高まる明智光秀と彦根藩木俣土佐守の関係! 滋賀多賀明智伝説の城!
令和2年7月4日 大望の無料講演会迫る!
対談者
6月27日の敏満寺城見学会最高でした。
長谷川
何故ですか?
対談者
だって明智は文献『兼巳卿記』で
天守と小天守を建築した事記録さ
れている。私は犬上敏満寺城の
大櫓「天守」小櫓「小天守」も
見学する事が出来てワクワク興奮!
長谷川
驚かないで下さい!明智光秀の小納戸役
つまり重要機密文書を担当していた木俣
守勝が犬上郡明智光秀伝説つまり犬上郡
彦根藩を実質管理していた人物であると
言う事です。つまり木俣は家康から明智
に派遣された諜係つまり派遣隠密調査員
であった可能性があります。明智光秀は
徳川家康安土饗応役も信長から命じれた。
長谷川
徳川と明智や斉藤利三の娘、春日の局の
相関関係、徳川政権が明智光秀を抹殺し
ようとした意図は稀薄なんです。明智
の犬上郡佐目伝説は徳川親藩の膳所藩
や彦根藩の地誌類にも収録されてます。
対談者
明智の坂本城の2天守が大変面白い。
明智は藤堂高虎などと同じ犬上郡の
出身とすると甲良豊後守などと絡め
て非常に犬上郡佐目と言う土地には
感心が湧きます。
長谷川
そうですね。十兵衛が足利義輝の元
朽木館に行くにも、高島郡の田中城
で籠城するにも尾張や美濃へと出向
くには多賀は利便の土地です十兵衛
が京都に行くにも、若狭に行くにも
越前に行くにも、とにかく多賀町は
十兵衛の行動範囲コンパスポイント
つまり地理的中心軸と言えます。
足利義昭が一時駐留した甲賀の和田
屋敷「公方屋敷」や近江屋島御所へ
多賀の十兵衛光秀で伺候するには真
に地の利を得た場所が近江多賀と言
ようかと思います。
対談者
多賀町佐目の山城は東海地方の城の特徴
を備えている事も長谷川先生の指摘には
驚かされます。つまり近江より東国様式
長谷川
彦根藩の旧明智光秀家臣の木俣土佐守なども
彦根城山崎郭三重櫓、西之丸の三重櫓つまり
2天守を持っ徳川家康から井伊氏の目付とし
て配属された破格の大名級で、徳川から派遣
された徳川の重要社員「隠密/情報管理職」と
とらえる事が出来ます。とにかく彦根西の丸
三重櫓や土佐郭の他の大名の天守閣にも匹敵
する破格豪壮な天守級の楼閣建築と言えます。
対談者
おもしろいですね!長谷川先生が興に乗られた
時の智識の連続射撃と言うのでしょうか総合的
歴史解説、別角度から歴史を見る格別の力量は
NHK名古屋文化センターの『信長公記』解説で
発揮されましたし大変なロングラン講座でした。
▼彦根城の前身「佐和山城」なども2天守様式
▼滋賀県多賀町 城郭見学令和2年6月29日中日新聞
▼長谷川博美過去歴史講演
▼明智光秀伝説の城 見学会過去写真
▼多賀町佐目の城を解説する長谷川博美過去写真
▼長谷川博美過去新聞掲載 朝日新聞
▼長谷川博美朝日新聞過去記事
★多賀みておき隊 講演★
催事名称
| 多賀みておき隊 結の森 歴史民俗学講演
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主催団体
| 多賀みておき隊
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参加費
| 無料
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主催者
| 田畑喜久弘 /元滋賀民俗学会会員/元脇ヶ畑城郭探検隊長/元関西城郭研究会会員 連絡先携帯☎ 090-6205-0237
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講師
| 長谷川博美/元滋賀県中世城郭分布調査現地調査員/元滋賀民俗学会理事/歴史城郭研究家
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開催日
| 2020年7月4日土曜
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集合場所
| 多賀町中央公民館 多賀結いの森 滋賀県犬上郡多賀町大字久徳160番地2名神高速道路彦根IC左折→国道307号久徳南交差点を左折(ICから車で約7分) 名神高速道路湖東三山スマートIC右折→国道307号久徳南交差点を右折(スマートICから車で約12分) |
集合時間
| ★御前1時前には集合受付を終了させて下さい。 会場は広く、ソーシャル、デスタンスを取られる準備あり。 講演予定 午後1時~2時 無料駐車場完備 場所大会議室
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講演内容
| ① 結の民俗学的考察 ② 明智光秀伝説 多賀町佐目の城の構造的解説 ③ 彦根藩木俣土佐守と明智十兵兵衛の密接な関係 |
★ 講演後 多賀町久徳城跡無料有志見学会の予定あり
▼歴史書『信長公記』にも登場する久徳左近尉ゆかりの久徳城址
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