故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

学ぶ

2020-11-18 02:39:08 | よもやま話

絵のタイトルは、「想いの丈」です。
高ぶるこの感情はなんなのか。
初めてのことに戸惑いながらも、どきどきと熱くなります。
分かるころには、しわくちゃばばあです。


僕の話を聞いてくれていたらな。
大人が、もう少していねいに説明してくれていたらな。
小さな子供は、嫌な感情を説明できないゆえにもどかしくなり、戸惑います。
大人の顔色をうかがいながら口を紡ぎ、いつしか忘れてしまいます。

数々のプレゼンテーションをこなしてきました。
プロジェクト受注のため顧客の前で、講師として聴衆を前にして、社内の若手社員の教育のためなど。
的確な質問に助けられたことが何度かありました。
主張をさらに展開できた。
視点を変え、考えることができた。

今日のタイトルは、「学ぶ」です。
小学校の先生に、50年ぶりにお会いしました。
喉の奥に刺さった魚の小骨のような思い出を、同窓会の席で話すことができました。
もういいんだよと、笑い話として皆に披露しました。
同級生は、当時を思い出し、あれこれと話がはずみました。

私達は、学ぶことを恐れます。
学ぶことで、昨日からは確実に違う今日になる。
それが成長の過程なのに、いつまでも昨日の自分でいたい。
昨日とは、ぬくぬくとした自分によかれの思い出ばかりです。
何度も殻を脱ぎ破らなければならない。誰もが怖いし、躊躇します。

嫌だな。仕方がないか。
そうして、学んできました。
今でも知らないことばかりです。
どんどん新しいことが現れてきます。
学ぶしかありません。

「学ぶ」ことは、身体を使い頭を使います。
これが、億劫なのです。
幼い子供も、学ぶことが既成事実となると知っています。
よく分からなかったのに、進化の過程は待ってはくれなかった。

勇気を持たずとも、「学ぶ」ことができないものか。
「学ぶ」は、長い間一方通行だと感じていました。
双方向のやり取りのなかに、神髄はあった。
「学ぶ」と質問のやりとりです。
質問こそ、学ぼうとする努力の表れなのです。
これを摘んできたのじゃないかと反省しています。
大人だって、子どもの質問にたじたじとなる。

「学ぶ」ことは、自分のなかにある。
質問に答えることは他人の考えや感情を「学ぶ」ことであり、
できない自分をどう変化させたらよいのか、質問を発することである。
「学ぶ」のは、他人だけとは限らない。自分にも学ぶことがある。
浮かんでくるこの感情は、気になる言葉はなんだろうとブログを書いている。

「学ぶ」ことが楽しい。
小さな成功を繰り返すことで達成感がある。私の場合は、ルーチンワークかもしれない。
挑戦を楽しいと思う。失敗があるから、「学ぶ」ことができる。
挑戦が無ければ、「学ぶ」こともなかった。
学ぶ姿勢こそ、自分らしい生き方じゃないかと考える。
できなくて当たり前と思い。あら、できるようになったわねと褒められる。

幼子に 共に学ぼう 教えてね  

2020年11月18日

<<あとがき>>
「学ぶ」ことは、なんなのか。
できないことがたくさんあります。できたこともたくさんあります。
それでも学びたいと思うのは、どういうことなのか。
生きて来た線路が正しいとも、間違っていたとも思いません。
それしかなかった。と思いたい。
本当に?
これから何度もそう思うことでしょう。
未来は、誰にもわからない。覚悟して迎えたい。
コメント
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