
ザルツブルグで見た、窓の中のモーツアルトの像です。
難しそうな表情でした。今晩何を食べようかという顔じゃありません。
「時空」とタイトルを付けました。
久しぶりに会った仲人さんは養老院におられます。
出かけて転んで骨を折った。
独りでの外出許可は出なくなりました。
よって、終日建物の中での生活になってしまいました。
三食付きで、冷暖房完備です。
ルーチンワークのほとんどが必要なくなりました。
10年日記をつけておられました。
今でも、続けておられます。
「書くことがない」と言われました。
刺激(外から自分に関わる情報)が無いから、そうかなとも思いました。
手紙を書くのも億劫になったと言われました。
本も読まなくなった。
テレビで視る日本の風景もほとんど行ったところと言われます。
帰り際に、ドアの前の机に週刊新潮が置いてあるのを見ました。
何十年も前から読まれているのを知っていました。
この婆さん、相変わらずだと感じました。
きっと、隅から隅まで読んでおられるのでしょう。
そして、「ふんふん」と辛めの評価をしておられることでしょう。
私も、「書くことが無い」と時々感じます。
しかし、知っています。
単に面倒なだけなのです。
毎日やっていれば、何でもないことです。
うまく描こうなんて思わなければ、簡単なことです。
やることがないなんて、嘘っぱちです。
山ほどあって、ただ出来ないだけなのです。
やろうとしないだけです。
草取りを始めたら、
「ごはんよ」の声も聞こえぬくらい夢中になってしまいます。
草取りは、実に単純な作業です。
しかしとても面白い。
取った分だけ、きれいになるからです。
長靴を履いて、長袖、ズボンに手甲脚絆をして、準備をするのが面倒です。
家の中に入る時、また更衣をするのが面倒なのです。
書くことが無い。
ちょっと前に書いた記事を読み返します。
それそれ、書いているじゃありませんか。
しかも偉そうに。
それでよいのです。
その時の体調で、一生懸命描いたことなんだから。
けっして前の記事を破れません。
そのまま残します。
夜の道 金木犀に 刺激受け
2017年8月25日