第十四話 とべ、おらもっと飛べ
(昭和16年春)
昭和16年の春には、頂上までの道が完成しました。
天に向かって延びる曲がりくねった道は、一筆書きの墨絵を
見るようでした。驚くべき手際よさでした。
伊藤の誰も無理なく使い、健康なものにもそうでないものにも、
均等に報酬を出すやり方に、誰もが納得をして仕事をするのでした。
昭和16年4月、さなは母に付き添われ千田町の寄宿舎に入る
ことになりました。そこから、下中町の第一県女に通うのでした。
憧れのセーラー服に腕を通し、その姿を伊藤に見せたくて
たまりませんでした。山の頂上まで駆け上がったのでした。
週に一回の休みの日に、定期船に乗って桟橋からあがってくる
さなからは、もうあどけなさが消え、あんなに黒かった顔も
少女らしさが匂いたつようになっていました。大きな瞳は、さらに
輝きを増していました。時々悲しそうな表情をするようになりました。
「どうして、英語というもんがあるんじゃろ。」
初めて習う英語に、さなは苦労していました。帰省するごとに、
伊藤に英語の勉強を見てもらっていました。伊藤の英語は、
先生がお手本で読み上げる言葉とは大変違っていました。
さなは、どちらが正しい発音なのかとまどうことがありました。
さなは、大きな声で歌うように伊藤の真似をして、英語の本を
読んでいました。伊藤は、正しくかつ難しく英語を日本語に訳しました。
しかし、1年生の教科書に出てくる英語は、
さなのためにやさしく日本語に訳しました。
さなは、英語の点数は発音以外は、いつも満点に近い点をとりました。
英語の授業は大阪出身で、広島に嫁いで来た吉川先生が担当でした。
ある日、先生はシェイクスピアのハムレットを読んでくれました。
ゆっくりと日本語でも説明してくれるので、さな達は、悲恋を十分に
理解できました。中には泣く子もいたのでした。
12歳の乙女たちは、そんな吉川先生がしてくれる授業以外の話が大好きでした。
''To be or not to be''と吉川先生が発音されました。
乙女達は顔を赤らめてしまいました。さなも例外ではありませんでした。
吉川先生は、「恥ずかしがるとこじゃないですよ。」
といいます。先生がもう一度発音されました。乙女達は、お互いに目を
見交わし、さらに赤くなっていくのでした。
「では誰か、発音して意味を答えてください。」と促しました。
誰も手をあげませんでした。下を向いてどうか私には当てないでと
いう仕草です。さなは、ふらふらと立ち上がりました。
「とべ、おらもっと飛べ。」と高らかに答えました。
一瞬なにがあったのか、教室が静まり返りました。
その後、どっと笑い声が起こりました。
そして、緊張の糸がきれました。もう誰も止まりません。
さなは、後悔しました。生徒達を静めた後、涙を拭いている吉川先生が、
正しい英語読みと日本語訳を続けました。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」
と訳しました。ハムレットのお母さんが、恋人と共謀してお父さんを
殺す展開も説明してくれました。12歳の子供達に、ここまで説明し
大阪弁の訳を付け加えてくれました。

「やったろか。あかんか。ほなーどないしょ。」
さなは帰省し、伊藤にそのことを話しました。そばで聞いていた
母と姉はやはり赤くなっていました。伊藤は、''To be''のところを
高らかに発音してしまいました。さなは、もう顔が上げられませんでした。
伊藤がいなくなって、三人の女達は笑い転げるのでした。
''To be''という発音はこの地方では、女の陰部のことを指すのでした。
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