今日のタイトルは、「挑戦(Part2)」です。
このタイトル(挑戦)で書いている記事がありました。
2019年9月24日投稿記事「挑戦」です。

この絵のタイトルも「挑戦」です。
20歳の皺ひとつない娘の似顔絵です。
どのように描けば、この娘(こ)の美しさと気品を表現できるのか挑戦しました。
私の記事に、「挑戦」という言葉は多く出てくる。
書くことが挑戦であり、生きることそのものが挑戦です。
では、今日どうしてこの言葉が引っかかったかを伝えます。
NHKの番組プロフェッショナルで、ごみ収集人のプロフェッショナルを紹介していました。
自分が育ち、住む街を美しくしたい。仕事を通して、夢を実現したいと日々挑戦する男の物語でした。
自らの若き頃を、ゴミのような生き方だったと振り返る。
事業ごみを走って集める。より早く集める。
路上に散らかった生ごみを、時間を惜しげもなく使って納得するまで集めて、痕跡を水で流す。
分別が悪い事業主を時間外に訪ね、根気よく分別を説明し、お願いする。
臭いと言われれば、収集車を洗い磨き上げる。ここまでやるのかの連続でした。
ごみは夢と言う。
コロナで閉店した。ゴミの出し方の変化から判断した。
分別の是正がされた。分かってもらえた。
息子に見られても、胸を張って働く姿を見せることができる。
クラスターが出た病院のゴミを、勇気を出し、最善の努力をして、自らやる。
彼は、孤高の人のように見えた。
夢への挑戦は、とてつもなく高いレベルに見えた。
挑戦は終わりがない。
自らの夢との日々格闘である。
できないことができるようになる。
自らであり、ごみを出すお客さんである。
夢は、街を美しくしたい。その方が気持ちがいいじゃないですかと男は言う。
私達の生き方も挑戦そのものです。
読めないものが読めるようになり、見えなかったものが見えるようになる。
通じなかった人に、理解してもらえる。
今は出来なくてもいつかはできる。
夢が無くても、なんとなくそっちの方に向かう。
涙の訳も、笑顔の理由も知っている。
明日はできると準備を怠らない。
何かの理由で遠ざかろうと、追っかけることを躊躇しない。
何度でも挑戦してやる。壁は越えるためにある。
終わりなき 気づいたときが 始まりさ
2021年1月7日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます