切羽詰まってるように見えるんだけど、
切羽詰まらない友人です。
使いまわしをさせていただきました。
昨日の雨があがり、晴れ間が出てきました。
併せて、温度も上がって来ました。
野菜たちには、天国のはずです。
今日のテーマは、「切羽詰まるを繰り返す」です。
切羽詰まる。とは、物事がさし迫る。全く窮する。最後のどたん場になる。
と広辞苑に出ていました。
なぜ、このようなことを書こうとしたのか。
暇があると、何からしようかとなります。
あれもしなけりゃ、これもしなけりゃとなります。
切羽詰まると、あがくようにその問題を片付けなければなりません。
だから、何でも良いからかかることです。
始めれば、片付けようとします。
そこそこやって、見通しが立てばすぐに止めます。
そして次の切羽詰まっていることに着手します。
片づけてと言うより、片っ端からかかります。
何事も待ったはありません。
始めると、続けるための切羽詰まったが次から次に押し寄せてきます。
そのことも片付けます。
面白くなるから続けられます。
続かないものは、止めます。
かからなければ面白いかどうか分かりません。
いつまでも面白いことの一つとして残ってしまいます。
残さないためにかかります。
消していくと言っても良いかもしれません。
切羽詰まることで、止める理由になり、忘れることができるようになります。
だから、かかります。
何でもかかります。
次から次に面白いようなことが浮かんできます。
浮き草をはびこらせないためにやるのです。
浮き草で、埋まってしまった池を見ることがあります。
どのくらい深いのか解りません。
植木は、風通しを良くした方が良いと聞きます。
風が抜けない植木は、魅力がありません。
林も森もそうです。
ブログもかかりました。
そして書き上げました。
一丁あがりてなもんです。
「切羽詰まるを繰り返す」のは、私なりに理由がありました。
私の生きざまは、「切羽詰まるを繰り返す」でした。
毎日、切羽詰まる。
だから健全でいられるような気がします。
先輩のお母さんは、子だくさん(7人)でした。
いつも走っていたと聞きました。
切羽詰まっていたのでしょう。走るほど。
忙しい人に物事は頼むものです。
片づけてくれるのが速いからです。
暇な人は、いつも暇です。
片づけてくれないから誰も頼みません。
切羽詰まることに負けないように生きたい。
駆け足は 気持ちが先か 走るが先
2016年6月17日
2015年4月4日投稿記事「この男、只ものならず」を参照してください。
いつも切羽詰まっている友人です。この男こそ、「切羽詰まる」を楽しんでいます。