ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

さんさ時雨とその由来?

2009年01月20日 13時00分44秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
さんさ時雨


この画像しか無かったのでご了承いただきたい。
唄だけでも聴いて下さい。

「さんさ時雨」は宮城県の「君が代」と言われるほど、県民に馴染みの民謡です。
また、東北の民謡としても有名です。

この曲もまた、私の子守唄の一つでしたね。
親父が仲間を呼んで酒盛りをすれば、この「さんさ時雨」や「斎太郎節」・「松の木小唄」・「お座敷小唄」を狭い借家の隣の部屋で、聴きながら寝たものです。

特に「さんさ時雨」は祝いの席では、欠かせない唄で、結婚式や新築など人が集まり酒盛りが始まれば、自然に唄い出すのです。
私も、誰に教えられたわけでもないのに、唄えるようになっていました。

さて、それではどこでこの唄は生まれたのでしょう。

前回の記事で、摺上原の戦いが出てきましたが、実はこの戦いに由来してきます。

摺上原の戦いで勝利した政宗は、黒川城(会津若松城:鶴ヶ城)に入城した日のことです。
この日は、小雨が降っていたといいます。
その時一族の伊達重宗が即行で唄いました。

音もせで茅野(かやの)の夜の時雨来て
           袖にさんさとぬれかからぬらん


と歌ったいう。
また一説では、摺上原に出陣する際に露営つれづれに伊達重宗が詠んだとも言われています。
これを政宗が気に入り、七七七五調に整えて家臣に節を付けさせたのが「さんさ時雨」の元歌となったといいます。
歌詞の中の「ショウガイナー」と言うのは、「勝凱」しょうがい!
つまり、「勝って凱旋」の意味だといわれています。


祝い歌ですが、この歌は会津で歌うと顰蹙を買いますのでご注意を!


ネットで歌詞を探したらなんか? 間違ってます。
音楽家が音を聞いて書いたのですかね? それなのにコピーは著作権がどうのこうの・・笑っちゃいます。 それに、1番と3番しか書いていません!
しゃくなので、私が宮城のさんさ時雨を書きます。
 これが本当のさんさ時雨だ!

さんさ時雨(歌詞)宮城

さんさ時雨か 茅野の雨か
音もせで来て 濡れかかる
ショウガイナー
ハァ メデタイ メデタイ

この家座敷は 目出度い座敷 
鶴と亀とが 舞い遊ぶ
ショウガイナー
ハァ メデタイ メデタイ

雉子(きじ)のめん鳥 小松の下で
つまを呼ぶ声 千代千代と
ショウガイナー
ハァ メデタイ メデタイ


さんさ振れ振れ 五尺の袖を
今宵振らいで いつの夜に
ショウガイナー
ハァ メデタイ メデタイ

武蔵鐙に 紫手綱
かけて乗りたや 春駒に
ショウガイナー
ハァ メデタイ メデタイ

飲めや大黒 うたえや恵比寿
中で酌とる 宇迦の神
ショウガイナー
ハァ メデタイ メデタイ


普通は3番くらいでやめますが、みんな自分の歌を聞かせたい為に、次々と歌詞が出てきます。
いわゆる替え歌ですね。 お囃子などは、ハァーヤーチョ ヤーチョなどとも入ります。

昔は、カラオケがありませんから、宴の席でも民謡が出たことでしょう。

この難しい調子の曲は覚えにくく、転勤族のサラリーマンが仙台に来て覚えた頃には、又転勤の時期になると言われてました。
つまり2・3年掛かるということですね。





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23 コメント

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歌えるように、踊れるように (丹治)
2009-01-20 15:11:07
さんさ時雨・・・歌えるように、そして踊れるようになりたいです。

何でもこの歌、祝いの席ではまず最長老が歌うのだと聞いたことがあります。

ところで塩竈神社の御神馬ですが、栗毛に七つの白い星。そして人を乗せたことも荷物を運んだこともないというのが条件だそうです。

先ごろ亡くなった御神馬は、四つの足首と鼻筋他二箇所が白だったそうです(残り二箇所は残念ながら失念)。
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丹治さんへ (ひー)
2009-01-20 15:49:48
御神馬・・ありがとうございます。
やはり、そんな感じですね。
確かあの馬、子供を蹴って事件を起こしたことがあったはず?

ところで、さんさ時雨、覚えないと宮城の非国民と言われますよ。
あっ!会津で歌って駄目なの書くの忘れました。
追記しておきます。
返信する
私の場合 (papiee)
2009-01-20 18:01:50
曲どころか
歌詞を覚える事も自信ない~。
最近、物覚えが悪くて
覚えるのに2・3年どころか
何年かかるのだろ~
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はぁ~やっちょやっちょやっちょ~な♪ (ぐずら)
2009-01-20 19:39:36
昔オラの上司に宴会で必ず
さんさ♪しぐれ♪か~♪
かやの♪のあめ♪か~♪
と331拍子で「ドドンパさんさ時雨」っちゅうのを唄う課長がいました。

ちなみに、この課長のもう一つの十八番は
「米節」でした。
はぁ~♪米という字を分析すればぁ~♪
八十八たびの手が掛かるぅ~♪
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歌えます (オズ)
2009-01-20 20:47:59
父がまだ居た頃、
よく歌っていた定番の曲、
私も覚えてしまい、サラで歌えますよ。
それと「大黒舞」も歌ってましたね。

会津では、この歌禁句と転勤節の話は、
知ってました。
最近カラオケがはびこってから、トンと聞かなくなりました。懐かしい限りです。
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papieeさんへ (ひー)
2009-01-20 21:48:52
今は聞く機会も、歌うことも無くなりましたね。
必要ないといえば必要ないけど、失いたくないものですね、民謡全体のことですが。
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ぐずらさんへ (ひー)
2009-01-20 21:53:46
米節も流行ったね~
どんパン節は即行で替え歌をどんどん歌えますよ。短くて、簡単なテンポだからね。
そのうちどんパン節の発祥地を案内します。
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オズさんへ (ひー)
2009-01-20 21:57:05
ホントですね。
新しいものが入ると、古いものが消えてしまいますね。後世に伝えないと!
やはり田沢湖で歌うべきでした。
お嬢さんに受け継いでください。
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まさに~ (維真尽(^^))
2009-01-20 21:59:33
めでたいですね (^^♪

こちらでいう~
安来節~関の五本松 です~ね (^_-)-☆
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維真尽さんへ (ひー)
2009-01-20 22:03:27
安来節で想い出しました。
娘が五円玉を鼻に当て、学校の行事で踊ってたようです。
全国的に有名ですね。
維真尽さんもやられますか?
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