苦しい日常を生きている庶民の方々は、ほとんど水面下で我慢している。
秋葉原連続殺傷事件の犯人・加藤のように、
「もう我慢できない」とキレて大事件を起こして、
初めて注目され、良くも悪くもネット等で注目を浴びる。
加藤は警察で、取り調べを受けていることだろう。
取調官は、加藤に全てを話してもらいたいから、世間話をしたり優しく接したりしながら人間的な対応をしているに違いない。事実、加藤はだんだん人間的感情を取り戻し、心を開きつつあると聞く。
くしくも「大きな事件を起こせば、みんな注目してくれると思った」というもくろみ通りの結果になっている。
事件を起こす前の加藤はどうだったか…?
すべての人・組織に無視され、自分がこの世にいないかのような、必要ないかのような扱いを受けていたのではないだろうか。
ハケン労働者の現実は知らないが想像はできる。
事件を起こして初めて注目される。
何も問題を起こさず普通にやっている人がたくさんいる。その人たちは苦しい日常を生きそれでも切れずに犯罪にも走らずに必死で我慢をして頑張っている。
だけど頑張っている間は誰も注目してくれないのだ。
僕はこう思う。
何事もなく、物事がつつがなく進行していることの裏には、たくさんの人たちの努力・我慢があるのだと。
何事もなくつつがなく進行している日常こそ全員の努力と我慢の成果だと思う。
それを忘れてはいけないと思うのです。
宅配便のお兄さん(僕より年下だけど)、ゴミ収集車のおじさん、スーパーの従業員たち、駅員、それに何か目的があって道を急ぐ人たち…彼らは何も事件を起こさず、我慢して頑張っているからこそそこに存在していられる。
そこに「社会の歯車のひとつ」として存在していられる事実こそ、彼らが頑張っている証拠であると思うのです。
だからこれからは、感謝しなくてはいけないと思うのです。
感謝と共感…「がんばりましょう」と密かなエールを送るような、温かい態度で接しなくてはならないと思いました。
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