故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

自由の身(Part2)

2017-08-13 08:17:27 | プロジェクトエンジニアー

カフェに来られた親子連れの若いお母さんです。
彼女の子供を見る表情を描きました。


今日のテーマは、「自由の身(Part2)」です。

一昨年の10月に、会社を退職しました。
その時の心構えと想いを、「自由の身」で書いています。
2015年10月5日投稿記事「自由の身」を参照ください。
(ハイライトをクリックすると記事が出ます)

2013年12月にその会社に入り、二つのプロジェクトのマネージャーをしました。
パン屋さんのオーブンラインとフライヤーの追加工事と、
仕分け設備の追加工事でした。
1995年からこの会社とは長い付き合いでした。
全ての工事を担当しました。

自由の身になって感じたことは、同じようにプロジェクトに関係する仕事を
することになるだろうと漠然と予想していました。
40年近く携わったプラントエンジニアニアリングでした。

60歳を過ぎると、自分の力を過小評価しなければならない。
そう思うまで、2か月を要しました。
自分が得た技術を後輩に伝えたいとも考えました。
それもかないませんでした。
表舞台から去る時が来たのでした。

さらに半年、自由の身でした。
都会の自由は、はなはだお金がかかりました。
地域おこし協力隊に応募するも、落ち続けました。
半年かかって、やっと採用されたのがこの地です。

まさかの展開でした。
さらに一年。
カフェのオーナーになるとは、想いの他の出来事でした。
何が起こるか分からない。
走ってきたレールがぷっつりと切れたような感じでした。

新たに引いたレールの上を進んでいます。
吹っ切れたような気持ちです。
こだわりとしがらみは、自分の中にありました。
今は良かったと思っています。

「自由の身」では、「なになにしなければならない」から
解放されることと書いています。
仕事から解放されて、家族からも離れました。
地縁、血縁そしてキャリアも関係ない知らない土地での新しい生活です。
経済的には、解放より冒険でした。
しかし、心は解放されました。
キャリアは、違う形(ものの考え方)で生きてきました。
レールは違っても、人生の糸は途切れることがありませんでした。

この先何があるか、やはり決めごとはありません。
今までが、浮き草人生のようにも思います。
いろんな池で生活しました。
この地では、土に根差した生活です。
最期になるかわからないが、この経験は貴重でした。
生活のすべてが、自由です。
人との関わりがすべてです。
自分で考え、自分で行動しなければなりません。
行動した分だけ、成果が見えます。
組織の中で埋没するような自分ではありません。

「自由の身(Part2)」では、自由とはなにか
少し報告できたように思います。

独りから 種植え実つけ 自由の身

2017年8月13日
コメント
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