ロケットのような冬瓜になりました。
タイトルは、味がしみてこそ冬瓜。
味付けは、あなたの腕次第というところでしょうか。
今日のテーマは、「ラブレター」です。
今や、死語に近い言葉です。
再考してみたいと思います。
ラブレターとは、
恋文(こいぶみ)、艶書。
(広辞苑より)
最後に書いたのは、いつの頃か。
結婚前のことになるのでしょう。
高校生の頃は、良く書きました。
それも、何時間もかけて書きました。
何をそんなに書くことがあったんでしょう。
ラブレターを書かなくなったのも、若い時のことです。
連戦連敗の恋に終止符が打たれたのも、いつの頃か忘れてしまいました。
そういえば、60歳を越えた時に又書きはじめました。
妻に出会ったころのことです。
私達は、幼馴染でありながら話したこともありませんでした。
再会するまでの長い年月の物語でした。
衒いも恥もありませんでした。
ただ、笑わせるような話が多かった。
電話より、正直に書けました。
勢い余って、妻をモチーフにした小説も書いてしまいました。
「さなさん」がそうです。
彼女の話すこと、自分が育った故郷への想いが重なって出来た小説です。
小説は面白いもので、書き手ではなく主人公だったらどう言い、どう思うかを想像し書くものです。
書き手の主張ではなくなってしまう。主人公が勝手に話し始めるような感覚です。
若い頃は、「好き」だということ、好きになってもらいたいことが中心の手紙です。
60歳を過ぎたころのラブレターは、私はこんな人だと言う紹介文のような感じです。
言外に、それでもよいですか。みたいな。
若い頃に、そんな気持ちでラブレターを書けたら良かったと思う。
恋は、個性と個性のぶつかり合いです。
若い頃のように、全部が好きなんてありえない。
良いところもあり、分かりにくいところもあり。
結婚生活を反省すると、ラブレターを一年に一度くらいは送ったら良かったと思います。
出会ったころの気持ちなんか、生活に追われてとうに忘れてしまっている。
きっと、新鮮な気持ちでまた一年と、積み重ねられたのではと思います。
生きてきた時間より、これからの時間が短いに決まっている。
一年に一回ではなく、半年に一回くらいにしますか。
相手の良いところを見つけられるとよいですね。
結婚前は、両目を開けて観察して決める。どちらかというと、盲目になりがちですから。
結婚後は、片目をつむる。知らなくてもよいことも見てしまいます。
長い時間を過ぎたら、両目をつむらなくてはならない。お互い様です。
両目が閉じてしまうまでの短い時間を楽しく過ごせるのが、ラブレターかもしれませんね。
噓も方便と言います。
褒めあげましょう。
何かよからぬことでも考えてるのと言われても、言い続けましょう。
本当に、再度好きになるやもしれませんから。
絵手紙(似顔絵)だって、ラブレターのようなものです。
あなたのこんなところが素晴らしいと、描き続けています。
誰にも、どこかあるものです。
口開けて 妻が言葉を 横取りし
2018年7月7日(七夕)