墓地の小堂です。
タイトルは、「やることがいっぱい」
また、帰されちゃいました。
日々の生活に変化がない。
良いことを(例えば、草取りやゴミ拾い)をしても、誰もほめてくれない。
悪いことを(パワハラ、モラハラ、戦争)をしても、誰もとがめてくれない。
誰かの反応を求めてやまない。
気分を変えるために、髪を切りました。冒険は出来ないので、3cmだけ短くしました。
夫も職場の誰も気づいてくれません。
用務員のお爺さんが「きれいになったね」と言ってくれました。
それじゃあ、つまんない。
今日のタイトルは、「変化はつくるもの」です。
ルーチンワーク(炊事、洗濯、掃除、お使い)や畑仕事をしても、さしたる変化は発見できません。
考えてみてください。もしやらなかったら、どうなりますか。
ご飯は食べられない。どこか(コンビニ、朝喫茶でモーニングサービス)でお金を払って求める。
洗濯物は、山となる。週末は、洗濯機を三回まわし、一日の半分が終わる。
ゴミ箱から溢れて、こぼれています。そのまま誰もしてくれません。ゴミ箱をもう一つ買ってくる。
畑は草だらけになります。何かを植えようにも草刈から始めるのが億劫になる。耕作放棄地の仲間入り。
日々の生活こそ、変化を作っています。
こうして、毎日のようにブログを書く。読者数に変化はありません。
書かなかった場合を考える。キーワード(タイトル)は、眠ったままで昇華(消化とも)できません。
友人と飲み会をする。妻と話をする。地域の若者の会議に参加する。
普段考え、書き留めたことが、頭の整理箱から出てきます。
あっちに振ったり、こっちに戻ったり、視点を変化させて話を進めます。
私がしゃべりだしたら、止まらない。整理箱からばね仕掛けのように溢れ出してくる。
「じゃあ、帰ろうか」
飲み会終了の合図となります。ええっ、帰っちゃうの。
変化を求めて移住しました。
残念ながら、誰も私に期待してくれません。
よそ者は旅のもの。この地じゃ、毒にも薬にもならない。
会社で、家庭で重きをおいてくれたのに、なーんも起こりません。
変化は、誰かがお膳立てをしてくれるもの。これに慣れちゃった。
気づきました。「変化はつくるもの」でした。
私の中では、コペルニクス的大発見だったのですが、誰も感動はしてくれません。
大いに結構。「何をやってもよいんだ」と気づくまで一年かかりました。
悩むことはありません。
変化(行動)を起こすのです。
嫌なことは嫌。
自ら、発信することです。
恋の扉は、閉じることはできません。
自ら閉じる迄、「こうだったら、よいな」と悩みましょう。
りんごちゃん 誰かがかじる 赤ほっぺ
2020年11月13日