絵のタイトルは、「時空」です。
ザルツブルグ駅前の画廊の窓の中に、モーツアルトは収まっていました。
こんなに固い顔をしていたのかしら。
今日のタイトルは「感激」です。
カフェに穴をあけ、いつ電話がかかってくるか分からない。
そんななかでこのテーマは、重い。
だけど今書かないと、書けないかもしれない。
感激とは、
深く感動して気持ちが奮い立つこと。強く心を動かすこと。
(広辞苑より)
病気をして、なんとかハラスメントの恐怖から、立ち上がれない。
こんなことではいけない。なんとか、きっかけが欲しい。
かつてアバの曲を聞いていて、アグネッタは感動する力も聞き手に送ってくれていると感じた。
感動することはよくあること。
次の行動まで誘発させることが、感激だと知る。
俺も何かをしなけりゃ、いけない。
できることからやってみるか。
感動は、五感で感じる。
鯛のあらを煮る。煮凝りが美味しい。味覚で感じる。
歌いだしで、心を掴まれる。聴覚で感じる。
好きなウナギのかば焼きは、嗅覚で食欲が湧いてくる。
赤ちゃんのほっぺを触り、なんとも癒される。触覚。
十三夜の月。視覚でも感動する。
この辺りでは、「月泥棒」の風習がある。子供たちは自由にお供え物を持っていく。
電話がかかってきた。この時間には、誰かおよそ検討がつく。六感が強い人もいる。
何が必要か。自分は、何ができるのか。
地域おこし協力隊の仕事は、結局「自分探し」であった。
移住者は相手にされない。不自由を経験した。
何をやってもいいのだと、自由を満喫している。
ピンチがチャンス。まだまだ、やれる。
人を大勢使っている頃は、腰痛に苦しんだ。
なんでも、自分でやらなければならなくなったら、身体が丈夫になった。
感動を感激に変えるのは、なんだろう。
どん底で味わった苦いものを忘れられない。すれすれに生きて来た。
これがあったから強くなれたと思える。なんと、時間の長いこと。
感激は、創り出すもの。
感動を抱いても、次の行動を起こさぬ限り感激にはならない。
目を開けたまま流れる涙であったり、突いて出てくる咆哮かもしれない。
やれるかもしれない。きっとできる。
もう大丈夫です。
一皮むけた。
寝て起きて 生きていなさい 聞いたよな
2020年11月2日