仕事のあとの独酌の絵です。
今日のタイトルは、「文章を書く」です。
朝起きて、ルーチンワーク(炊事、洗濯、掃除)をこなしていく。
出したい欲求を満足させると、お腹にスペースが出るのか喉が渇くのか、コーヒーが飲みたくなる。
洗濯をすると、干さなければならない。干せば乾くからである。
これをしたからと言って、終わることは何もない。
私にとって、「文章を書く」ことは、
悩んでいることや気にかかることを、いったん整理する作業のようである。
今考えられる限りの文章を書く。
整理がついた(気が済んだ)ことは、脳の棚に自動保管されます。
またある時、その棚から引っ張り出されることもある。
忘れてしまいたことや、思い出せないことはそのままお蔵入りです。
それでよいと思っています。
伝えたい時が来ます。
自動保管された棚から、整理された話題が引っ張り出されます。
よく使われる棚からだんだん奥へと扉は開かれるようです。
何度も同じことを言うように聞こえるのは、そんなことなのです。
過去、考えて整理がついたことが多ければ、話題は多岐にわたり豊富になります。
考えたり感じたりしたことがなければ、その場で考えることになります。
ワールドカップで敗戦した西野監督のコメントが良い例です。
きっと、頭は真っ白になっていたことと思います。
2-0で日本がリードすることなんて想像だにしていなかった。
どうしようと考えられなかった。
ベルギーに弱っている(体力が落ちている)日本の両サイドを突かれることになった。
その後の3点取られた経過は、すべて両サイドから自由にボールを上げられたことがベルギーの得点に繋がりました。
采配の遅れが出た。同点での選手の交代は遅かったのです。
想定できないことが起こった時の対処です。
その場で考えるには、引き出しが少なかったと思われても仕方がない采配ミスでした。
これまでの戦い方で良いのだと言う成功例(2-0)が、判断の邪魔をしたようにも感じました。
話せないことと伝えられないことは、少し違います。
考えていた(想定できた)ことだが言えない。
考えてもいなかったので言えない。
この違いです。
プロジェクトマネージャーの資質で、最も求められることは「対処」です。
エンジニアから相談を受ける。あるいは、クライアントから要求される。
即座に引き出し(想定済みの棚)を引っ張り出し応える。
あとからこれは判断ミスかなと感じたら、恥をかなぐり捨てて修正する。
とにかく、答えをすぐに出すことなのです。
それには、考えられる想定問答を繰り返すことになる。
想定問答に必要な情報(インとアウト、現場で起きていること、人の能力分析、ゴールまでの道のり)を
収集することから始まる。
つまりは、見積もり時にあらゆる想定をして、見積もりをしたり条件書を書くことになります。
営業であれば、年初にコミット(成果をこのようにあげると宣言)し、
約束(ビッグマウス)を果たす懸命の努力をし、年末に皆と喜ぶ。
見積もり時に考えられないことが、現場で起きるのが常です。
想定できなかった自分が未熟だったと考える。
現場に出向き自分で見聞きして判断する。
横着は一切しない。
私は、そうして長い間、プロジェクトマネージャーを続けることができました。
連戦連勝でなければ仕事はこない。
プロジェクトマネージャーに求められることです。
私にとって、「文章を書く」ことは、転ばぬ先の杖だったのです。
今は少し違ってきました。
私は、ブログを読んでくださいと、会う人ごとに勧めます。
自分を開けかすのではないようです。
ブログのサブタイトルは、「故郷へ恩返し」です。
若い人に伝えられるものなら、感じていただきたい。
同年代なら元気になっていただきたい。
意識障害になった義兄のために、「法定後見人」になろうとしています。
亡き妻との約束だからです。
義兄が危ないと病院から連絡が入り、病院にかけつけました。
持ち直しました。
予断を許さぬ状況と判断し、葬儀場と坊主の当たりを付けてきました。
人の一生は、始まる時も難産なら、終わる時も労力がいるものです。
残された出来る人がやってきました。代々そうでした。
頭を整理するための「文章を書く」でした。
残り火は 消える前に パッと咲く
2018年7月4日