福島から山形に抜ける県境にかかる橋です。
行ってみたいところに、まず行ってみると妻と二人で旅に出ました。
新潟に向かって会津を抜けた。
ダム湖を眼下に見ながら、どこまでも上った。
スノーシェルターが、三十三間堂のように続く。
いつまでも降り続いた雨は、東北から越後に入ると上がっていた。
日本海沿いに車を走らせた。
山に張り付くような漁村の前の砂浜の海は白い。
岩肌が落ちた海は黒い。
600Kmを走破したあたりで宿を探した。
鯖江は初めての土地であった。体操が盛んな地域であった。
農村地帯には、耕作放棄地が目立った。
一方、中核都市の河川敷にありえない畑が連なっていた。
翌日は、天橋立経由で鳥取に向かった。
鳥取の町並みは、どこでも目にするリトル東京であった。
誘致した結果がそうさせたのであろう。
全国展開する大企業の看板ばかりが目立った。
景観を保つには、民間ではない行政主導のまちづくりが必要である。
日本海側の景色は、どこまでも優しい緑であった。
こんな素晴らしい景色を生かす手はないかと皆が模索している。
Discover Japanと、どこかの旅行会社がキャッチコピーを出したことがある。
山陰の高速道路は、まだまだ分断状態であった。
スイスで見た山の上まで緑の景色は、国が後押しして保全していた。
ドイツのブラックフォレストに沿って、ハイカーのための安いホテルがあった。
日本が、こんな時代になるにはもう少し時間がかかるのであろう。
600Kmをさらに走って、故郷広島に着いた。
さっそくお好み焼きを食べに行った。
広島もかつては雑然とした街であった。
何十年もの時間をかけて落ち着いた街になってきた。
あきらめなかった。住んでいる人がこの町を愛したのであろう。
日本海側は、もっと自慢をしてよいのである。
高速鉄道と高速道路が、日本海側に延びている。
時間をかけてもよい旅ができる時代になるとよい。
泊まる場所を決めない旅が続く。
今日は、高校の同窓会に出席する。
どんなことが起こるのか楽しみである。
峠道 せり出す雑木 涼運び
2017年8月19日