絵のタイトルは、「トマト誰の子」です。
育てた人のもの?
それとも食べる人のため。
ナメクジでも虫のためでもない。
トマト自身の子です。
私たちは、トマトが育てた実をいただきます。
今日のタイトルは、「毎日書く」です。
ポットに種を播き、水をやる。
水をやると、水分を求めていろいろな虫がやってきます。
緑の葉を見つけて飛んできます。
定植するまでは、油断がなりません。
この夏は、日照り続きでした。
毎日、朝か夕方に野菜に水をやりました。
井戸水を汲んで、野菜にかけても、1時間もかかりません。
野菜は、水が足りると新芽を出し実になる花を付けます。
足りないと生命維持だけに専念し、次世代(新芽や花)のことまで至りません。
水分が足りないと野菜は葉を丸め、虫の餌食になります。
足りていると次から次に新芽を出し、少々虫に葉をかじられても元気です。
水分がないと、リンゴは実を落とします。
ミカンは、自分が枯れるまで実に栄養を送り続けます。
人生の悲哀と縮図を見るようです。
年齢を重ねると、色々な機能が低下します。
中でも、脳が退化するのが一番怖い。
コミュニケーションをとる。
文章を書き、絵を描き、音楽を奏でる(指の運動もかねて)、汗をかくなどやることはいっぱいあります。
言わば、どれも億劫なことばかりです。
毎日欠かさずやる。
これが出きません。
やらないのにぼやく。
なかでも文章を書くことは、とても良いことです。
何かのテーマで書くと、自らの足りないことに気づきます。
七転八倒がちょうどよい。
食事を作り食べる。
汚れたものを選択し、収納する。
床を掃き、汚れた食器を洗い片づける。
暮らしのなかに、気づきのメモがある。
膝の関節を滑らかにし、筋肉を躍動させる動機になります。
でも続かない。
こんな毎日です。
2024年9月19日
(あとがき)
会社に勤めている頃は、休みたいと思いました。
今はスケジュールが埋まりません。
嘆くことをやめて、若い人に勝る唯一の「時間がたっぷりある」のアドバンテージを活かしています。
効率など2の次です。
(筆者)