故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

2017-08-19 09:52:11 | よもやま話

福島から山形に抜ける県境にかかる橋です。


行ってみたいところに、まず行ってみると妻と二人で旅に出ました。
新潟に向かって会津を抜けた。
ダム湖を眼下に見ながら、どこまでも上った。
スノーシェルターが、三十三間堂のように続く。
いつまでも降り続いた雨は、東北から越後に入ると上がっていた。
日本海沿いに車を走らせた。
山に張り付くような漁村の前の砂浜の海は白い。
岩肌が落ちた海は黒い。

600Kmを走破したあたりで宿を探した。
鯖江は初めての土地であった。体操が盛んな地域であった。
農村地帯には、耕作放棄地が目立った。
一方、中核都市の河川敷にありえない畑が連なっていた。

翌日は、天橋立経由で鳥取に向かった。
鳥取の町並みは、どこでも目にするリトル東京であった。
誘致した結果がそうさせたのであろう。
全国展開する大企業の看板ばかりが目立った。
景観を保つには、民間ではない行政主導のまちづくりが必要である。

日本海側の景色は、どこまでも優しい緑であった。
こんな素晴らしい景色を生かす手はないかと皆が模索している。
Discover Japanと、どこかの旅行会社がキャッチコピーを出したことがある。
山陰の高速道路は、まだまだ分断状態であった。
スイスで見た山の上まで緑の景色は、国が後押しして保全していた。
ドイツのブラックフォレストに沿って、ハイカーのための安いホテルがあった。
日本が、こんな時代になるにはもう少し時間がかかるのであろう。

600Kmをさらに走って、故郷広島に着いた。
さっそくお好み焼きを食べに行った。
広島もかつては雑然とした街であった。
何十年もの時間をかけて落ち着いた街になってきた。
あきらめなかった。住んでいる人がこの町を愛したのであろう。

日本海側は、もっと自慢をしてよいのである。
高速鉄道と高速道路が、日本海側に延びている。
時間をかけてもよい旅ができる時代になるとよい。

泊まる場所を決めない旅が続く。
今日は、高校の同窓会に出席する。
どんなことが起こるのか楽しみである。

峠道 せり出す雑木 涼運び

2017年8月19日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする