三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

東日本大震災から2年

2013年02月12日 13時50分28秒 | 事件
「東日本大震災から2年」
 毎日新聞朝刊の2面に「時代の風」というコラムがある。毎日新聞の人ではなく外部の人の寄稿によるものであるようだ。2月10日付のこの欄に、西水美恵子氏という方がこのタイトルで寄稿している。その一部を紹介させていただく。
 2011年3月11日、氏は外国にいたようである。日本に出張で来ていた部下(女性)から電話がかかった。その内容と氏の感想は、

「今、帝国ホテルに向かって歩いている・・・ミエコの同胞は素晴らしい・・・強い余震が来る中で・・・誰もかれもが落ち着き払って・・・まわりの人を思いやって・・・助け合っている・・・こんな民族が住む国がこの世にあったなんて・・・信じられない・・・ミエコの国はすごい・・・」
格差が社会の不安呼ぶ発展途上国はもとより、米国のような先進国でさえ、自然災害の後には必ずと言っていいほど略奪や暴動などの人災が突発する。彼女は、その恐ろしさを身をもって知っていた。だからこそ、わが同胞の行動に深い感銘を受け、魂が揺さぶられたのだろう。深夜の電話からしばらく、ワシントンに戻った彼女から「これが世銀やIMF(国際通貨基金)はもとより世界中を駆け回っている」と、一通のメールが転送されてきた。
「10things to learn from Japan(日本から学ぶ10のこと)」と題したそのメールに、こうあった。
1 The Calm(平静)悲痛に胸を打つ姿や、悲嘆に取り乱す姿など見当たらない。悲しみそのものが気高い。
2 The Dignity(威厳)水や食料を得るためにあるのは秩序正しい行列のみ。乱暴な言葉や、無作法な動作などひとつとてない。
3 The Ability(能力)例えば驚くべき建築家たち。ビルは揺れたが崩れなかった。
4 The Grace(品格)人々は、皆が何かを買えるようにと、自分に必要なものだけを買った。
5 The Order(秩序)店舗では、略奪が起こらない。路上では、追い越し車も警笛を鳴らす車もない。思慮分別のみがある。
6 The Sacrifice(犠牲)50人の作業員が、原子炉に海水をかけるためにとどまった。彼らに報いることなどできようか?
7 The Tenderness(優しさ)レストランは値を下げる。無警備のATM(現金自動受払機)はそのまま。強者は弱者を介助する。
8 The Training(訓練)老人も子供も、すべての人が何をすべきか知っていた。そして、すべきことをした
9 The Media(報道)崇高な節度を持つ速報。愚かな記者やキャスターなどいない。平静なルポのみがある。
10 The Conscience(良心)停電になった時、レジに並んでいた人々は、品物を棚に戻し、静かに店を出た。
真のインスピレーションを感じる。日いずる国で起こっていることに。(著者和訳・西水氏)


西水美恵子氏は元世界銀行副総裁だそうである。すごいキャリアなのだ。
これほどの内容のものが世界中を飛び回っているとなると、半端な気持ちでは生きていられなくなる。我々日本人一人ひとりのことをこう言っているのだ。日本政府のことではない。
結局一番お粗末だったのは、政治家や高級官僚だったということか。政党を立ち上げるにしても政党助成金を目当てに数をそろえるとか、復興のための財源をかすめ取って他に流用しようとしたり、いまだに責任をとろうとしない恥知らずの経営陣、御用学者などのことも世界中に知らしめねばなるまい。
(青字の部分引用)

「…男気あふれたいばら道」 時津風親方断髪式

2008年10月07日 10時02分45秒 | 事件
元幕内力士時津海、現時津風親方の断髪式が5日行われた。
力士暴行死事件で先代親方は逮捕起訴されている。そのため師匠不在の断髪式となった。

そして年寄り襲名。
年寄襲名を祝う相撲甚句
「これから三役というときに/突然起こった大変事/十字架背負って引退も/
やむなし涙の決断は/男気あふれたいばら道」
と、なるほどよくできている。
しかし能天気なものである。

殺された力士の父親のコメント

「自分たちで『いばら道』を作ったのに、英雄を気取っているという印象を受けた。『男気あふれる』というなら、きちんと誠意をみせてほしい」と語った。〔毎日新聞」10月6日付け)とある。




宮崎勤の死刑執行について

2008年06月20日 17時17分56秒 | 事件
17日、死刑囚宮崎勤の死刑を執行したと法務省は発表した。「こんなやつさっさと殺してしまえ」とつい叫びたくなるような事件が多い。
無惨な残虐な幼児殺害は憎みてもあまりある。おおかたの世論は執行されてよかったということである。
現鳩山法務大臣になって13人が執行されたという。それを世論は支持する。
世の中全体が死刑執行ということについてハードルが低くなっているような気がする。
あいつは悪い。こんな残虐な人殺しをやった、殺されてあたり前だ。だから殺せ。
そして政府権力が殺人を犯す。権力側は、国民がそれを支持したという。
命の重みを軽く見る今日の状況がこうした犯罪を生むということもありうると思う。
殺人という刑罰をつくったのは政治権力だろう。
そしてその政治は国民によって選択されたという言い訳を権力側は使うことができる。
そのしくみの恐ろしさを忘れてはいけない。
最終判断を下す法務大臣が歴代どんな人物がであったか。それも思い出す必要もある。

一方、権力側の犯罪はいかにも刑が安過ぎはしないか。
社保庁の乱脈極まる税金の使い方を見るまでもなく、政治的、経済的力の強いものによる将来どれほどの人的被害をもたらすか計り知れない危険性をふくむ大型公共工事における手抜き、人類の生存にも関わる公害、政治的判断による国際紛争への関わりこれらはどんな過ちを犯そうと日本で絞首刑になることはない。

宮崎勤の死刑執行はやむを得ない、。
が、もっと巨大な悪もある。



日本に生きる

2008年03月13日 13時41分52秒 | 事件
85歳の夫と80歳の妻、子供は50年前に亡くしていない。
妻は認知症で夫が6年間にわたって妻を介護してきた。
昨年夫は大腸がんの疑いがあると診断された。
夫は「自分の命は長くない。自分が死んだ後、妻の面倒は誰が見るのか」と考え、昨年11月妻に精神安定剤を飲ませて寝かせた後、絞殺した。
夫は逮捕され、その後がんの摘出手術を受けた。経過は順調だという。
そして昨日の判決。裁判長は懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。温情判決と言えるかも知れない。

【 裁判長は、判決言い渡しの後、
「もう少し現代医学を信じ、周りの親族や社会福祉を信じてくれれば、こんなことにならなかった。手術で命拾いをしたのですから、可能な限り冥福を祈って生き続けてほしい」
と諭した。(3月13日付『毎日新聞』) 】とある。

本当に信じていいのか。現代医学はなるほどめざましい発展を遂げている。しかし、今日の社会福祉、高齢者に対する医療制度、幸せに生きる制度、の政策は、社会全体の思想として、裁判長のいうように信じていいのか。
信じられないからこそ、被告は絶望の淵で妻を殺すという最悪の手段を選んだのではないか。
しかも、やりきれないのは、被告は逮捕されて後にがんの摘出手術を受けていることである。
妻を介護しつつ、自分はがんの手術を受けることなど発想できるはずがない。
我々は日本に生きているのだ。



ロス疑惑 三浦和義氏の逮捕について

2008年02月25日 13時48分04秒 | 事件
昨日の一面トップは三浦和義という人物の逮捕であった。アメリカの警察に捕まったという。
これほど胡散臭い人物も少ないし、大嫌いだけれど、マスコミの扱いはこれでいいんだろうか。
日本では最高裁までいって殺人については無罪が確定した。
ある新聞は、元被告、別のところでは元容疑者、あるいは容疑者。
無罪が確定すれば普通の日本人ではないのか。
それをアメリカの警察がもう一度捕まえた。
途端に、元とはいうが容疑者、被告という呼び方が生き返った。
アメリカがなんといおうと、日本の憲法下(第39条その他)ではすでに罪人呼ばわりされる筋合いはない。
もちろん日本では一事不再理が原則であるし、時効はとうに過ぎている。
ただアメリカでは殺人には時効はないというから何事があってもおかしくはない。
ここで必要なのは政府の、国民を守ろうとする毅然たる態度である。
下らないマスコミの好き放題の国民世論の誘導を黙ってみていてはいけない。
我々は日本人として日本の法律で守られるし、日本の法律で裁かれる。
同じ事件を別の論拠によって、外国の政府の機関が日本人を裁こうとする時、日本の政府はそれを黙ってみていていいんだろうか。
「我が国の法律では、最高裁で無罪が確定したんだけど、お宅の国の法律ではまだ怪しいっていうんなら好きなようにしてよ」って言われたら国民としては立つ瀬がない。
おまけに今の法務大臣、馬鹿で無能でどうしようもない。
いろんな場面で日本政府は、国民を守る立場に立ちきるということが弱い。
そのことが不気味である。大変怖いし、不安になってくる。


「吉兆」さんよ おたくまで

2007年11月09日 20時24分07秒 | 事件

  「吉兆」さんよ
 
「 わが一生の大切な一食
 何度も申しあげていることですが、日本料理と限らず、世界中どこの料理でも、人の食べるものというのは、作ってから食べるまでの距離が近いほど、値打ちがあるのです。
 うちでも、時々急いで出かけるとき、たとえばあなごがあったら、五つ六つ、にぎってもらうことがあります。
 それがふしぎなことに、そのにぎったのをお皿へ盛って、番茶をそえて持ってきてくれるのと、こちらから板場へ出ていって、目の前でにぎってくれるのとでは、どういうわけか味がちがう、にぎり立てのほうが気分もいいし、おいしいのです。
 時間でいったら二、三分も違いません、距離でいえば二間ほど、三メートルか四メートルでしょうか、それだけのことですが、食べてみるとあざやかに違うのです。そのへんが微妙で、鮮度のちがいといったって、それだけでは説明がつきません。これはやはり食べる人の神経でしょうね。
 天ぷら屋さんも、揚げたのをすぐ食べてもらうようにしています。うなぎ屋さんも、忙しい店は〈しらいれ〉といってさきに焼いておいて、お客さんが来られたら、むして、焼き色をつけて出しますが、これとお客さんの顔を見てからさいて、焼いて、むして、焼き色を付けて出すのとでは、かなりちがいますね。
うなぎなんか、時間がたつほど厚みがちがってきます。
 朝、吸い物のだしを百人前つくって、ちゃんと味の加減をしておく、お客さまが見えたとき、それを人数分だけぬくめて出せるといいのに、あんたのようにいちいちそのたびにかつおぶしを削って、なんてことをしていたら、いまどきあわないね、とあきれたようにいわれたお客さまがありましたが、そんなことしたらお客さまが来てくださらなくなります。
 私のほうでは、三人前なら三人前、お客さまの顔がそろってから昆布だしをとって、かつをぶしを入れて三人分のだしを作っています。これでないとどうしてもお椀の味がちがうんです。」

 これは、「吉兆」創業者にして日本で第一級といわれた料理人湯木貞一氏の『吉兆味ばなし』(暮らしの手帖社刊、 昭和五十七年発行、花森安治氏が湯木氏の話を聞き書き、編集・企画したもの)のなかの一節。

 湯木貞一さん、亡くなられてからもう何年になるかな。お気の毒と言うほかない。
 
 「吉兆」などという料理屋さん、私には一生縁はないが。

 ところで花森安治さんって知らない人多いんだろうけど面倒なので説明はしません。検索して下さい。