900mm(長)×2,200mm(幅)×3,725mm(高)
•自重:13.7t
•速度:23.8km
•製造価格:895万円
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運転台は進化が見れますね。
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この料金箱ですが、バスの料金箱とさほど変わりませんね。
バスや地下鉄のIC化は後3~4年掛かるでしょうが、そのメンテナンスコストは数億でしょう?
また導入にも想像以上の金額になると思います。
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昭和51(1976)年3月31日
マイカーブームや自動車の普及は道路を混雑させ、定時制が確保できなくなったことから、市電の利用者は年々減少していきました。
幾多の苦難を乗り越え、走り続けた市電は、時代の流れと交通環境の変化には勝てず、その幕を閉じることとなりました。
この仲間は今でも現役で広島とか長崎で働いているのではないでしょうか?
私が18の春でした。(笑)
PS:市電の廃線に伴い計画されたのが地下鉄ですが、現在平成27年を目指して東西線を建設中ですね。
これには、モノレール計画もあったようです。 ルートも以前は違っていたのですが、地下を通る為には大きな幹線道路の下を走ることになります。 ですから、新寺や産業道路の下を走ることになったのですね。
カメラを持って行かなかったので今回は携帯での写真です。
ここは市営地下鉄の富沢車庫の入り口にあります。
大正15(1926)年11月25日
待ちにまった木造製の四輪単車の市電が仙台の街を駆け抜けた。
最初営業を始めたのは大町一丁目~仙台駅前~荒町間の3.3km。
昭和3年(1928)年になると市内循環線と芭蕉の辻線が完成する。
その後延長され、長町・八幡町・北仙台・原町各線の総営業キロは16kmになりました。
開通翌日の河北新報の記事です。
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大正15年9月に川崎造船所で新造された木造四輪単車。大正15年11月25日の市電創業の時から約40年にわたり、仙台市民の足として大いに活躍しました。昭和51年の市電廃止時には創業当時の姿に修復されてお別れ運転を行いました。
1号車(モハI型)
•定員:40人(内座席18人)
•最大寸法:7,924mm(長)×2,200mm(幅)×3,518mm(高)
•自重:7.63t
•速度:28.2km/h
•製造価格:9,450円
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制御器(コントローラー)
直接直並列式制御器ですが、仙台市電はすべてこのタイプを使用していたそうです。
中央の主ハ ンドルで抵抗及び電動機の直並列制御を行い、電車の速度を調節します。
また、主ハンドルを逆方向に操作することにより非常用電気ブレーキが作用するように なっています。右側のリバースハンドルは前後進の方向転換を行います。
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123号車(モハ100型)
100型は仙台市電では最初の大型車です。
123号車は昭和28年3月に新潟鉄工場で新造された半鋼製二軸ボギー車。
市電廃止まで長く主力電車として活躍しました。
•定員:84人(内座席28人)
•最大寸法:11,400mm(長)×2,174mm(幅)×3,665mm(高)
•自重:14.0t
•速度:21.0km/h
•製造価格:700万円
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415号車(モハ400型)
昭和38年4月に日本車両製造所で製作された全鋼製二軸ボギー車。
仙台市電最後の新造車です。
軽量化と自動車部品を取り入れて保守性の向上を図っていました。
•定員:84人(内座席28人)
•最大寸法:11,900mm(長)×2,200mm(幅)×3,725mm(高)
•自重:13.7t
•速度:23.8km
•製造価格:895万円
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運転台は進化が見れますね。
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この料金箱ですが、バスの料金箱とさほど変わりませんね。
バスや地下鉄のIC化は後3~4年掛かるでしょうが、そのメンテナンスコストは数億でしょう?
また導入にも想像以上の金額になると思います。
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昭和51(1976)年3月31日
マイカーブームや自動車の普及は道路を混雑させ、定時制が確保できなくなったことから、市電の利用者は年々減少していきました。
幾多の苦難を乗り越え、走り続けた市電は、時代の流れと交通環境の変化には勝てず、その幕を閉じることとなりました。
この仲間は今でも現役で広島とか長崎で働いているのではないでしょうか?
私が18の春でした。(笑)
PS:市電の廃線に伴い計画されたのが地下鉄ですが、現在平成27年を目指して東西線を建設中ですね。
これには、モノレール計画もあったようです。 ルートも以前は違っていたのですが、地下を通る為には大きな幹線道路の下を走ることになります。 ですから、新寺や産業道路の下を走ることになったのですね。
道路の真ん中に島があるから、確かにスリル満点かも?
そのOBも気持ち良かったっちゃね。
まさか、この電車を異国の地で運転できるとは夢のような話だっちゃ。
花電車を見損ないましたか。
オイラは見ていましたよ。
まさかここに縁があるとはね。
市電を降りて歩道に渡るのがスリルだったなと記憶してます。
母と花電車を見に行ったことを思い出しました。
この博物館は子どもがヨチヨチ歩きのときに行きましたよ。
小さなスペースだけど見ごたえあったなぁ~
また思い出に浸りに出かけたいです。
昔市電の運転手をしてた知り合いがいるんだけど
その人は、市電が廃止になってから何年も過ぎて自分が定年になった時に
記念にそれを見に行って「オレは昔こいつのドライバーだったんだ!」と言ったんだと。
そしたら向こうの係が「ちょっと待ってろ!」と言いながら架線に通電して
園内を運転させてくれたんだってっさ。
ちんちん電車
広島でのりました
そういえば (^_-)~☆
よく見れば軌道も歪んでいますからね。
子供の頃は、どこか優越感のような感じといいますか、車を上から見下ろしていたからでしょうか?
確かにカーブは楽しいかも、乗り継ぎが良くわからなくて右往左往でした。
チンチン電車も大きな街では邪魔者扱いですね。
そういえば、まだ走っていた頃、車を運転していました。
一時、高校生の時に花電車を見た記憶でしたが、間違いでした。
冬は線路が滑って大変でした。
あの軌道の上に、アスファルトをのっけただけでした。
仙台は急激に発展し今も尚進化していますが、無くしていったものは大きいですね。
そうそう追記して置きますが、モノレール計画もあったんですよ。
無くなる直前まで使ってました。
朝遅刻しそうな時は大助かりでした。
市電がなくなった後、グリーンバスが走りましたが、少し到着が遅くなったような気がしました。独特の揺れ方が、また懐かしいです。
花京院の交差点を曲がるとき、スピードが出ていると結構グゥーンって感じでした。
チンチン電車と愛称されたっけ ♪
路面電車は広島と函館で乗ったなぁ