見逃すな!滋賀最北部の眠っている歴史観光資源!
対談者
私は賤ケ岳も余呉湖も一回行ったのでもう充分です。
長谷川
それは観光客様の発想ですね?一度名所に行けばOK。
対談者
観光とは一回一発で全て終わってしまう打ち上げ花火。
対談者
滋賀最北部とは僻地とされ一般に町興しの材料が無い!
長谷川
困りますよ!歴史観光資源の黄金郷!余呉庄の誤認識!
余呉が城郭遺跡の黄金郷だと言う認識を全国発信する!
対談者
2020/6/20の柴田勝家の玄蕃尾城見学会非常に興味深い!
問い合わせはウッデイパル余呉さまに御願いを致します。
長谷川
この城は60%が滋賀の地籍40%が福井県の地籍ですね。
歴史名称は内中尾山城なんです。滋賀県民は安土城跡
小谷城跡を見て、この玄蕃尾城を見ないで死んで行く
事は滋賀の北部の歴史「知らなんだ事になります」ね!
大津市の宇佐山城の6倍もある超弩級本格戦国城郭遺跡!
対談者
賤ケ岳合戦の事なのですが『余呉庄合戦』と呼ばれ違和感がある。
長谷川
とんでもない誤解ですよ!プロパガンダと言う言葉御存じですか?
政治や民衆心理統制を前提として宣伝PRする文言や宣伝の事で!
本来は近江国余呉庄で展開された合戦ですから正式合戦名称とは
『余呉の庄の合戦』が当然普通なんです。しかし織田政権を実質
的継承して天下人として羽柴秀吉の事績を日本国全体に波及する
為にまた織田軍団の人々にとり小豆坂七本槍の武功を継承する者
の為政者秀吉が賤ケ岳7本槍の大勝利作戦として日本全国に宣伝
する為、小豆坂七本槍から賤ケ岳7本槍を創作したプロパカンダ
戦略と言えます。実際の戦闘も、賤ケ岳、飯之浦、権現坂、文室
山、集福寺越えまで1583年の4月21日の午前中はこの山峰で山岳
戦が展開されています。田畑理事が文室山の堀切を見学されたの
は当然の合戦の至極当然の現実の事で合戦の動かぬ証拠現場です。
田畑理事さりとては人です。人が見ない真実を見ようとする慧眼。
対談者
でも賤ケ岳の合戦と一般に言いますよ!?
長谷川
もう少し冷静に歴史を見ましょう!勝てば官軍錦の御旗
です。一発で社会に日本歴史の中に記憶に残る合戦名に
計画し命名したのは秀吉その人です。また秀吉は合戦前
にも文室山に敵情視察に現地来にてい資料は残ってます。
『余呉の庄合戦』大勝利よりも賤ケ岳7本槍のキャツチ
コピーつまり大衆宣伝戦略が見え見えの合戦名称です。
人間は最初に教えられた文言を永久記憶概念とします。
人間の大脳記憶性質も充分に知って歴史を見る事です。
長谷川
観光では賤ケ岳に登るのが宜しいでしょう。しかし合戦
の為に作られた数多くの砦は膨大な数量に登り一日では
見学出来ません主要な砦を有名な砦メジヤーな砦として
見学していたのでは長浜市最北の町の余呉は過疎林間の
僻地として歴史の表舞台には、登場できなくなりますよ。
これら数多くの砦が日本全国の皆々様に認知是非余呉庄
の戦跡を見たいと思う人が多数誕生したら長浜市北部の
歴史観光は日本全国の戦場遺跡に一歩も引けを取らない
堂々たる歴史名跡であると言う事なんですよ。一見さん
賤ケ岳参りの観光終りの人にリピーターは望めません!
余呉がそんな底が浅いものではない城郭黄金郷なのです。
対談者
でも余呉は何も無い!
長谷川
福井県を見て下さい。越前一乗谷城の発掘を始め
玄蕃尾城の管理など福井県は逸早く歴史観光資源
に着目して何万人もの人を越前一乗谷に引付また
越前海岸や温泉地帯と連携して歴史文化作業をば
観光の本質を「本物の遺跡に位置づけ」観光資源
としている事を滋賀県民は学ばなければならない。
滋賀には日本最大の石垣城郭観音寺城や安土城跡
が燦然と輝く本物の歴史観光資源の宝庫なのです。
長谷川
ですから余呉には何にも無いと言う言動は根本的に
歴史観光資源に私は全く疎く無知と言うのに等しい。
宝石のジュエリーの如く砦や城が数珠つなぎなのに?
▼大谷山砦
▼栃谷山砦
▼北国軍の城郭遺跡はネックレス数珠の様に多数存在する。
▼しかし山歩き趣味の人はA、B、C、Dの通路しか知らない。
全国の城郭フアン
私達全国から余呉に来て長谷川先生のレクチャーを
受けている人は、有名な名所には興味無いんですよ!
対談者
そりやそうよね!ぶどうを食べるのに、ABCDの
ブドウの茎だけ食べたくないんです。私はたわわに
実るブドウの一粒一粒を全部味わいたい何もブドウ
の茎を求めて余呉に来ている訳でない。合戦現場に
行きたいんですよ。長谷川先生と観光ガイドさんで
は城址見学の意味が全く異なるんです。私達観光客
じやないし!賤ケ岳行って景色だけ見る人でも無い!
長谷川
おっしやる事はよくわかります。しかし世間とは
社会とは観光と歴史が全く混沌と混ざり合ってる
登山なら登山リダーを頼めばよい事。遠足ならは゛
遠足案内人を頼めば良い事で私など人気ゼロの人
社会から世間から見捨てられた人間ですからね?
ブログ読者も実質はゼロ!人気も知名度も仕事も
全く無いのが現実と言えます。もし私に、特技が
あるとしたら遺跡の現実を初心に戻って見る事!
対談者
違うと思います。もし長谷川先生自ら玄蕃尾城
見学を計画されたら打谷砦、水手砦、玄蕃尾城
と当時の戦国の現場感覚で案内されると思いま
す。戦国の現実の配陣を知っている長谷川先生
と現場感覚には私達素人には全く理解出来ない。
私は本物の遺跡と本物の城郭解説の先生を望む。
▼打谷砦
長谷川
古戦場を知れば知る程その合戦の大乱の現実や
実態が見えてきて軽々に合戦を語る事は出来は
しません。実際にそこに砦がありそれを認識す
る事は歴史の事故現場の事故証明や現場検証と
いう重いものなのでしよう?城址見学会も綿密
な下見や現地測量や田畑理事の影の力の強力や
諸々の皆様の強力と総意が実り成り立ってます。