1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

泣きべそ

2009-04-14 13:16:39 | リトルリーガーの記録
先週末は、長崎市総合運動公園で行われた長崎市長旗大会に行ってきた。

我がKMMリーグの成績は、メジャーは予選リーグ敗退、マイナーは準優勝だった。

リョー坊の出場記録は以下のとおり
初日、予選第1試合、4番サード、5回からピッチャー
   予選第2試合、4番サード
二日目、準決勝戦、 4番ピッチャー 6回完投
    決勝戦、  4番サード

準決勝戦の相手は、昨年秋の大会でボロクソにされてしまったSSBリーグ。準決勝での登板については、朝からOTKコーチに先発を言い渡されたらしいんだけど、チームメイトには大会前からSSBリーグと当たったときはオレがねじ伏せてやるなんて鼻息荒いことを言っていたそうだ。

試合開始前のシートノック時、ボクはOTKコーチから試合直前のキャッチボール調整をお願いされた。

「リョー坊、緊張しとるや」
「うん、心臓バクバクしとる、心臓飛び出てきそう~」
「でも、どうせマウンドに上がったら落ち着くんだろ~」
「たぶん、あ~、だけどマジ心臓飛び出そう~」

それを聞きつけたHRNコーチがリョー坊に寄ってきた。
「はい、ピー君、目ぇつぶってぇ・・」
リョー坊は目を瞑って気を付けの姿勢をとった。
十分な間をおいたあと、HRNコーチがリョー坊にキンタマムギューをした。
リョー坊の顔から笑みがこぼれた。ボクも笑った。

準決勝での打撃は、初回の先制点に絡むなど3打点の長短打を放った。投げては緩急織り交ぜて打たせて捕るの6回完投で1四球、2失点。スコアは5-2だった。バックに助けられての勝利だった。


決勝戦のピッチャーは、速球売り出し中のKNT君だった。NGMリーグの打線をその速球で封じ込めるのが狙いだったけど、立ち上がりの極度の緊張からコントロールが定まらず四球を連発。OTKコーチがすかさずマウンドに向かって緊張をほぐすための「お顔ムギュムギュ頭ナデナデ作戦」をやるも、その優しさに絆されたKNT君は、マウンド上で号泣。3回までに6点を奪われしまった。

4回裏からマウンドに上がったのは、昨シーズンから無失点記録が継続中の新3年生のHRT君だった。HRT君はその回の守りを三振を交え無失点。そして5回表、HRT君の好投に打線が奮起。2-6の4点ビハインドから一気に6点を奪い8-6で逆転に成功。意気消沈したKNGリーグは5回裏0点。
そのとき、すでに、試合制限時間の75分を超えていた。ベンチは優勝に沸き返った。

が・・・、本部席からロスタイム10分のお知らせ。何じゃそりゃ?。6回突入と相成った。

6回表、我がKMMリーグは1番からの好打順、追加点でNGMリーグを突き放したいところだったが3者凡退で流れはNGMリーグ。

すべてはHRT君に託された。
しかし、相手打順は一巡しており打者はHRT君が投げる球とタイミングが合ってきていた。
連打を浴び8-7となった1死満塁でこの試合で最も当たりが出ている小柄なバッター。
打球はセンター方向へ。抜けるかと思われたが、この試合セカンドに入っていたチーム一の俊足SDK君が反応。しかし、強い打球はSDK君のグラブを弾き左中間へ。
スコアは8-9となった。

ホーム前での整列時、KMMリーグの選手の顔は既にグシャグシャ。
NGMリーグの選手の何人かも泣いていた。

リョー坊は泣きながら、涙と同時に鼻血も流していた。
画像はベンチでうずくまる選手たちと、ティッシュ片手に駆け寄るKNTママ。

その悔しさをバネに精進してもらいたい。




コメント
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