故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

悪人、上等

2020-11-04 01:54:23 | よもやま話

絵のタイトルは、「永観堂」です。
今日のブログに合う絵手紙はこれしかないでしょう。
仏の御心。「ウフフ、オホホ」です。


今日のタイトルは、「悪人、上等」です。
今日は朝からゴルフに出かけます。
よって、昨日書いたブログです。

眠い目をこすりながら、会社に行きました。
すりガラスでできたドア越しに、上司の姿が見えました。
ああ、今日も憂鬱でした。

私は、新妻への想いを込めて小説を書きました。故郷へ恩返しの小説となりました。
小説にはいろんな人物が登場します。私の中では、厚みを増すためでした。
ここで思いついたのが、「悪人、上等」です。
どれだけ悪人なのか、観察するようになりました。
もっとやれと、内心感じるようになりました。
少し、刺激をしたりもしました。
なんだ、その程度かとがっかりすることもありました。

世はこぞって、パワハラ、モラハラの悪人説をはやし立てます。
私の「悪人」はこよなく愛される人物像です。
悪人も人の子です。どこでどう間違ったのか興味津々です。
親が悪かったのか、世間が冷たかったのか。色々、あるでしょう。
でも、悪人です。嫌われ者です。
どう悪いのか、何が嫌われるのか、本人に代わって暴く癖がつきました。

もっと、やれ。
なんだ、そこまでか。
つまらない。

自分に害が及ばぬ限り、観察し放題です。
こんな瓢箪から駒のような発見に喜んだものです。
小説を書こうが、発想の転換になった。
悪人、大好きになったのです。

テレビでやる時代劇。
実に短時間に悪人に仕立て上げ、主水の刃が成敗する理由を分かりやすくしてくれる。
ここまでやるなら、仕方がない。架空の仕事人に任せるしかない。
人々は、密かに大げさに溜飲をさげる。

悪人に共通するのは、唯我独尊であり、裸の王様です。
他人には、スケスケに見える悪癖の数々です。しかし、本人も他人もどうすることもできない。
阿部譲二が書いた小説「塀の中の懲りない面々」は実に爽快でした。
1986年出版、1987年藤竜也主演で映画化されました。
塀の中と外を行ったり来たりする累犯犯罪者の物語です。

左の頬を打たれたら、右の頬を差し出す。
イエスでしたか。こんなことをしようと思ってもできないはずです。
私達は、どこかで許している悪人です。
実際に、税金を使って刑務所を運営し、更生の手助けをしている。
一度張られたレッテルは、生涯付き纏う。その子にも類が及ぶ。
それでも繰り返す。パワハラ、犯罪を犯す悪人です。
やっつけようにもやっつけることができない。

私は、小説の中で愛し続けて更生させる。
ありえないことですが、そうしたい。
生れた限り、何かで人の役に立てることがある。
死の商人と言われたノーベルは、意図せぬ戦争の狂気に使われたダイナマイトで儲けた金を、
後のノーベル賞に使っています。

紙一重の悪人です。善人もきわどいところで、免れています。
いや、きっと行ったり来たりでしょう。
私達の中に巣くう闇です。
「悪人、上等」でした。

もず獲物 貧乏が悪いんか 忘れられ

2020年11月4日
<<あとがき>>
今日は、この記事だけの予定でした。
昨日は定休日で、畑の小豆をおこし、鋤きました。
やめようかなと思いましたが、畝揚げまでできました。
やったね。
もう一つ、記事を載せることにしました。
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オアシス

2020-11-04 01:51:21 | プロジェクトエンジニアー

昭和記念公園の小川に一羽の野鳩がやってきました。
水を一口飲んで、私に気づきました。
タイトル、「あんた誰、私ね」となりました。


今日のタイトルは、「オアシス」です。
オアシス(oasis)とは、
砂漠中で水がわき、樹木の繁茂している沃地(よくち)。
生物群集が形成され、集落や都市が立地し、隊商の休息などに役立つ。
慰安となる場所。いこいの場。

なぜ、オアシスなのか。
不登校の子供たちにとって、不安なことは「この先、自分はどうなるのだろう」かもしれない。
今の自分は、求めていない自分であると、信じたい。

私は、ちょっぴり長く生きました。
家族のため、会社のため、そして自分のためだけに生きてきました。
借金返済は、まだ続いています。自分が死んだら、共に支払い続けている保険で「ちゃら」になる。
それでも、死ぬつもりは毛頭ありません。

答えがない、正解もない暮らしです。
まだまだ、探し続けています。
オアシスがあったら、どんなにか慰められたでしょう。
本当の気持ちが言えたら、どんなによかったでしょう。

私の子供は、4人います。
長女がやり、次女もやり、長男、三女と続けてくれました。
私は、仕事さえしていればよかった。
かみさんが、それぞれの不登校に向き合ってくれました。
親も段々と不登校に慣れてきました。それでも生きているじゃん。
子供たちは、なんか楽しいことを探そうとしていました。
三女は、目指す高校に入りたいと言ってきました。公立高校です。
私は、毎日課題を作り添削しました。数学は、割り算、分数で行き詰っていました。
どうして、それが苦手なのか分かっていました。引き算から始めました。
案外できる子でした。自信が湧いた頃、自宅授業は終わりました。

不登校が、財産になる。
逆説的な言い方ですが、悩みが深いほど強くなれるし、人に優しくなれます。
無理難題が、人を育てます。
だけど、折れないことです。
喉が乾ききっている時に、水をくれる場所がオアシスです。
ほんの一滴の水が、これからも生きていけるに繋がります。

借金返済に困ることは何もない。貸してる側も借り手の破産は困るのです。
稼げる範囲で、払える範囲で返すことになる。生きてる限り、借金を返す。
もし払い終えれば、それからは儲けの人生です。

私のブログのオアシスは、読者数です。
200人近くのこともあれば、50人の日もあります。
忙しい中、50人もの人が毎日読んでくれている。
書いていていいんだよ。慰めていただいています。
有難う。(樹木希林さんは、難が有るから、「ありがたい」と思われた。)

不登校の皆さん、大人も捨てたもんじゃありませんよ。
すべての人が、大なり小なり悩んできました。
今も悩んでいます。先のことは誰にも分からないからです。
あなたのSOSを受け止めてくれる大人がきっといます。
あなたの「難」は財産です。
今は、死ぬほど辛いでしょう。でも、生き抜くことです。
あなたにしかできないことがあります。きっと、あります。
ピンチがチャンスです。
あなたの周りのちっちゃなオアシスで、一滴を飲むことを勧めます。
そんなオアシス知らない。
そうです。困ったときにあきらめないで探すことです。
それが、チャンス。

コジュケイが 私はだーれ 癒された

2020年11月4日
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