この季節になると思い出す事が有る。
と、言ってもたいてい5年間ぐらいは忘れてる。
が、潜在的に残っている。
そう、あれは小学5年生の3月だった。
たまたま風邪で休んだ次の日の4時間目が終わった給食前、ざわついた教室で担任が「卒業式の贈る言葉を誰にするか昨日決めたんだけど大賀君が推薦されて決まったのだけど、いい?」と言って来た。
とっさの担任の言葉に驚きつつも、決定事項ならばしょうがない、いや抗うのも恰好が付かないと思い反射的に同意の返事をしてしまった。
人が居ないときに決めるだなんてヒドいや!とその日の午後はずっと釈然としなかった。
家に帰って母親に言うと「送辞代表に選ばれるのは良い事だ」という意味の言葉を投げかけてくれた。
釈然としない私の表情を読み取っての事だと、ヒトの親になった今は母親の気持ちがよく解る。
この出来事から、38年経っているが5年周期ぐらいで思い出しては、当時の担任の悪行を恨んでいる。
と、言ってもたいてい5年間ぐらいは忘れてる。
が、潜在的に残っている。
そう、あれは小学5年生の3月だった。
たまたま風邪で休んだ次の日の4時間目が終わった給食前、ざわついた教室で担任が「卒業式の贈る言葉を誰にするか昨日決めたんだけど大賀君が推薦されて決まったのだけど、いい?」と言って来た。
とっさの担任の言葉に驚きつつも、決定事項ならばしょうがない、いや抗うのも恰好が付かないと思い反射的に同意の返事をしてしまった。
人が居ないときに決めるだなんてヒドいや!とその日の午後はずっと釈然としなかった。
家に帰って母親に言うと「送辞代表に選ばれるのは良い事だ」という意味の言葉を投げかけてくれた。
釈然としない私の表情を読み取っての事だと、ヒトの親になった今は母親の気持ちがよく解る。
この出来事から、38年経っているが5年周期ぐらいで思い出しては、当時の担任の悪行を恨んでいる。