この記事のおおすめ度
五段階で★★★★★★星6
対話者
いや~驚きましたね!長谷川先生!いや私
てっきり長谷川先生って平凡な山城ガイド
の人かと思っていたんですよ!しかしね!
「長谷川博美 あいおうお」記事読み返した
ら、いや、驚いた、驚いた、物凄く驚き飛び
上がり驚きましたよ。発想や着想がユニーク
で変っていると感じる人は駄目、おそらくは
普段城郭を一般的に、捉えておられる人だと
思います。これが普通だと思いこんでしまう
と人間社会とは、これがスタンダードと言う
固定概念に捉われて進歩しないのです。
「長谷川博美 あいおうお」
の安土城のビスタ線なども固定概念を打ち砕く
ほどショツクを受けてました織田信長と言う
人物の特異性を改めて再認識いたしました。
長谷川
ええっ?そうなんですか?僕は極めて平凡
ですよ!なんの事でしょうか?
対話者
先ず賎ケ岳城塞群つまり賎ケ岳合戦における
陣城を1980年代に既に計測して縄張図を既に
発表されていると言う研究の先行性や、また
賎ケ岳城郭フオーラムで城郭遺跡講師に採用
され臨時築城「織豊系陣城の実態」を世間
に知らしめたと言う実績と功績。勿論滋賀県
中世城郭分布調査では城址現査のエース級と
して現地調査に臨まれている現実。またその
図面が光学測量された現代測量に最も詳細な
現実に近い現実を示していたと言う驚き。
これは専門測量技師の驚愕の指摘ですね。
城址を大衆に知らしめる場合には観光ならば
城址がある場所だけの表示で事足りる。また
城郭講演ならば一般大衆が見て、理解し易い
簡略図が用いられ城郭論が展開される場合が
多いんですが、長谷川先生の場合縄張図より
さらに現実の現地地形を「縄打ち」のレベル
つまり大雑把な概念図ではなくミクロな中世
の城造り達が取り組んだ城普請の現場レベル
まで踏み込んだ図になっていた。久しぶりに
『築城記』を読み縄張りよりも更に繊細な
城普請の事を記録したものに「縄打ち」と
言う言葉がある事を指摘される長谷川先生に
改めて驚きます。
長谷川
何がでしょうか?私は平凡素朴な人間です。
対話者
私は人間観察する時も、その人を深読みし
て過大に評価する事は避けています。でも
「長谷川博美 あいうえお」の記事を読ん
でいると長谷川先生がコピー型の人間では
なく基礎に基づいたオーソドクッスな研究
家だと思います。長谷川先生が、特殊では
なくて例えば発見や開発するタイプの人間
つまり研究家としての側面を強く感じます。
研究しているから、こそ発見できる。研究
しているから計測し図面にする。その事は
大衆や世間の皆様は気が付いてないと思い
ます。長谷川先生の重みに、みんな、気付
いていない。例えばバラの字があります。
バラと書けばそれで事たります。しかし
「薔薇」の文字を書きたがらない人は世の
中に多い、バラを薔薇の漢字に挑戦したい
人も少ない。それと同じように
お城の記事に飛付く人は世の中に多いでも
城郭遺跡を見る人は世の中に少ないのです。
長谷川
過分な賞賛は誤解を招き困ります。確かに
首里城が火災に遭遇されて、深く謹んで御
見舞いを申上げます。
厳密に言うと世界文化遺産に認定されたのは
首里城跡、つまり遺跡であり復元された建物
ではない。
この様に時に観光と遺跡の評価の学術の違い
が人間が営む現代社会においてもその価値観
の断面を見る思いを痛感いたします。
長谷川
私は平凡で素朴な普通の人なんです。
対話者
いいや違う!新聞記者にしても普通は定番
の記事を書く人が多い、当たり障りのない
内容です。しかし多賀明智光秀伝説や多賀
の木炭墓の記事や多賀で長谷川先生が偶然
発見された平安貴族の墓に埋納されたいた
八稜鏡なんかでもいち早く記事にしている
辣腕記者もおられます。歴史に精通してる
からこそ書ける、技量、度量、深さを持つ
記者が長谷川先生を見逃す事はないのです。
長谷川
世の内には優秀な歴史新聞記者がおられる。
対話者
菅原道真と言えば右大臣、後に九州大宰府
に左遷して一生を終えます。漢文に精通し
外交官的総理大臣、この大宰府からも木炭
墓が発見され八稜鏡も出土してます。さて
多賀と言えば遣唐使通訳、犬上御田鋤これ
「いぬがみのみたすき」の本貫地とも言わ
れています。中国の墓の伝統としては墓碑
や地売責権とよばれる鉄板製の板碑を使い
ますが、まさか滋賀県犬上郡に木炭墓が
発見され平安の八稜鏡を長谷川先生が遺跡
外の場所から八稜鏡を発見された事に驚く?
こんな事一般の人はともかく並の研究家に
は出来ない不可能な事なんですよ。それは
100m先の針の夢穴に糸を通す事に近い事
です。様々な歴史の事象をも知られて、
なおかつ偶然表面で採取されたものが平安
時代の八稜鏡だった事が驚きです。しかも
長谷川先生は取得場所を詳細に書き入れて
警察に赴かれ取得物として正式に提出され
やがて、これが、多賀町で保管される事に
なった経緯が真にすごいと思います。
もしかすると
賎ケ岳城塞群も多賀明智伝説など
もそしてこの八稜鏡や多賀の地売責権鉄板
なども歴史の霧の中に消えていたかもしれ
ません?そういう意味では長谷川先生の
ブログ記事に良いねを一名様が入れて
おられたり数名様が時に城郭の記事に
言いねを入れる人とは
本当に歴史洞察力が深い人であり、長谷川
フアンと言う軽い解釈ではなく、深い意味
を含んでいると思います。全国の皆様から
コメントの投稿が増える事を私は願います。
長谷川
励ましの言葉を賜り感謝御礼を申上げます。
木炭墓の歴史講座は2013.9.15にありました。
多賀博物館で木炭墓の講座。講師丸山竜平先生。
世話人は、彦根犬上郡、屈指の人傑
もと滋賀民俗学会会員、多賀町議会議員
の、歴史経済有識者、田畑喜久弘様です。
長谷川
また優れた新聞記事としては
平安の木炭墓群、有力者を埋葬?
滋賀・多賀で講演会(朝日新聞2013.9.18)
です。
写真:発見された平安時代の和鏡「八稜鏡」
の断片=長谷川博美さん提供拡大発見された
平安時代の和鏡「八稜鏡」の断片
=写真は長谷川博美さん提供
■有力者一族の墓所か
埋葬した木棺の周囲が木炭で覆われた
「木炭墓」とみられる平安時代後期
(11世紀頃)の墳墓跡が多賀町富之尾の
大谷遺跡から11基まとまってみつかり、
町立文化財センターが発表した。墓地の
取得や被葬者などについて記した「墓誌」
や「買地券」とみられる鉄製の板も4点
出土し、同センターは「この地方を支配
した有力者一族の墓所だった」とみている。
五段階で★★★★★★星6
対話者
いや~驚きましたね!長谷川先生!いや私
てっきり長谷川先生って平凡な山城ガイド
の人かと思っていたんですよ!しかしね!
「長谷川博美 あいおうお」記事読み返した
ら、いや、驚いた、驚いた、物凄く驚き飛び
上がり驚きましたよ。発想や着想がユニーク
で変っていると感じる人は駄目、おそらくは
普段城郭を一般的に、捉えておられる人だと
思います。これが普通だと思いこんでしまう
と人間社会とは、これがスタンダードと言う
固定概念に捉われて進歩しないのです。
「長谷川博美 あいおうお」
の安土城のビスタ線なども固定概念を打ち砕く
ほどショツクを受けてました織田信長と言う
人物の特異性を改めて再認識いたしました。
長谷川
ええっ?そうなんですか?僕は極めて平凡
ですよ!なんの事でしょうか?
対話者
先ず賎ケ岳城塞群つまり賎ケ岳合戦における
陣城を1980年代に既に計測して縄張図を既に
発表されていると言う研究の先行性や、また
賎ケ岳城郭フオーラムで城郭遺跡講師に採用
され臨時築城「織豊系陣城の実態」を世間
に知らしめたと言う実績と功績。勿論滋賀県
中世城郭分布調査では城址現査のエース級と
して現地調査に臨まれている現実。またその
図面が光学測量された現代測量に最も詳細な
現実に近い現実を示していたと言う驚き。
これは専門測量技師の驚愕の指摘ですね。
城址を大衆に知らしめる場合には観光ならば
城址がある場所だけの表示で事足りる。また
城郭講演ならば一般大衆が見て、理解し易い
簡略図が用いられ城郭論が展開される場合が
多いんですが、長谷川先生の場合縄張図より
さらに現実の現地地形を「縄打ち」のレベル
つまり大雑把な概念図ではなくミクロな中世
の城造り達が取り組んだ城普請の現場レベル
まで踏み込んだ図になっていた。久しぶりに
『築城記』を読み縄張りよりも更に繊細な
城普請の事を記録したものに「縄打ち」と
言う言葉がある事を指摘される長谷川先生に
改めて驚きます。
長谷川
何がでしょうか?私は平凡素朴な人間です。
対話者
私は人間観察する時も、その人を深読みし
て過大に評価する事は避けています。でも
「長谷川博美 あいうえお」の記事を読ん
でいると長谷川先生がコピー型の人間では
なく基礎に基づいたオーソドクッスな研究
家だと思います。長谷川先生が、特殊では
なくて例えば発見や開発するタイプの人間
つまり研究家としての側面を強く感じます。
研究しているから、こそ発見できる。研究
しているから計測し図面にする。その事は
大衆や世間の皆様は気が付いてないと思い
ます。長谷川先生の重みに、みんな、気付
いていない。例えばバラの字があります。
バラと書けばそれで事たります。しかし
「薔薇」の文字を書きたがらない人は世の
中に多い、バラを薔薇の漢字に挑戦したい
人も少ない。それと同じように
お城の記事に飛付く人は世の中に多いでも
城郭遺跡を見る人は世の中に少ないのです。
長谷川
過分な賞賛は誤解を招き困ります。確かに
首里城が火災に遭遇されて、深く謹んで御
見舞いを申上げます。
厳密に言うと世界文化遺産に認定されたのは
首里城跡、つまり遺跡であり復元された建物
ではない。
この様に時に観光と遺跡の評価の学術の違い
が人間が営む現代社会においてもその価値観
の断面を見る思いを痛感いたします。
長谷川
私は平凡で素朴な普通の人なんです。
対話者
いいや違う!新聞記者にしても普通は定番
の記事を書く人が多い、当たり障りのない
内容です。しかし多賀明智光秀伝説や多賀
の木炭墓の記事や多賀で長谷川先生が偶然
発見された平安貴族の墓に埋納されたいた
八稜鏡なんかでもいち早く記事にしている
辣腕記者もおられます。歴史に精通してる
からこそ書ける、技量、度量、深さを持つ
記者が長谷川先生を見逃す事はないのです。
長谷川
世の内には優秀な歴史新聞記者がおられる。
対話者
菅原道真と言えば右大臣、後に九州大宰府
に左遷して一生を終えます。漢文に精通し
外交官的総理大臣、この大宰府からも木炭
墓が発見され八稜鏡も出土してます。さて
多賀と言えば遣唐使通訳、犬上御田鋤これ
「いぬがみのみたすき」の本貫地とも言わ
れています。中国の墓の伝統としては墓碑
や地売責権とよばれる鉄板製の板碑を使い
ますが、まさか滋賀県犬上郡に木炭墓が
発見され平安の八稜鏡を長谷川先生が遺跡
外の場所から八稜鏡を発見された事に驚く?
こんな事一般の人はともかく並の研究家に
は出来ない不可能な事なんですよ。それは
100m先の針の夢穴に糸を通す事に近い事
です。様々な歴史の事象をも知られて、
なおかつ偶然表面で採取されたものが平安
時代の八稜鏡だった事が驚きです。しかも
長谷川先生は取得場所を詳細に書き入れて
警察に赴かれ取得物として正式に提出され
やがて、これが、多賀町で保管される事に
なった経緯が真にすごいと思います。
もしかすると
賎ケ岳城塞群も多賀明智伝説など
もそしてこの八稜鏡や多賀の地売責権鉄板
なども歴史の霧の中に消えていたかもしれ
ません?そういう意味では長谷川先生の
ブログ記事に良いねを一名様が入れて
おられたり数名様が時に城郭の記事に
言いねを入れる人とは
本当に歴史洞察力が深い人であり、長谷川
フアンと言う軽い解釈ではなく、深い意味
を含んでいると思います。全国の皆様から
コメントの投稿が増える事を私は願います。
長谷川
励ましの言葉を賜り感謝御礼を申上げます。
木炭墓の歴史講座は2013.9.15にありました。
多賀博物館で木炭墓の講座。講師丸山竜平先生。
世話人は、彦根犬上郡、屈指の人傑
もと滋賀民俗学会会員、多賀町議会議員
の、歴史経済有識者、田畑喜久弘様です。
長谷川
また優れた新聞記事としては
平安の木炭墓群、有力者を埋葬?
滋賀・多賀で講演会(朝日新聞2013.9.18)
です。
写真:発見された平安時代の和鏡「八稜鏡」
の断片=長谷川博美さん提供拡大発見された
平安時代の和鏡「八稜鏡」の断片
=写真は長谷川博美さん提供
■有力者一族の墓所か
埋葬した木棺の周囲が木炭で覆われた
「木炭墓」とみられる平安時代後期
(11世紀頃)の墳墓跡が多賀町富之尾の
大谷遺跡から11基まとまってみつかり、
町立文化財センターが発表した。墓地の
取得や被葬者などについて記した「墓誌」
や「買地券」とみられる鉄製の板も4点
出土し、同センターは「この地方を支配
した有力者一族の墓所だった」とみている。