古賀茂明著「官僚の責任」が巷間でソレナリに評判になってるので、半分、読んでみた。
内容は、想像通りで、驚くほどのものではなかった。
実は、大学4年のとき、就職先の一候補として通産省(現在は経済産業省)はどんなもんかと思い、OB訪問を実行したのだった。
「・・・やりたいことがあるんだったら、官僚になるのが一番だよ・・・」
そんな、真しやかな話しが、その頃のボクの耳には届いていた。
そして、ソレがどういうことなのか知りたかった。
ウスウス分かっていたけど、トニカク、上京して確かめてみたかった。
アポをとっていたOBとは会えなかったけど、入省2~3年というところの若手官僚数人と会談する機会を得た。
昼食を一緒に食べ、その後、談話室か狭い会議室に場所を移し、しばし歓談となった。
志望動機を聞かれた。
準備していたことを簡単に喋った。
勉強してきた専門的浅知恵から導き出した資源エネルギーの安定確保について語ったりしたけど、そんなことは、どうでもよく、「官僚」の中身を聞き出したかった。
国会について話してくれた。
「・・・国会中継とかで大臣が答弁してるでしょ、アレ、オレたちが書いてるんだよ・・・」
「・・・政治家なんていなくったって、国は、ちゃんと動くんだから・・・」
外郭団体のプランについて尋ねられた。
「・・・官僚組織はピラミッド構造なわけで、出世できなければ、出てかなくちゃいけないでしょ・・・、要するに就職先を自分で作るってことだけど、何か、今、考えがあるの?」
準備していたことを簡単に喋った。イチかバチかだった。
その頃、疑似科学に夢中になっていたのだけれど、そういう疑似科学に関するデータベース化を担う研究所を設立し、表向きには、疑似科学を利用した煽動あるいは悪徳商法から国民を守ることを目的にし、・・・・・・・・、・・・・・・・・、なんてことを話した。
そのときの若手官僚達の真剣な顔が忘れられない。
さて、官僚が利権集団と言われて久しいけど、それは官僚だけだろうか。
今のボクには、日本社会の一側面にしか見えない。
利権争い、派閥闘争、覇権争い、これらは「組織」というものが一端、形作られたら、起こるべくして起こるように思えてならない。ボランティアを含め、ボクは今までいろんな組織に属してきた。会社で然り、自治会で然り、PTAで然り、同窓会で然り、野球連盟で然り、ファンクラブで然り、様々なところに、争いの縮図を見ることができた。場合によっては重要なプレイヤーだったこともある。争いは、規模が大きいか小さいかが違うだけで、起こっていることは同じ図式に見える。
そこに見えてくるボクたちの行動の基準はなにかというと、「有利に立ちたい(利便性を得たい)」という思いだ。
当たり前の話しだけど、ボク達人間は、未来を予測することはできない(予測することは難しい)。ならば、間近なところで「有利に立とう」と考えるのは当たり前のことなのかもしれない。「有利に立とう」、「利便性を得たい」という思いがドコから湧いてくるのか分からないのだけれど、おそらく進化の過程でボクたちにプログラムされたものだと思う。間近な有利にボクらは心惹かれる。
そして、個人レベルの「有利」はいつも互いに競い合っている。その個人を内包した組織も、組織レベルの「有利」で組織同士で争っている。そして、その組織は無数にあり規模も数多。
我々日本人は、世界レベルの組織で見れば現在「有利」に立っていると言えるけど、いつかは「不利」に転じることがある。または、「不利」か「有利」かどちらかになろうとする臨界点が来ると思っている。なぜそう思うかというと、縮図の中が、いつもそうなっているから。世界レベルと地域自治会レベルを同じにするなという指摘があるかもしれないけど、どちらも末端は個人レベルからなっていて、構造上は何も変わらない。
ボクが言っていることと少し違うけど、そういうことを明らかにしてくれた良書がある。
マーク・ブキャナン著「歴史は『べき乗則』で動く」
物理学で歴史を紐解こうとするもので、本の前半は、その理解の元となる「フラクタル」や「べき乗則」や「非平衡科学」のことが「地震」や「砂山の崩壊」を例に丹念に書かれてあって、ボクの嗜好性とピッタリでナカナカヨカッタ。
内容は、想像通りで、驚くほどのものではなかった。
実は、大学4年のとき、就職先の一候補として通産省(現在は経済産業省)はどんなもんかと思い、OB訪問を実行したのだった。
「・・・やりたいことがあるんだったら、官僚になるのが一番だよ・・・」
そんな、真しやかな話しが、その頃のボクの耳には届いていた。
そして、ソレがどういうことなのか知りたかった。
ウスウス分かっていたけど、トニカク、上京して確かめてみたかった。
アポをとっていたOBとは会えなかったけど、入省2~3年というところの若手官僚数人と会談する機会を得た。
昼食を一緒に食べ、その後、談話室か狭い会議室に場所を移し、しばし歓談となった。
志望動機を聞かれた。
準備していたことを簡単に喋った。
勉強してきた専門的浅知恵から導き出した資源エネルギーの安定確保について語ったりしたけど、そんなことは、どうでもよく、「官僚」の中身を聞き出したかった。
国会について話してくれた。
「・・・国会中継とかで大臣が答弁してるでしょ、アレ、オレたちが書いてるんだよ・・・」
「・・・政治家なんていなくったって、国は、ちゃんと動くんだから・・・」
外郭団体のプランについて尋ねられた。
「・・・官僚組織はピラミッド構造なわけで、出世できなければ、出てかなくちゃいけないでしょ・・・、要するに就職先を自分で作るってことだけど、何か、今、考えがあるの?」
準備していたことを簡単に喋った。イチかバチかだった。
その頃、疑似科学に夢中になっていたのだけれど、そういう疑似科学に関するデータベース化を担う研究所を設立し、表向きには、疑似科学を利用した煽動あるいは悪徳商法から国民を守ることを目的にし、・・・・・・・・、・・・・・・・・、なんてことを話した。
そのときの若手官僚達の真剣な顔が忘れられない。
さて、官僚が利権集団と言われて久しいけど、それは官僚だけだろうか。
今のボクには、日本社会の一側面にしか見えない。
利権争い、派閥闘争、覇権争い、これらは「組織」というものが一端、形作られたら、起こるべくして起こるように思えてならない。ボランティアを含め、ボクは今までいろんな組織に属してきた。会社で然り、自治会で然り、PTAで然り、同窓会で然り、野球連盟で然り、ファンクラブで然り、様々なところに、争いの縮図を見ることができた。場合によっては重要なプレイヤーだったこともある。争いは、規模が大きいか小さいかが違うだけで、起こっていることは同じ図式に見える。
そこに見えてくるボクたちの行動の基準はなにかというと、「有利に立ちたい(利便性を得たい)」という思いだ。
当たり前の話しだけど、ボク達人間は、未来を予測することはできない(予測することは難しい)。ならば、間近なところで「有利に立とう」と考えるのは当たり前のことなのかもしれない。「有利に立とう」、「利便性を得たい」という思いがドコから湧いてくるのか分からないのだけれど、おそらく進化の過程でボクたちにプログラムされたものだと思う。間近な有利にボクらは心惹かれる。
そして、個人レベルの「有利」はいつも互いに競い合っている。その個人を内包した組織も、組織レベルの「有利」で組織同士で争っている。そして、その組織は無数にあり規模も数多。
我々日本人は、世界レベルの組織で見れば現在「有利」に立っていると言えるけど、いつかは「不利」に転じることがある。または、「不利」か「有利」かどちらかになろうとする臨界点が来ると思っている。なぜそう思うかというと、縮図の中が、いつもそうなっているから。世界レベルと地域自治会レベルを同じにするなという指摘があるかもしれないけど、どちらも末端は個人レベルからなっていて、構造上は何も変わらない。
ボクが言っていることと少し違うけど、そういうことを明らかにしてくれた良書がある。
マーク・ブキャナン著「歴史は『べき乗則』で動く」
物理学で歴史を紐解こうとするもので、本の前半は、その理解の元となる「フラクタル」や「べき乗則」や「非平衡科学」のことが「地震」や「砂山の崩壊」を例に丹念に書かれてあって、ボクの嗜好性とピッタリでナカナカヨカッタ。
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