故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ラブレター

2018-07-07 11:11:55 | よもやま話

ロケットのような冬瓜になりました。
タイトルは、味がしみてこそ冬瓜。
味付けは、あなたの腕次第というところでしょうか。


今日のテーマは、「ラブレター」です。
今や、死語に近い言葉です。

再考してみたいと思います。
ラブレターとは、
恋文(こいぶみ)、艶書。
(広辞苑より)

最後に書いたのは、いつの頃か。
結婚前のことになるのでしょう。
高校生の頃は、良く書きました。
それも、何時間もかけて書きました。
何をそんなに書くことがあったんでしょう。

ラブレターを書かなくなったのも、若い時のことです。
連戦連敗の恋に終止符が打たれたのも、いつの頃か忘れてしまいました。

そういえば、60歳を越えた時に又書きはじめました。
妻に出会ったころのことです。
私達は、幼馴染でありながら話したこともありませんでした。
再会するまでの長い年月の物語でした。
衒いも恥もありませんでした。
ただ、笑わせるような話が多かった。
電話より、正直に書けました。

勢い余って、妻をモチーフにした小説も書いてしまいました。
「さなさん」がそうです。
彼女の話すこと、自分が育った故郷への想いが重なって出来た小説です。
小説は面白いもので、書き手ではなく主人公だったらどう言い、どう思うかを想像し書くものです。
書き手の主張ではなくなってしまう。主人公が勝手に話し始めるような感覚です。

若い頃は、「好き」だということ、好きになってもらいたいことが中心の手紙です。
60歳を過ぎたころのラブレターは、私はこんな人だと言う紹介文のような感じです。
言外に、それでもよいですか。みたいな。

若い頃に、そんな気持ちでラブレターを書けたら良かったと思う。
恋は、個性と個性のぶつかり合いです。
若い頃のように、全部が好きなんてありえない。
良いところもあり、分かりにくいところもあり。

結婚生活を反省すると、ラブレターを一年に一度くらいは送ったら良かったと思います。
出会ったころの気持ちなんか、生活に追われてとうに忘れてしまっている。

きっと、新鮮な気持ちでまた一年と、積み重ねられたのではと思います。
生きてきた時間より、これからの時間が短いに決まっている。
一年に一回ではなく、半年に一回くらいにしますか。

相手の良いところを見つけられるとよいですね。
結婚前は、両目を開けて観察して決める。どちらかというと、盲目になりがちですから。
結婚後は、片目をつむる。知らなくてもよいことも見てしまいます。
長い時間を過ぎたら、両目をつむらなくてはならない。お互い様です。
両目が閉じてしまうまでの短い時間を楽しく過ごせるのが、ラブレターかもしれませんね。
噓も方便と言います。
褒めあげましょう。
何かよからぬことでも考えてるのと言われても、言い続けましょう。
本当に、再度好きになるやもしれませんから。

絵手紙(似顔絵)だって、ラブレターのようなものです。
あなたのこんなところが素晴らしいと、描き続けています。
誰にも、どこかあるものです。

口開けて 妻が言葉を 横取りし

2018年7月7日(七夕)
コメント
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