
絵のタイトルは、「想いの丈」です。
高ぶるこの感情はなんなのか。
初めてのことに戸惑いながらも、どきどきと熱くなります。
分かるころには、しわくちゃばばあです。
僕の話を聞いてくれていたらな。
大人が、もう少していねいに説明してくれていたらな。
小さな子供は、嫌な感情を説明できないゆえにもどかしくなり、戸惑います。
大人の顔色をうかがいながら口を紡ぎ、いつしか忘れてしまいます。
数々のプレゼンテーションをこなしてきました。
プロジェクト受注のため顧客の前で、講師として聴衆を前にして、社内の若手社員の教育のためなど。
的確な質問に助けられたことが何度かありました。
主張をさらに展開できた。
視点を変え、考えることができた。
今日のタイトルは、「学ぶ」です。
小学校の先生に、50年ぶりにお会いしました。
喉の奥に刺さった魚の小骨のような思い出を、同窓会の席で話すことができました。
もういいんだよと、笑い話として皆に披露しました。
同級生は、当時を思い出し、あれこれと話がはずみました。
私達は、学ぶことを恐れます。
学ぶことで、昨日からは確実に違う今日になる。
それが成長の過程なのに、いつまでも昨日の自分でいたい。
昨日とは、ぬくぬくとした自分によかれの思い出ばかりです。
何度も殻を脱ぎ破らなければならない。誰もが怖いし、躊躇します。
嫌だな。仕方がないか。
そうして、学んできました。
今でも知らないことばかりです。
どんどん新しいことが現れてきます。
学ぶしかありません。
「学ぶ」ことは、身体を使い頭を使います。
これが、億劫なのです。
幼い子供も、学ぶことが既成事実となると知っています。
よく分からなかったのに、進化の過程は待ってはくれなかった。
勇気を持たずとも、「学ぶ」ことができないものか。
「学ぶ」は、長い間一方通行だと感じていました。
双方向のやり取りのなかに、神髄はあった。
「学ぶ」と質問のやりとりです。
質問こそ、学ぼうとする努力の表れなのです。
これを摘んできたのじゃないかと反省しています。
大人だって、子どもの質問にたじたじとなる。
「学ぶ」ことは、自分のなかにある。
質問に答えることは他人の考えや感情を「学ぶ」ことであり、
できない自分をどう変化させたらよいのか、質問を発することである。
「学ぶ」のは、他人だけとは限らない。自分にも学ぶことがある。
浮かんでくるこの感情は、気になる言葉はなんだろうとブログを書いている。
「学ぶ」ことが楽しい。
小さな成功を繰り返すことで達成感がある。私の場合は、ルーチンワークかもしれない。
挑戦を楽しいと思う。失敗があるから、「学ぶ」ことができる。
挑戦が無ければ、「学ぶ」こともなかった。
学ぶ姿勢こそ、自分らしい生き方じゃないかと考える。
できなくて当たり前と思い。あら、できるようになったわねと褒められる。
幼子に 共に学ぼう 教えてね
2020年11月18日
<<あとがき>>
「学ぶ」ことは、なんなのか。
できないことがたくさんあります。できたこともたくさんあります。
それでも学びたいと思うのは、どういうことなのか。
生きて来た線路が正しいとも、間違っていたとも思いません。
それしかなかった。と思いたい。
本当に?
これから何度もそう思うことでしょう。
未来は、誰にもわからない。覚悟して迎えたい。