チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ピアノ10台、一流奏者20人のコンサート(1985年東京文化会館)

2015-11-08 21:18:12 | 日本の音楽家

1985年5月1日に東京文化会館で日本演奏連盟20周年記念の「ピアノフェスティバル」が開催されました。


↑ アンコール曲として「40本の手のためのキラキラ星」が演奏されたときの写真。

10台のピアノはスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ヤマハ、カワイなどの最高級ピアノばかりだったそうです。それを有名なピアニスト20人で演奏!

その20人のピアニストとは。。(東京文化会館アーカイブより、敬称略)

三宅洋一郎(1914-1994)
井内澄子
大島正泰(?-2012)
大堀敦子
金沢益孝(1924-1995)
高良芳枝(1925年生まれ)
田村宏(1923-2011)
松岡貞子(1919?-2010)
横井和子(1920年生まれ)
伊達純(1920-2000)
小林道夫(1933年生まれ)
岩崎淑(1937年生まれ)
遠藤郁子(1944年生まれ)
遠藤秀一郎
北川暁子
寺田悦子(1950年生まれ)
林秀光(1936?-2011)
深沢亮子
山田富士子
小林仁(1936年生まれ)

肝心の演奏ですが、すごい音量だったけど、結局はまあまあだったようです。
小林道夫氏の感想→「もっとスッ頓狂なことになるのかと思ったら、意外とマジメな演奏ができた」。

なお、写真のピアニストたちがそれぞれどなたなのか判別できずにもどかしいです。
判明したところから記入していきます。もしかしたらほぼ上記の名前順なのかも。

(上の写真左より)


1組目 右は三宅洋一郎さん?

 


2組目

 

 

3組目

 

 

4組目

 

 

5組目

 

 

6組目 右は林秀光さん?

 

 

7組目 右は遠藤秀一郎さん

 

 

8組目

 

 

9組目 左は深沢亮子さん?

 

 

10組目



(フォーカス誌1985年5月17日号より)


「幻のピアニスト」ニレジハジ2度目の来日(1981~82年)

2015-11-07 00:29:09 | 来日した演奏家

2歳でピアノを始め、4歳で作曲し、6歳で初のリサイタル、12歳でベルリン・フィルと共演し、17歳でカーネーギー・ホールでリサイタルを開いたというすごい経歴を持つハンガリー生まれの「幻のピアニスト」、エルヴィン・ニレジハジ(Ervín Nyiregyházi, 1903-1987)の2度目の来日のようすです。(フォーカス誌1982年1月29日号より)


↑ 他の国では演奏しないけど、「誠実な日本人のため」だけに演奏するニレジハジ。1982年1月19日、都内のホテルにおける79歳の誕生日パーティ。いつも頭に音楽が流れているという彼はピアノの練習をまったくしないので有名だったらしいです。右のテーブルには團伊玖磨氏、山本直純氏の顔も見えます。

その輝かしい経歴にもかかわらず、ニレジハジは23歳の頃にカネのための音楽に嫌気がさして以来50年余り演奏活動をやめてしまったそうです。その間、ニューヨークの地下鉄構内に住みついたり、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコの貧民街をさまよったりして「幻のピアニスト」になった。。

50年ぶりの復活のきっかけになったのが、9人目(!)の夫人の入院費用をかせぐために、1973年にサンフランシスコの教会で演奏を行ったこと。しかしながら、それ以降も公の場では演奏しないスタイルは変えず、放浪中にピアノなしで作った1500曲の作品はプライベートな集いの時だけに演奏されていたようです。

そんな彼が、群馬県の高崎芸術短期大学で1980年と1981年にリサイタルを開くことになったのは高崎短大の設立を進めていた小池(堀越)哲二学長(当時。この方はその後いろいろあったみたいですね)が新聞の記事に触発されて1979年に渡米し、ロサンゼルスのダウンタウンのホテルで二レジハジの心を動かしたからだそうです。


。。。ニレジハジ、全く知りませんでした。再び「幻のピアニスト」になっちゃってますね。ネットでは彼の演奏を聴くことができます。

「初めのプランどおりに演奏するのは嫌い。コンサート中に自由に感じたままやるのが私の演奏」。


ヴォーン・ウィリアムズ最晩年の写真(1958年)

2015-11-03 21:36:55 | メモ

『アサヒカメラ』1959年6月号より、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872-1958)の最晩年の写真です。チェコ出身の写真家、エーリヒ・アウエルバッハ(Erich Auerbach, 1911-1977)が撮影したものだということです。


1958年の初め、マイケル・ティペット(Sir Michael Tippett, 1905-1998)の交響曲第2番のBBCにおける録音に立ち会ったときの真剣な表情。


同じときの別の写真です(ここから拝借しました。)


左からエイドリアン・ボールト(Sir Adrian Boult, 1889-1983)、ティペット、ヴォーン・ウィリアムズと2人めの奥様アーシュラ(Ursula Vaughan Williams, 1911-2007)。足だけ写っている人は誰だか不明。

Wikipediaによるとアーシュラはヴォーン・ウィリアムズとダブル不倫関係にあったそうですが、ヴォーン・ウィリアムズの一人目の奥さんを亡くなるまで看病してそのあと結婚したそうです。なんかすごい。


ベルリオーズ「ロメオとジュリエット」日本初演(1966年)

2015-11-02 21:10:58 | 日本初演

日本教育音楽協会編集『教育音楽(小学版)』1967年2月1日号に、ベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』(Roméo et Juliette)作品17日本初演の写真が掲載されていました。


↑ 1966年11月27日(日)東京文化会館にて、若杉弘指揮NHK交響楽団。撮影・堀田正実氏。


コンマスが見えねーよー。あと、左上に飾られた写真はどなたの御尊顔?それにしても若杉弘さんってすごくパワフルだったんですね。いろいろな曲の初演を指揮されています。



さらに3ページ先にはやはりベルリオーズの「レクイエム」公演(日本フィル)の写真が載っています。こちらに関してももしかしたら本邦初演!?(根拠なし)



会場が東京文化会館だということはわかりますが、日時や指揮者が誰なのか等がまったく記されていなくて不親切。調べたくなってしまいます。