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可愛い笑顔です。
これまでも、これからも。
きょうのタイトルは、「書ける歓び」です。
何が歓びかと言うと、思索に更けることが出来るからです。
自分は、今どちらに向かおうとしているのか検証できる。
「書く」とは、自分に書きたいことがあって初めて始まります。
報告書は書かなければならないけど、ブログは書かなくても良い。
スポーツ選手は、結果を出し続けなければならない。
常にトップにいてこそ注目されます。
昨日できたことが、今日はできなくなる。
そして徐々に一線から引いていく人もいます。
第二の人生を、若いうちに模索しなければならない。
自分を信じて、あることを続けてきました。
あることは出来たけど、その他のことはできない。
そんな自分と出会うことになります。
一流のオリンピック選手でも、オリンピック後におこることがあります。
これは一時的なロス状態でしょう。
発達障害の記事をみました。
言語能力などの知的能力は優れている。
よって、良い大学にも入れる。
しかし、スポーツなどの運動能力が劣っている。
運動能力とは、起きていることを臨機応変に対処できる能力のこと。
知的能力だけでは生活できない場合、何かの仕事をしなければならない。
手っ取り早くできる仕事は、身体を使う仕事が大半です。
身体を使うとは、教えられたことを理解し身体を使って働くことです。
大学までは、知的能力だけで生きていける。
社会では、それだけでは使ってもらえない。
このギャップ(発達障害)に気づかないまま、
社会に適応できなくて鬱になり、引きこもりとなる。
どちらの場合も、困ることでした。
どうしてよいか分からない。
自分も、周囲も混乱してきました。
しかし、現代は救うことができる世の中になりました。
どうやって救うか。
各専門機関を訪ねると、それなりの分析と処方をしてくれます。
パニックにならないよう、向精神薬を処方することもあるようです。
自分を知ることです。自分がどんな問題を抱えているか知ることです。
自分を知ることで、周囲の言葉も入ってくるようになるでしょう。
自分に足りないものは、仕方がない。
あるもので生きていく。足りなものを少しずつ補っていく。
それには、周囲の理解が必要です。
穏やかに、気付かせてあげることも必要だし手助けも必要でしょう。
中学の時は、身体が小さくて皆が出来る練習についていけませんでした。
精神論で怒られました。ついていけない自分が情けなかった。
高校になって身体が出来てくると、きつかった練習が楽しくなりました。
こういうこともある。
その人にあった生き方ができる世の中になったと思っています。
書けない時があります。
ブログの読者は、記事を投稿すると同時に読まれる(開かれる)ようです。
この待たれているプレッシャーが重かった。
読者数を表すランキングなるものがあります。
私の記事は、Know-howものではないので、
どのページを開けても役に立つような記事ではありません。
書きたいことを、質を落とさず(自分なりに)続けたいと思っています。
それが出来ることが、「書ける歓び」です。
青虫が クラブを振って いつか蝶
2018年1月21日
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