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城郭 長谷川博美 基本記録

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歴史推理小説  明智十兵衛の正体

2020-03-10 08:08:35 | 小説



歴史推理小説  明智十兵衛の正体

 本能寺の変で織田信長を自害に追い込
んだ明智日向守光秀の正確な氏素姓は今
も謎に包まれており、彼の前半生は正確
には現在も解明されていない数々の伝説
評伝はあれどその正体は依然謎のベール
に包まれており日本史のカギを握る謎の
人物でもあるがそれ故に架空小説や幻想
談として語られる事多く恰好の小説の種と
言える。この以下の文章は小説である事を
お断り致したい。従って史実と関係がない。

元亀元年の近江志賀の陣を後にして明智
光秀は志賀郡一帯を織田信長家臣森三左
衛門に代わり坂本城を本拠として知行し
始めた。山門比叡山の管理監視を含めて
の事。また『信長公記』には明智が足利
義昭と山門の税金に関して紛争を起した
事を記している。

坂本城 浜の座敷にて

明智家臣
殿!根来坊と申す廻国の旅僧が参られ
ました!

明智光秀

よかろう!根来坊なる者を浜の座敷まで
通せ!諸国の情勢を聞き出しておこう!

根来坊
おう!久しぶりじやのう!進士藤延殿よ!
いや今は確か?明智十兵衛殿と聞き及ぶ!

十兵衛光秀
貴奴!いずこの大名の密偵じや!余計な
詮索すると坂本城から生かして帰さんぞ!

根来坊
まあ良いではないか!貴殿と拙僧は鉄砲
において鈴木孫一殿の門下の兄弟弟子で
はないか?まあ仲良くしてくれ身内同然
じや!それ拙僧が近江左女道場に本願寺
殿の密書を持って赴いた折に貴公と対面
しておるわな?あの時お主は十左衛門の
所に身を寄せる鉄砲修練の若党の身であ
ったのう?お主はなにせ万事に器用じや。
ある時は近江田中の城では薬師の十兵衛。
ある時は越前朝倉では鉄砲の名手十兵衛
朝倉義景殿の目にとまるも出世は出来な
んだ。お主は義輝公なき後は一条院覚慶、
つまり流れ公方足利義昭を擁立する為に
奈良、甲賀の和田屋敷、近江の矢島御所
朽木屋敷を経て若狭武田殿の屋敷へ、そし
て朝倉義景殿に仕官を切り替えて、今度は
またまた義昭から信長の家臣へと変節を繰
り返す正体不明の表裏卑怯の天下の曲者と
言う訳じやのう?

十兵衛光秀
此奴!八つ裂きにして琵琶湖に捨てるぞ!

根来坊
それにしても藤延殿!おぬしは真に器用な
人物じやな?足利義輝公つまり足利義藤に
使え、細川藤孝殿に仕え、名前も藤延と名
のったがワシは貴殿が永禄の乱の時に義輝
将軍に従って戦死したとばかり思い込んで
おったわ、あの死体実は藤延殿では無くて
真の、明智十兵衛殿であったのであろうか
のう?貴殿!松永久秀殿と計って御所へと
三好の兵を引き入れたな?おそらく藤延殿
その方は松永より大量の金品を受領し主君の
義晴を売った真の謀反人であろう。まあ進士
藤延では一生しがない貧乏暮らし下剋上の嵐
吹き荒ぶ昨今の当世では仕方のない事である。
しかし
足利義輝は元の名は「義藤」じや!
三淵藤隆殿も細川藤隆殿になった
貴殿、多羅の進士藤延殿も
明智十兵衛尉となった訳じや!
やがて九州の名族惟任日向守に
なりすます、つもりじやろう?

三宅弥平治
これ無礼者めが我殿を愚弄いたす気か!

根来坊
お主は確かに美濃土岐の一族には違いは
なかろう。しかし近江の立入殿から聞き
及ぶに土岐の随行員にしか過ぎぬ、本性
らしいのう?とき多羅城に住みまた近江
の左目にも別業を持っ事は佐々木六角や
美濃西村庄九朗ら親子も元と言えば大山崎
の油売りの美濃守護代斉藤氏また京都の
将軍家との連絡には最も適した場所こそ
多羅や左目と言う事が言えるのう?山里
なれど西に東に北に南に使い走りをする
宿としては左目はちようど良き繫ぎの所。
それに越前若狭では窪田から築城を学び
犬上郡では数々の多賀京極の築城技法も
習得した。勿論越前加賀境では加賀の城
つくりの術も学び習得した。お主の縄張
した佐目腰越えの城も東国の城の癖が出
ておるわのう?鉄砲、築城、医薬、諸国
の世情に通じておえればあの信長が貴殿
の才気をまさか見逃す訳はなかろうて?

明智光秀
 御坊、相解った!儂は貴殿を害する事
より鉄砲の射手として諸国偵察す間諜と
して早速採用したい。御坊の右ほほには
鉄砲射撃を千度万度繰り返した梨の様な
火傷の跡が残る手練の者、即刻採用致す!

根来坊
ほう、、流石は進士藤延いや、明智殿の
事だけはある。その慧眼!流石俊敏じや!
室町幕府の犬上の葛籠座への、使いや藤
ズル、と言えば犬上郡の左目の藤こそが
天下無双の上質の藤と、言えようのう?
明智十兵衛光秀こと進士藤延とはよく言
ったものよ!将来に備え御貴殿は西美濃
の斉藤利三なる武人を採用される事進言
致す!つまり稲葉氏より有能な斉藤利三
は四国長宗我部とも縁者にして将来をば
見越して有能の士を引き抜いて抱えられ
る事を進言致し申す。

三宅弥平治
貴殿は、また我らの殿を愚弄いたす気か!
西美濃斉藤利三は顔見知りの優れた武士!

明智十兵衛
まあまあ貴僧は正体なき儂の事を知り過ぎて
はならぬわ、知らぬ顔をしておけば良い事!

根来坊
十兵衛殿に早速忠言を申上げる。真に失礼
なが貴殿は若い頃より真に器用の人物にて
拙僧の鉄砲打ちは右打ち専門で右頬に火傷
のあと残る顔じや。つまりは順手と言う事。
貴殿は鉄砲を順逆の左右に打ち分ける者で
真に外見は容姿端麗なるも両頬に梨地の火傷
の跡を残しておる。信長殿は癇癪の持ち主!
貴公の面を見てまたその頭を見てキンカ頭と
暴言履く事は、必定じやろう。足利義輝公も
信長も麒麟の花押をば使う人物じやが貴公は
若し、信長が泰平の世を招来するだけの真の
器でないと見た時に、主信長を殺害するだけ
の気骨があるか?天下人とは万民を全て泰平
の世へ向かわせる聖人君主を古来より聖王と
天下を治る人と呼ぶのではないのか?今一度、
是非常日頃よりよく深く熟慮を、されたい!

明智光秀
笑止千万、儂は下剋上の申し子そのものよ!
貴僧のような漢籍論語や儒学の理想を鑑とす
るお人よしの善人、なまぬるい人間ではない!
儂は貴殿をただ殺すより鉄砲の射手として用
いるだけの事!生きた屍として用いるだけよ!

根来坊
しかたあるまい!十兵衛殿とは旧知であるが
今ここ琵琶湖の底に石地蔵として沈む事より
生きた屍の鉄砲打ちの僧として生きるわい!

明智十兵衛
さて御坊!早速比叡の辻で貴殿の鉄砲の手並
を拝見するとするか?その手並みは杉谷善住
坊らと同等と見た!お主は二つ玉使いの鉄砲
であるまい。我ら同門の孫一殿と同じ型よな?

根来坊
杉谷の奴、六角に頼まれ八風峠で信長殿の狙撃
を仕損じて今は高島郡に潜み居るとの風聞じや!
杉谷の正体、伊勢の千種の者とも甲賀杉谷の者
とも言うが何れにせよ。鈴鹿の山並みに住まい
する鉄砲打ちと言う事にとでも言えようかのう?

明智十兵衛
相解った。この件高島の磯野丹波殿の所に注進
しておく、高島郡未だ織田方に制圧されておら
ぬ、信長殿が佐和山で大船を作らせた時節には
藤吉郎殿は犬上郡来栖で大木を芹川松原に流し
て我ら一門は左目畑から犬上川を大木を流して
大船を作る木材を松原まで湖岸経由で運搬した
ものよ。木下殿には美濃安八郡時代より世話に
なっておるからのう。あの仁世俗に通じておる。

根来坊
お主あの藤吉朗を下賤の身の者と、侮り見下し
てはならんぞ、藤吉朗こそ油断のならぬ奴じや
あの者いずれ我ら根来を潰しにかかる男と見た!

明智十兵衛
そうよのう!あの者、氏素性も解らん!木下とも
今度、羽柴筑前とも名乗りその正体は解らん者!
さても、羽柴筑前守秀吉とは見事に化けたもの!

根来坊
そう言う御貴殿とて美濃の明智か多羅の藤延とも
佐目の十左衛門とも明智十兵衛尉光秀とも正体が
解らぬ一僕を従えるだけの中間や足軽ではないか?
何れ朝廷から九州の名族、惟任の姓と日向の守の
官途も与えられよう何れ貴殿は信長殿に使い捨て
られる運命それても貴殿が信長殿を打っであろう。

三宅弥平治
御坊言葉が過ぎるぞ!一僕のとは儂の事か?
殿が信長殿を打つなどありえるはずが無いわい!

明智十兵衛
まあ良い!今度高島郡を信長殿は大船を持って
制圧された。薬師時代の思い出の、あの田中の
城も儂に木戸の城とともに預けられた儂にとり
勝手知りたる湖西高島の地と、言えるようぞ!

根来坊
木戸の城は木戸の峠を扼し監視するに優れて
おるしかし今は水辺に近き木、戸の地に然る
べき、当世に見合う山城をば築城されよ!

明智光秀
御指南には及ばんわ!すでに木戸には新しき
城を普請して天守も二基そなわる城を丹波の
浪人野々口に任せておるわ!後に丹波制圧の
みぎりには、野々口丹波を案内とする所存。
この城とて京流に仕立てた上方の城の様式。
▼大津市野々口丹波城 長谷川博美図

根来坊
ほう流石は犬上の明智じやのう?貴殿は男鬼
の古城に2天主がある事を悟ったのであろう?
確かに貴殿の坂本の城も大小天守を構えおる。
あの敏満寺の城も大小天守の有る城じやのう?
余り立派な天守は控えられよ貴殿は織田外様
出過ぎた真似をすると逆に貴殿の首が飛ぶぞ!

根来坊
という事は明十こと明智光秀とは元々は近江や
畿内や若狭越前を流浪する流れの者の十兵衛で
御貴殿とは本来生国近江と言う事なるのかな?

明智光秀
詮方なき事を言うな!ある時は室町殿の足軽
ある時は細川殿の中間あるときは高島の薬師
そしてある時は越前朝倉殿の鉄砲奉行ある時
は美濃斉藤の家臣にして鷺山殿帰蝶様の縁者
と言う事で織田家外様として流れ流れる流浪
の身、元より素の浪人明智十兵衛と言う事よ!
叡山の仕置きを信長殿より指示されたまでの
事よ!明智光秀 黒印 山は叡山を言う。
叡山を「山」を睨むは儂本来の仕事じや!▼



根来坊
ほう?諸国廻国の渡り侍の流れ侍が貴殿か?

明智十兵衛
此度元亀三年高島打降ろしの城より江北浅井
の敵地を攻めよとの信長殿の指示じや早速に
乙女浜大溝の地に琵琶湖の舟侍どもを集合さ
せ軍議を開く。よいか儂がこの方面の指揮を
信長殿より任されておる!湖西の諸将を秀満
弥平治早急に集合させい!弥平治は近江左女
に居たおりに騎馬のまま犬上河原で水練した
水馬の名手左目に因んで明智左馬之助秀満と
名乗れ!よいか!おぬしは「さめのすけ」と
読むのじや!古来大和の朝廷が白馬左目馬を
飼った時の役職が左馬寮「さめのつかさ」
つまり白馬の馬の事を左目と古来言うのじや!
もう一つ言い渡しておく我ら明智と縁戚にある
墓石は犬上河原に投げ捨てよ!乱世の習い非常
の時節である我らの正体は隠しおく事が肝要!

▼江戸時代 明智光春 湖水渡りの場面
光春の陣羽織りの背中には加納永徳描く
水竜、臥竜の荒々しき竜の姿があり!



三宅弥平治
委細承知致しました。やがて信長殿都にて
織田家の武威を畿内に示す為に朝廷に長く
絶えた馬揃え節会の役目をば、我ら明智に
命ずる事は必定でござろう。その時までに
我ら有職故実を京都の神祇官吉田家を訪れ
馬揃えの故実も習得しておく事にします!
また殿の御縁者、坊城殿とも密接に交流し
万事ぬけめなく都の準備万端用意しますぞ。
坂本城にも坊城様の屋敷しつらえますぞ!

根来坊
三宅弥平治殿とやら私は細川藤孝殿から貴殿
が塗師の子息であったと聞いておるぞ、犬上
の大君畑には木地師が住まう所じや木椀には
必ず塗師が必要じや!お主もさては左目隣村
の大君畑に由縁あるものかのう?たしか左目
ヶ畑から大君ヶ畑には「馬城」なるものもあ
つたと覚えておるがのう?鞍骨山も陣屋山も
猿ヶ番場地名もこの地に残っておるでのう?
確か明智秀満殿の甲冑の前立てもウサギには
非ず荒馬の耳にて秀満殿の甲冑見り知りおく!



明智十兵衛
御坊!もう余計な推測は止められい!御坊
とて根来に帰れば、杉の坊妙算などに続く
家格すぐれた鉄砲の名手にして忍びの者
で有る事は御推察できると言うもの貴殿
を殺さず我らが使う事も貴殿の腕を見込ん
での事じや!よくよく忖度して空気を読め!

明智十兵衛光秀

さて大溝にて我らは湖族の殿輩と軍議を
開催致する。
琵琶湖は高島打降しの城の林与次左衛門殿
そして我明智十兵がこの水軍を監督する!
堅田の猪飼野甚介殿、大津の・山岡玉林殿
馬場孫二郎殿、堅田の居初又二郎殿に申し
つけおく。方々の舟は囲い舟に仕立て銃撃
の用意をされよ。竹生島にも鉄砲を撃ち込
み浅井の小谷城からも是みよがしに見える
様に竹生島の東小谷城から見える場所にて
銃撃を加えられる事を申しあげる!


堅田の猪飼野甚介
我らは堅田浦は古来より北近江阿曽津浦に
ぞ嵐をさけて寄湊する習がある。阿曽津や
飯の浦を目指す事にする!

明智十兵衛光秀
待たれよ!早まるな!飯の浦坂は急峻に
して海原衆の足元の草履は必ず破れ血に
染まる。草履と足中を普段の陪の数をば
用意されい!なによりも足元が肝要じや!

堅田の猪飼野甚介
明智殿流石は北近江の地理知勢に通じて
おられのう?お主は生国近江であろう?

明智十兵衛光秀
余計な詮索はなさるなこの十兵衛越前や
近江の往来には偶然慣れておるだけの事。
文献『信長公記』の元亀三年の記述には
「海上は打下の林与次左衛門・明智十
兵衛、堅田の猪飼野甚介・山岡玉林・
馬場孫二郎・居初又二郎に仰せつけられ、
囲舟を拵へ、海津浦、塩津浦、与語の入海、
江北の敵地、焼き払ふ。竹生島へ舟を寄せ、
火屋・大筒・鉄炮を以て攻められ侯。」と
ある与語の入海とは言うまでなく余呉湖の
事である。歴史上の人物、明智光秀一向は
北近江に文献では現実に来ているのである。
▲令和2年の長浜余呉城郭研究会のPR事業。

歴史推理小説の軍議は続く
明智光秀さてさて我には琵琶を制圧して
姉川を遡上して小谷城の姉川封鎖を実施
する。本願寺から伊勢から鈴鹿を超えて
犬上の薩摩湊から浅井の小谷城の湊へと
籠城用の火薬や物資は一切入れさせては
成らん!犬上の我らの仲間には鈴鹿山系
の厳しい見張りを申し伝えておいたわ!

明智秀満
さてさて殿みずからは陸路を江北小谷へ
と進軍されないのですか?虎御前山城の
信長殿の陣へと伺候挨拶されるのが良い
かと存じあげるが、如何なされるのか?

明智光秀
此度の儂の役目は海上琵琶湖での働きを
信長殿より申し渡された先ずは高島郡を
完璧に鎮圧する事こそ我らの役目じや!
良いか!海津浦、塩津浦、与語の入海で
回収した米穀は一旦飯の浦の港に集めよ!
そして浅井郡飯食山にて信長殿や羽柴殿
に糧食を虎御前山へと補給せい!明智勢
は明智光春つまり秀満を主将として山脇
山に陣を取る事を命じる300の兵員で大
三千の軍勢に見せる工夫をせい!水色の
桔梗紋の旗を三千人分即刻用意して山脇
山に打ち立てい!

明智秀満
しかしの300人の軍勢とは如何な陣容かと?

明智光秀
明智左馬助光春、三宅式部、隠岐五郎兵衛、
奥田左衛門、今峯頼母、都合三百人騎にて
山脇山に東西陣を張り三百が三千に見える
工夫をせい!よいか普請は山脇山の塚を残
し大きな普請したる様に犬走を多数備えよ!
▼山脇山城址図 長谷川博美図


明智秀満
三千人分に見える明智勢ま旗を何処で調達
致します?殿にはその算段ござりますか?

明智光秀
小谷城下に美濃山なる美濃より美濃紙職人
を写り住まわせた美濃紙の土蔵があるその
土蔵の美濃紙にな明智の水色桔梗の紋を書
旗として、急ぎ山脇山に打ち並べよや!
明智秀満
心得ました。しかし越前玉泉坊丁野山城と
浅井の中島宗左衛門中島城に籠もり居りて
我ら明智勢より多勢にて是を退ける事は出
来もうしません!
明智光秀
私は越前一乗谷で朝倉殿の前で100発の鉄砲
の試し打ちをした事がある。敵の玉泉坊も儂
の鉄砲をうつ間合いは聞き覚えておる。儂と
玉泉は旧知なか越前へとかの者が退けば助命
いたすと明智光秀の書状を矢文で打ち込めば
必ず玉泉坊は平泉寺へと引き上げる。中島城
は小さい城にて玉泉坊引けば必ず退散する。
さすれば我ら明智一門は信長殿よりの褒賞は
確実にして汝等の前途開けると言うものじや!
山脇山の検視には必ず森蘭丸が訪れるはず!
儂の陰武者は左女十左衛門が身代わりを務め
る。根来坊は儂の越前での鉄砲の間合いで
100発を玉泉坊の城に打ち込めば彼らが引く
事は必定じや!
明智秀満
心得申した。左目十左衛門は殿の景武者の
役目をさせます。十左衛門の両ほほには今
より殿のごとく火傷を無理矢理に施します!
明智光秀
もし儂が将来いずこかで打ち死にする時は
十左衛門の顔の皮をはいで明智光秀の身代
わり首とせよ。本物の儂は僧侶にでも薬師
にでも化け卑怯にもふてぶてしく頓世する
覚悟があるわい!儂に忠儀など通用せんわ!
根来坊
さて坂本の城の浜の座敷の井戸郭にあるかの
竜頭の瓦あれは明智秀満殿の兜しころの後に
描かれた金の竜と同じ意味をなす水に臥せる
臥竜でござるか?それとも麒麟の頭であるか?
▼坂本城 井戸跡より出土した竜頭瓦
明智光秀
麒麟でも竜でもどちらでも構わんわ!
人の世のなど短きもの坂本の城も我ら
の命運もいずれは泡沫の水の如く消え
行く定めにあろう。いっそ坊主にでも
成りすまして太田道灌殿の江戸の城に
でも東叡山でもつくるのも一興じや!
太田道灌殿の道灌掛かかりは如何な城
の作りであろうかのう?関東足利学校
の書物も是非一読したいものよのう!
明智秀満
儂の背中の水竜をば後世の人は知り得るか?
さて坂本城の竜頭瓦が後世まで残るかのう?
追記
最近『江侍聞録』なる最古級の明智光秀伝説
が発見されその記録は明智光秀生国近江と記
している。また文献『信長公記』本能寺の変
の原文には織田信長の宿本能寺を取り囲んだ
軍勢を「明智の者」とみえますと信長側近の
森乱丸「乱丸」が寺の表の様相を報告する件
がありその後に有名な信長の最期の文言とな
る。「是非に及ばす」が続いている。歴史の
真実や真相は常に解らないものであるが歴史
の現場ではないかと思われる滋賀県犬上郡の
佐目の城址の現場や滋賀県長浜市山脇の現地
の遺構を現実にみると私は足元がワナワナと
振るえる事がある。
▼山脇山古図 明智の文字が見える
▼山脇山古図 寄手 明智日向守の文字が見える

▼山脇山古図

▼山脇山城図 長谷川博美図

ただし城郭遺跡を見る為
には現地遺跡の城址遺跡の見学の手法の基本
が全くない人にはそこが真の城郭遺構なのか
判別が付かない場合が多い文字の歴史を尊重
される傾向の人には現地遺構が全く認識出来
ないジレンマが長く長く続いている。集落の中
に素直に現地遺跡を見学される純粋な少人数が
出現しても現代の全体主義とは素朴で少数の人
を認めない事が常である。私は歴史を文字から
も現地遺構からも学んでいる。そのような意味
で城に関する真の先生とは現地城郭遺跡その物
かもしれない。上記推理小説の中で根来坊なる
架空の人物を私は登場させて推理小説の物語を
膨らませているがこの人物は現代の何がしかの
人に相当する人物。また佐目には鈴木孫一の署名
の文書も本願寺の文書も実際に佐目に残っている。
勿論本能寺変後、素早く多賀社に歴史上の人物の
明智日向守による多賀社に対する本物の禁制も残
されいる。歴史の真実とは、一体何であろうか?

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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Unknown (長谷川博美)
2020-03-11 12:45:31
良いね!
みなさん
ありがとう。
返信する
Unknown (Unknown)
2020-03-11 22:48:54
是非この記事読みましょう。
返信する
Unknown (匿名)
2020-03-11 23:05:24
この投稿は素晴らしいです。
返信する

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