
タイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
心配をよそに、孫はさっさと川を渡ってしまいました。
今日のテーマは、「やりたいこと、できること」です。
やらなければならぬことは、数え切れぬほどある。
できないから、あきらめる。
そんなことの繰り返しで、ゴミ屋敷になっていく。
膝を痛め歩行が困難になり、万歩計のエネルギー消費カロリーが半減した。
ひたすら、膝の回復を待っている。
無理がきくようになってから、絞ることに決めている。
回復を待たずに、痛くない程度まで動かすことにした。
それでは遅いと思ったから。
停年になったら、図書館に行き読書三昧をしよう。
観たかった映画をじっくり見よう。映画館に行こう。
永年苦労を共にしてくれた妻と旅行に行こう。
趣味の釣りを再開しよう。
仕事のせいにして、会えなかった恩人に会いに行こう。
図書館も映画館も2か月も通えば飽きてしまう。
妻だって、自分たちでサークルを作り毎日のスケジューが埋まるくらい楽しくやっている。
今さら、夫と旅行なんてスケジュールが作れない。
釣りを再開したものの、近所にさえ釣った魚を毎日は配れない。
妻が期待する「出かけて」に応えて、釣りに行くのもしんどくなる。
恩人さえ、もうこの世にはいない。
あるいは、施設に入り会いたがらない事情を抱えている。
条件さえそろえばやろうと思う間に、浦島太郎になっているのです。
では一人で出来ることと決意し、世界への旅に出る。
旅行記をしたため友人に送る。
書き慣れない文章で綴った旅行記を、初めは読んだ友人もやがて積んでいく。
「やりたいこと、できること」を、条件が揃えばできると高をくくっていた。
素敵な女性を目の前にして口説かぬバカの多いこと。
自分に時間が出来たら挑戦しようと、
動く船にここがよかったと印をするようなもの。
船は動いていることさえ忘れている自己中心型の典型です。
どこかの予備校の先生が言っていたように、「今でしょ」とは思う。
明日からダイエットしようと、今日は甘いものを腹いっぱい詰め込んだ。
毎日、その繰り返しとなる。
青春があっという間に去ったように、早く大人になりたいと思ったことさえ忘れてしまった。
明日は、脳の血管が切れて、後悔さえ感じられぬことになるやもしれない。
まずは、捨てることから始めよう。
もう、増やすことは要らぬこと。
「できること」から始めれば、身体もスリムになり「やりたいこと」もできるようになるだろう。
「やりたいこと」があるのなら、ちっとでも取りかかれば、「できること」に変わるだろう。
年をとっても未知のことは、いっぱいある。
過去の、あの甘酸っぱさも覚えている。
やけどもしこりも、あんなに気にしたことも、日々の忙しさにかすんでしまった。
今までで来たじゃない。これからもできるかもしれないと、
「やりたいこと、できること」をするしかないのです。
順番はどうでもよいのです。
明日は、「やりたいこと」を忘れてしまうかもしれない。
明日は、「できること」ではなくなってしまうかもしれない。
青春が気付かぬうちに去っていってしまったように。
うずくから 線香花火を 一つ足し
2018年7月5日
(書いた後)
腰が痛くて、仕事に支障をきたすようになりました。
ままよと、一か月仕事を休んだことがあります。
痛くない姿勢を4時間続けました。
恐る恐る動かし始めました。
続けること4日間、あれ不思議、痛みが少しずつやわらぎ始めました。
5日目からは温泉に行き、、10日目にはすっかり痛みが引いていきました。
せっかくだから、あとの20日間は、やりたいことをして過ごすことが出来ました。
自分がやらなければと思い込んでいましたが、他の人でも十分できました。
寂しくもあり、頼もしくもありと感じたものです。