1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

【本当の安静の理由】

2022-04-29 11:51:25 | ゴーストライター
【本当の安静の理由とは!?】

GW突入の本日、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
連休中にはいろいろと計画を立てておられる方も多いと思う。不肖西もゴルフ、キャンプ、プロ野球観戦、山の手入れなど、計画がめじろ押しだった。
しかし、全てキャンセル。当然だ。

今回の一件で多くの方から心温まるメッセージを頂いた。
そして、無理をするなという御意見には真摯に耳を傾けなければならないと思っているところだ。

ただ、実のところ、退院にあたり「運動の制限」は無くなっているのだ。
不整脈も無く、血圧も安定し、血液検査も問題なし。後遺症も無し。体力は十分。
つまり、検査結果が全て「白」だったからだ。
これらの結果を受けて、反知性的なもう一人の自分がシメシメと思ったのは事実である。


ナースステーションでお別れの挨拶をした。
ステーション隣の病室にいた看護師で柔道家のSさんがパソコンカートとともに廊下に出てきた。
「西さん、まだ走っちゃダメですからね!」
無理は禁物と念を押された。そして直ぐに切り返した。
「Sさん、こぎゃんもんば付けとったら走ろうにも走れんって!」

そう、こぎゃんもんとは画像に示す「着用型AED」、正式には「着用型自動除細動器LifeVest(ライフベスト)」だ。主要パーツは電気ショックを与える電極、センサー、バイブレーションボックス、コントローラからなり、重さはざっと1.5キロ。コントローラは重く、これをぶら下げて走るのは困難だ。せいぜい犬の散歩の早歩きレベルまでだ。

呼んで字の如く、このライフベストは心臓発作が起こったらそれをセンサーが感知し、自動で電気ショックを与えて救命を図るというシロモノだ。電気ショックの前には警告音が鳴り、意識がある場合にはキャンセルもOK。しかし、入浴以外の時間は装着の義務がある。約2ヶ月間の6月末までだ。
センサーによるデータは常時取得されいて、1日に1回、バッテリー兼メモリー媒体から充電器兼モデムを通してアメリカのデータセンターに送られる仕組みだ。

救急搬送時の検査で冠動脈の狭窄(プラーク付着と推定)が確認されたため血管を拡張するためのステント治療が施されたらしいが、その時点で完全な閉塞が生じていなかったことが心臓へのダメージが無かったことの理由ではないかと説明を受けた。しかし、何が原因で昏倒してしまうような心室細動(心臓発作)が起こるような虚血が生じたかについては疑問が残るとのことだった。何故なら予後の検査でも動脈硬化を示唆する脂質異常や高血圧がみられなかったからだ。

さて、ここで明らかにしておかなければならないことがある。
実は、昨年の夏に、胸に違和感や息苦しさを感じて2回かかりつけ医にかかっていたのだ。

1回目は令和3年7月19日、2回目は令和3年8月23日だ。
そして、8月24日または25日に市民病院で精密検査(トレッドミル負荷試験)を受け、その結果を26日にかかりつけ医に報告している。
この一連の診察や検査で胸に感じる違和感や息苦しさは、冠動脈が勝手に痙攣して収縮を起こす狭心症の一種である「冠攣縮性狭心症」が疑われたのだった。
この「冠攣縮性狭心症」の症状は、労作時よりも安静時、特に夜間から早朝にかけて生じることが多く、自分が感じていた胸の違和感は、確かに就寝時や午前の早い時間であった。一方、ランニング中には一度も感じたことがなかったため、特にランニングを続けることが健康を損なうこととは思っていなかった。ただ一抹の不安があったのは事実で、できるだけ安全なランニングを心がけていた。
そして、昏倒を起こす令和4年4月10日を迎えたのだった。

昨日(令和4年4月28日)、入院先の主治医であるM先生が記載した診断書や各種検査結果資料を携えて、かかりつけ医のG先生のクリニックを訪ねた。

クリニックを訪れたとき、その時間帯は新型コロナ感染症のワクチン接種時間に当てられていたが、事情を話してしばらく待っていると、G先生から直接診察室に呼ばれたのだった。

診察室のカーテンを一緒にくぐりながら、同情気味の表情で
「hiratakuwaさん、大変でしたね」と言われた。
G先生は先に提出していた資料に目を通していたようだが、椅子に腰掛けると、それを再確認するように私の話を聞きながら書類に目を落とし、場合によってはそれを指で追いながら音読してくれた。一方、私は、術後一週間後から昨日はまで記録していた自身のバイタルデータを示し、異常はなかったことを報告した。

G先生は、入院先で施されたステント治療は、症状からすればごく一般的な療法で問題は無いとしながらも、冠動脈に致死的な虚血が発生するような狭窄が発生したことが8月の検査で予見できなかったことを大変訝しんでいた。
その理由は
①もし、8月の時点でこのような狭窄があれば負荷試験の心電図に表出されていてもおかしくないこと。
②8月の時点の検査で見過ごしがあったとしても、こんな短期間で狭窄(プラークやアテロームによる)が形成されることは稀であること。
③血液検査やバイタルの結果は直近まで良好であったこと。
が挙げられた。

「先生、どうしてこうなったかについては、あまり考えないようにしますんで、気にしないで下さい、私は、これから先のことをを考えることにします。」

この言葉は、入院先で知り合った補助人工心臓装置を付けた重度の心臓疾患(通称:VAD患者)のUさんが私に送ってくれた応援の言葉でもあった。

しかし、技術者として、ここに附録しておかなけらばならないことがいくつかある。

新型コロナ感染症のワクチン接種日だ。
1回目は、令和3年7月14日ファイザー
2回目は、令和3年8月4日ファイザー

そして、医師以外の多くの医療関係者から聞かされた肌感覚として感想だ。
「最近になって、心疾患の患者さんが多くなっているように思います」

私の身に起こったことが、コロナワクチンと関連があるかどうかはわからない。
しかし、そのリスクについて考えることは自分にとって極めて重要だと考えている。

一般に、急性心筋梗塞で心臓に強いダメージを負った場合だと、最初の発作で命を取り留めたとしても3ヶ月以内に不整脈や合併症によって亡くなるケースが多いという。
私の場合は心臓にダメージは全く無く、ステント治療やそれに続く薬物療養によって心臓発作(心室細動)のリスクは格段に下がったと言える。治療を行ったM先生も自信を持ってそう言ってくれた。

しかし、本当にそうだろうか。冠動脈の治療したところとは別の箇所で、突然、プラークやアテロームによって狭窄が発生する可能性はないのだろうか。冠動脈の痙攣の恐れが完全に排除されたわけでもない。

だから、もしもに備えて着用型AEDを装着しているのである。
本当の理由はソコにあるのだ。
答えは2ヶ月後だ。安静を心がけなければならない。

「とにかく、今できることは、健康管理を徹底することですね」
「そう思います」

そして、本当の答えが出るのは10年くらい先になるのかもしれない。


画像は着用型AED、冠動脈狭窄のステント治療のイメージ図、それと入院時のバイタルデータ。
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【「恐怖」「幻覚」との闘い、そして「感謝」】

2022-04-29 11:22:40 | ゴーストライター
個室に引っ越しできた15日はそれなりに忙しかった。
心臓エコー検査、認知機能の検査。血液検査。荷物の受け渡し。部屋の模様替え。M﨑事務副部長の来室・挨拶。洗濯。入院以来、初めての洗髪などなど。このように用事があれば気が紛れるのだが、やはり少し時間ができてベッドに横になると昨晩のことを思い出さずにはいられなかった。

この時点で、自分が昨晩見たものは「せん妄」の一種と思っていたし、実のところ「せん妄」については若干の知識があった。
それは、既に亡くなって10年以上経過するのだが、当時、高熱を発して入院していた祖母(認知症ではない)の訴えを聞いた経験があるからだ。祖母は、夜に病室で起こった出来事を誰も信じてくれないと、見舞いに来た私と妻に訴え、その内容を自分たちに言い聞かせてくれたことがあった。
その内容は、確かに信じがたい話しではあったが、その克明かつ詳細な説明に対して、「それは、せん妄だから気にする必要はないよ」と一言では片づけられないようなリアルさを感じたことがあったのだった。
そんな祖母のことや自分の身におこった昨晩のことを思い出しながら「せん妄」とは一体何を意味するのかを考えてみた。

結論から言うと、人間に限らず動物に備わった重要な生命維持装置の発動の一種ではないのだろうか、ということである。
つまり、簡単に言うと「せん妄」とは現実の最悪の現場から、ドコでもいいからココではないドコかへ逃避を促すための脳が発動する最終信号ではないのかな、ということである。
この「逃避」によって命を落としてしまうという最悪な場合もあるだろうが、「逃避」によって助かる確率が高まるのであれば「せん妄」によって狂っていたほうが良いのではという考え方である。

まぁ、どうでもいい話しだ。

前置きが長くなった。
個室に引っ越してきた最初の夜。消灯時間となり病室が暗くなった。
明るい時間に感じることがなかった恐怖が昨晩と同じように襲ってきた。

部屋の入口にはカーテンがあるのだが、そのカーテンの裏に人が今にも現れて自分を襲ってくるのではないかという猛烈な恐怖感だ。体中の毛という毛が総毛立ち、しかもそれが首元から足先に向けて波打つような感覚なのだ。全身から脂汗も出ていたのではないだろうか。
意識の中のもう一人の自分は、この病室に誰かが入って襲いかかるのはあり得ないと分かっているのだが、思考の大部分は恐怖に満たされていたのだ。

その昔、薬物依存者が離脱症状によって生じた妄想から逃れるために、他人の家に逃げ込んだという内容の新聞記事か何かを読んだ記憶があったが、それに近い症状だったのかもしれない。

ナースコールのボタンを押した。

直ぐに若い女性の看護師さんが入ってきた。

「どうしましたか?」
「とにかく、、、怖いです、、、どうすれば、、、」
「ちょっと、待っててください」

そう言うと看護師さんは部屋を出ていった。
恐怖に怯える50過ぎのおっさんに対応するのは若い女性看護師には難しいことと思う。
私だって、正直、「キミには期待していない、他の誰かを、」と思ったくらいだった。

次に部屋に入ってきたのは若い男性看護師だった。
伸長175cm以上で体躯がよく存在感のある若者だった。
助かったと思った。

私は目下の苦しみを彼に正直に話した。

「hiratakuwaさんが寝付くまで、自分がここにいますよ」
本当に心強く感じた。

それから、彼は治療情報等(電子カルテ)を入力するパソコンカートを持ち込むと、部屋の入口に腰をかけて業務をするかたわら私との会話を進めるのだった。

そして、私たちはお互いの自己紹介から始まり世間話、今となっては笑い話になる昔の失敗談など、とにかく少しでも「恐怖」から遠のいた話題を必要として、言語と過去の記憶で「恐怖」を追い払おうとしたのだった。

どのくらい会話を続けたのかはよく覚えていないが、心に平穏が訪れつつあることが感じられたとき、彼に大丈夫そうだと告げた。彼はパソコンカートとともに部屋を出ていった。

そして目を閉じると、瞼には昨日見たものと似たような美術の世界が広がりはじめ、自分は眠りに落ちていった。

そして、それは突然の出来事だった。
目が覚めると、ベッドの足元側の床で、誰かが寝ているではないか!嘘だろっ!
すると、今度は床から人が生えてきたのだ。しかも3人!。私のベッドを囲むように現れ、それは全員が4等身で黒いチューリップハットをかぶったノッポさんだった。
その3人のノッポさんが自分のベッドの周りをカニ歩きよう右にいったり左にいったりに全く同じ行動を無言で繰り返すのだ。
ショックで我に返ると暗い病室のままだったが、現実よりも鮮明なノッポさんがいる病室の情景が脳裏に焼き付くと同時に、次は戦場に送り込まれ歩兵部隊として銃撃戦に巻き込まれ私は瓦礫や林の中を必死で走っているのだ。

こうして文章にすると単なるユメの説明にしか感じられないと思う。
しかし、そのときは、ユメとは全く異なった質感を感じていて、意識が戻ってもその別の世界のほうが現実の世界なのではないかと思うくらいなのだ。そして「恐怖」が心に強く張り付けられた状態になるのだ。

ナースコールのボタンを押した。

女性の看護師さんが部屋に来て部屋に電気を点けていった。
コールスピーカーから彼の声が聞こえてきた。
「今、別の患者さんの処置をやっているのであとから来ます!」

自分一人でこの恐怖を克服しなければならなかった。
眠りに落ちる前に学んだ言語とイメージで「恐怖」を焼き払うことを試みた。
必要なのは「笑える」話しだ。それもとびっきりのビッグな笑える話を思い出す必要があった。そして、それを必死で言語化した。内容については書かない。

起床時間となる6時過ぎには落ち着きを取り戻すことができた
7時頃に彼が来てくれた。
彼に状況を話し、もう大丈夫と伝えた。しかし、こういった感情の起伏は16日の夕方まで続いたのだった。その後、精神的ダメージは、身体の快方とともに回復していった。

18日以降は、部屋からの出入りも自由になり、心臓リハビリも順調に進み27日(水)には退院の見込みだ。

さて、皆さんには本当にご心配をかけました。それから現代医療のスゴさ、それに携わる人たちの献身的な看護の姿には感銘を受けました。本当にありがとうございました。

参考までに、意識回復後の精神状態を自分なりに考えて見える化したグラフを披露します。
赤線の振幅の振れ幅が大きいほど不安定であることを示しています。次第になだらかになって落ち着きを取り戻していったことがわかると思います。このことからも、自分が感じた恐怖や幻覚は強い鎮静剤からの離脱症状であったことがわかります。ただ、14日の夜に聞いた「死ねっ!」については看護師さんの証言もあり、幻聴ではなかったことが後にわかりました。

なお、18日(月)からはちょっとしたリモートワーク、自身のバイタルデータの分析、厚生省が発表している人口動態統計のデータ分析をしたり、SNSをしたりして時間を潰していました。分析結果については、また今度、披露したいと思います。

それから、皆さまには心温まる「いいね」やメッセージ本当にありがとうございました。
コロナ禍にあって家族とも会えない中、皆さまからのメッセージが心の支えになったことは言うまでもありません。本当にありがとうございました(涙、涙、涙)。
これからも、不肖西英典をどうかよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。


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