三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

名護市民の皆様ありがとう

2014年01月20日 01時30分54秒 | 平和
 
 名護市民の皆様ありがとう。応援に行けなかったのですが、ほんとにありがとう。まだまだこれからも闘いは続くと思いますが、とりあえず皆様の頑張りに敬意を表し、お礼を申し上げます。
座り込みに行きます。沖縄だけの問題ではありません。日本国民の体の一部です。辺野古座り込み隊を募集してゆきませんか。
今二人います。








映画「少年H」

2013年10月05日 09時40分39秒 | 平和

映画「少年H]を観た。
今までの日本の映画で、これほど米軍機の空襲をリアルに描いたものはなかったように思う。和歌山空襲1945年7月9日は、私は6歳、記憶は確かなものとは言えないかも知れないが、爆弾が途中でいくつにもわかれ降ってくる、屋根や地面に落ちると黒煙を上げて燃えだす。やがて一面火の海となる。全くあの通りであったように思う。子爆弾の中は油で満たされていた。日本では油の一滴は血の一滴といった時代、米軍は日本中の街を油で焼いた。非戦闘員を殺すためであった。それの発展型が朝鮮戦争でのナパーム弾か。ベトナムではパイナップル爆弾、これも子爆弾が破裂すると無数の鉄片が水平に飛び散るというもの。そして現在はクラスター爆弾。これらはすべて非戦闘員を殺す道具である。アメリカはこうしてひたすら、戦いに参加できない人間を殺す兵器を開発してきた。原爆は別格か。この映画を見てあらためてそのことを思った。戦争は人を殺すことを目的として行われる。

平和を

2013年08月15日 15時18分28秒 | 平和

   
夏の海水兵ひとり紛失す

戦争が廊下の奥に立ってゐた
      

応召の言葉少なくなりゆける

  3句とも渡辺白泉という俳人の作。
  戦時下俳句という武器をもって戦った。
  発売禁止、弾圧、投獄。
  戦争の残酷さ、恐怖、戦慄をつたえている。

わたしの7月9日

2013年07月09日 22時43分22秒 | 平和

1945年7月9日深夜から、7月 10日未明、和歌山市は米軍爆撃機B29による爆撃を受けた。
私は、5歳と10カ月、和歌山市吉田160番地に住んでいた。
まわりはすべて紅蓮の炎、その中をともかく東へ東へと逃げた。防空頭巾はひもがちぎれたか頭は剥き出しであった。
道端の座布団のようなものをかぶって逃げた。和歌山市の東、田んぼの中の親戚の家にたどりついた。
死者千数百名というがわからない。
しばらく親戚にやっかいになり、紀ノ川の上流、現かつらぎ町のあたりに住み着いた。
以後60数年間を紀ノ川沿いの人間として生き延びた。
飢餓、貧乏、いじめあらゆることを経験した。もう忘れよう。
ここまで生きさせてくれてありがとう。
今を生きるこどもたち、これから生まれるこどもたち、戦争とは無縁の日本でありますように。
そのために今度の参院選は傍観できないのだ。





幸せになるための原点 憲法

2013年06月27日 15時46分33秒 | 平和
   幸せになるための原点   ジャーナリスト 堤未果さん
この国はどこへ行こうとしているのか 憲法よ
日本で今一番いい仕事をしていると私が思っているジャーナリスト堤未果氏が、毎日新聞(6月25日付夕刊)の特集ワイドでインタビューに答えている。
以下一部だけ引用させていただく。記者は内野雅一氏。

「家族そろってご飯を食べることです」この言葉を堤未果さんは忘れることができない。
東日本大震災の1カ月前東京都内の出身校で6年生を対象に憲法を考える特別授業をしたときのこと。「憲法は国民を幸せにするためにある、そこで、みんなの幸せとは何かを一緒に考えました」。子供たちは近くの商店街に走り、大人たちから意見を聞き、自分たちの「幸せ」をグループごとにまとめて発表した。その一つが「家族そろってご飯を・・・・」だった。
別のグループは「思ったことを自由にいえること」と結論した。「いじめられる子がいないこと」「ひとりぼっちの人がいない」「命を大事にする」子供たちが求める幸せが、こんなにもシンプルであることに驚いた。そして気づいた。「日本人の多くは、憲法が何のためにあるかを考えなくなっている。いつの間にか単に紙に書いてあるものとしてしまった。シンプルな幸せすら実現できない社会になり下がったのは、憲法を粗末にしてきたことと無縁でないのではないか。震災後『絆』の言葉に多くの日本人が心を揺さぶられたのは、人と人のぬくもりの希薄化を示している。子供たちは既にそのことを感じていたのだ」。 (以下略)


思うことは、先日の沖縄での「沖縄全戦没者追悼式」で与那国島の小学1年の安里有生君が読みあげた詩が同じ願いを訴えていることだ。
安里君は最後にこう言っている。
「これからも、ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」
おそらく東京の子供たちもそう思っているに違いない。

堤未果氏著作 (私が読んだもの)「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」(新潮文庫
                 「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書)
                 「ルポ貧困大国アメリカⅡ」(岩波新書)

ひなまつり

2013年03月04日 07時57分40秒 | 平和
 昨日はひな祭り。
 我が家のひな祭りは、ミニおひな様を飾るのがメインです。
 下の段の真ん中に小さな小さな内裏雛が一対あるのが分かるでしょうか。これが一番小さいものです。
 このケース以外にも十対以上あるのですが、家のあちこちにおいています。
 三月三日の節句は啓蟄を前にして春の予感が本物になってくる明るさを感じさせてくれます。
 五月五日の飾りは鎧やら刀、槍など戦争のにおいです。鯉のぼりは別ですが。
 四月四日はオカマの節句だとカルーセル麻紀さんなどが主張していました。
 なるほどなと思っていましたが、国民的祝日にはまだなっていません。
 いつまでも平和であってほしいと思わせる行事ではないでしょうか。
 

        手のひらにかざって見るや市の雛    一茶







   

8月15日

2012年08月15日 07時27分40秒 | 平和

八月十五日 終戦記念日である。ボツダム宣言を受け入れ、日本の全面降伏となった。
私は5歳と11ヶ月、天皇のラジオ放送を聞いたのか、聞かなかったのかよくわからない、もちろんラジオなどない。
7月9日の和歌山空襲で焼け出され、命からがらであったが家族は全員生き残った。
父は戦地からまだ帰っていなかった。その後の生活が大変であった。よく生き延びてきた。
67年経った。この間、日本は戦争でよその国の人を殺したことはない。殺されたこともない。
憲法第9条の持つ意味を再確認したい。
アメリカの行う無謀な戦争に側面から援助し、間接的な戦争への参加はあった。
これは日米安保条約による強制である。
今日の正午、黙祷だけは捧げよう。


    夏の海 水兵ひとり 紛失す        渡辺白泉

    戦争が廊下の奥に立っていた        渡辺白泉

    浮浪児昼寝すなんでもいいやい知らねえやい 中村草田男
    (浮浪児 今風に言えばホームレス、戦争で家族を失い家を焼かれた子供たち、都会にあふれていた)





トラトラトラ

2010年12月08日 22時32分21秒 | 平和
トラ・トラ・トラ 12月8日という日

1941年12月8日、「トラトラトラ」は、太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃成功を伝えた暗号。意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。ハワイ攻撃隊長・淵田美津雄中佐の搭乗する九七式艦上攻撃機から発信された。
12月8日が太平洋戦争の始まりとされる所以である。日本は当時大東亜戦争と言った。
私たちは1941年12月8日が戦争が始まった日と錯覚しやすいが、実はその10年以上も前から中国に侵略し、アジア全体の平和を踏みにじっていた。

日中戦争といい支那事変などともいう。「1937年7月7日の盧溝橋事件を契機とする日本の全面的な中国侵略戦争。15年戦争の第2段階。日本は38年中に主な都市,鉄道の沿線を攻略したが、中国は重慶に遷都して抗戦、長期戦化し、41年12月に太平洋戦争に発展。シナ事変。日支事変。(広辞苑)」

日本の領土拡張主義は1910年の「韓国併合」台湾の植民地化、さらには1931年に中国への侵略(満州事変)、1937年の日中戦争へと続いてきた結果の1941年12月8日である。
その間、日本の国民は塗炭の苦しみに追いやられてきた。

しかし、中国への侵略をあるいはアジア全域への侵略侵攻を、侵略だと認めたくない人々が今もいる。こういう連中の口車に乗ってはいけない。広辞苑にも明確に侵略戦争と書いている。

中国の尖閣列島、ロシアの「北方領土」への干渉、北朝鮮の狂気に軍事力を強化することで対応するのは間違っている。
国際世論と外交努力をもって、かつての日本がやったような領土拡張主義の誤りを理解させなければならないと思う。

今日は、ジョン・レノンの命日でもある。


8月15日 浮浪児 栄養失調 パンパン

2010年08月15日 22時18分14秒 | 平和
今日は8月15日。
日本が戦争に負けた日である。
ともかく焼夷弾が降ることはなくなった。
しかし、この後大変な生活が待っていた。
もうすぐ6歳になるというころ。
焼け出されて紀ノ川の上流の農家の納屋に住んだ。
思い出したくない記憶だ。無残な日々であった。

何度か住んでいたあたりを見に連れて行かれたことがある。

焼け跡、闇市、栄養失調、浮浪児、パンパン、進駐軍などという言葉が記憶に残っている。

私たちは、生き残った。僥倖というべきか。浮浪児にならずにすんだ。
紅蓮の炎に包まれて逃げまどったことは忘れない。


   浮浪児昼寝す なんでもいいやい しらねえやい   中村草田男



沖縄をかえせ

2010年05月01日 16時21分00秒 | 平和

「未来は私たちの手のなかに」

4月25日、沖縄県民大会が読谷村で開かれた。9万人の人々が集まった。半端ではない。島ぐるみで基地はいらないと意思表示した。
私たちは傍観者であってはいけない。
二人の高校生の言葉が心をうった。
岡本かなさん、志喜屋成海さんが話した。
全てを引用することはできないが、報道された二人の話をもう一度思い出してほしい。胸が熱くなる。

《  岡本かなさん。 「厚さ6センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが私たち普天間高校の日常の光景です。・・・中略・・・軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。訓練が民間地域のすぐ横で行われている日常。基地や訓練がなんのためにあるのか忘れた日常。危険を危険と感じなくなる怖さ。普天間高校で過ごす間にこの状況があまりに日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。生活の中に基地があること、沖縄の中に基地があること。この問題をしかたがないから、と考えるのをやめていないか。私を含めて、いま一度多くの方に考えてほしい、みんながそれぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合ってほしいと思います。私たちが一人ひとりが考えれば何かが変わるーーそう考えて私はここに立っている。」

《  志喜屋成海さん。 「戦後65年の間、沖縄の中には、米軍基地と何らかのかかわりをもちながら、さまざまな気持ちを抱く人がいるのもまた事実です。基地で働き生活の基盤を作っている人、沖縄のさまざまな場所で反対運動をする人たち、辺野古の海岸で座り込みを続けている人たち、日本人だけでなく基地で働く多くの外国の人もいます。全ての人が一生懸命生きているからこそ平和と基地、沖縄はいつも矛盾を抱えています。私には、それぞれの立場の人の考え方を判断するだけの人生経験がありません。でも、かつて、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代から、沖縄の人が平和を愛し、人と人のつながりを何よりも大切にしてきたことだけは分かっています。この精神は今も昔も変わらず、沖縄の人びとの心に刻み込まれているのです。私たちには、お互いに手をとり、平和を築ける力を持っている、と私は思います。だから、ただ現状に流されて「しかたがない」と受け入れることで本当に良いのでしょうか。私は純粋に素直に、この問題をみたうえで、やはり基地は沖縄には必要ないと思うのです。・・・以下略・・・」 》

最後に二人は声をそろえてこう締めくくった。
「未来は私たちの手のなかに」

この若者たちの手から未来を奪ってはならない。

 

 


12月8日という日

2009年12月08日 20時55分16秒 | 平和
12月8日という日

この日、日本軍はアメリカハワイの真珠湾を奇襲し、大被害を与えた。
どう考えても愚かで無謀な戦争をしかけた。
この開戦までの間には中国への侵略などいろいろな要素があるようだが、どういう人たちが何のためにこの戦争を始めたのか正しく学ばねばならない。
今朝の「毎日新聞」に作家の高木敏子氏が12月8日のことを平和への思いをこめて語っている。
開戦日への強い思いについて次のように話す。(一部を引用させていただきます)

「太平洋戦争までには、1929年に世界大恐慌が起こり、31年の満州事変、37年の盧溝橋事件に続いて日中戦争がありました。世界や政治の一連の動きがあるからこそ、日本人だけで310万人もの犠牲者を出した戦争が起きてしまったんです。突然始まって終わったわけではないのです。
犠牲者の中には私の両親や、2人の妹たちも含まれています。母と妹は45年3月10日の東京大空襲で、父は終戦のわずか10日前に機銃掃射で亡くなりました。12歳だった私は、1人で父を弔いました。12月8日という開戦の日があったから私と家族の人生は断ち切られてしまったのです。私だけではありません。戦争によって世界中の人たちの人生が狂ってしまったんです。」

「いつの時代も、国民が知らない間に一握りの人たちが大きな流れを作り出してしまい、私たちはただそれに流されていくだけです。確かにいまの日本は実弾が飛び交うような戦争はしていません。でも『お手伝いの戦争』はしています。自衛隊のイラク派遣や、海上自衛隊がインド洋でやっている給油活動だって私は憲法違反だと思います。よほど国民が知識を持ってしっかりしていないと、『気づいたときには遅かった』ということになりかねません。」
(12月8日『毎日新聞』より)
高木敏子氏は『ガラスのウサギ』などで多くの人々に感動を与えた作家。

そして日本は凄まじい報復を受けた。広島と長崎はその仕上げであった。

いま、日本は、サンゴとジュゴンの美ら海(チュラウミ)を埋め立て、世界で最大の米軍基地を作れと迫られている。自民党政府時代からの約束だと。
これ以上まだ沖縄の人々を犠牲にできるのか。
ごまかすなよ、与党の皆さん。高木敏子氏も「民主党政権には大いに期待しています」と言っている。
米軍には出て行ってもらいましょう。

浮浪児昼寝す

2009年08月11日 09時23分23秒 | 平和
 立秋過ぎて何日か。
 終戦の記念日ももうすぐ。
 多くの人々が死んだ。多くの、多くの、子供を、父母を、兄弟・姉妹を、友人を奪った。大切な人々が死んだ。
 そのころ国民を死へと追いやる立場にあって、今も生き残り、政治の中枢にいるものもいる。

 所詮戦争は、死に追いやる側と死なされる側とにわかれる。殺す側と殺される側に分かれる。
 今の平和憲法を捨てようとする人たちはどちらの側に立っているかだ。

      戦争が廊下の奥に立っていた    渡辺白泉
    
      夏の海 水兵一人紛失す      渡辺白泉

      浮浪児昼寝す「なんでもいいやいしらねえやい」    中村草田男




8月6日という日 

2009年08月06日 08時33分46秒 | 平和
8月6日という日 
      
   人間をかえせ    峠 三吉

ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ



   水ヲ下サイ    原 民喜
 
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ








「月光の夏」を 

2009年07月09日 22時37分48秒 | 平和
昨夜(7月8日)、劇団「東演」の「朗読劇・月光の夏」を観た。
原作は毛利恒之著 汐文社刊「月光の夏」 演出・鈴木完一郎。
太平洋戦争末期昭和二十年初夏、明朝出陣するという音楽を愛する学徒出陣の特攻隊員二人が小学校にかけつけ、
今生の別れにベートーヴェンのソナタ「月光」を弾き沖縄の空に出撃して行く。
一人は戦死、一人は・・・。

これほど公演時間を短く感じたものにかつて出会ったことがあっただろうか。
生のピアノ演奏と、演者は舞台上で芝居を演じるのではなく、内容はすべて原作の語りを朗読によって観客に伝える。
観客はすべての場面をそれぞれの想像力に委ねられる。
黒い衣装の演者もまたその内容を声のみによって伝えるという厳しいものを要求される。
身体の演技はいらない。
神山征二郎監督による映画「月光の夏」も感動的であったが、今回の東演の公演に私は、まいった。

ピアノもよかった。
客席第一列、かぶりつきにいた。
はじめから涙が流れ、最後まで泣いていた。

そして今日は7月9日、和歌山空襲によって和歌山市が灰燼に帰した日。
1945年7月9日を忘れるものか。
紅蓮の炎の中を逃げまどった6歳の夏。
生きのびたけれど辛い戦後であった。

憲法第九条守るべし。



「おちこぼれゼロ法」という名の裏口徴兵制策

2009年05月06日 22時02分45秒 | 平和

 昨日紹介した堤未果氏の著書、岩波新書「ルポ貧困大国アメリカ」のごく一部引用させていただく。

 「おちこぼれゼロ法」という名の裏口徴兵制策
 二〇〇二年春、ブッシュ政権は新しい教育改革法(「おちこぼれゼロ法」No child Left B ehind Act)を打ち出した。
 「アメリカでは高校中退者が年々増えており、学力テストの成績も国際的に遅れを取っている。学力の低下は国力の低下である。よってこれからは国が教育を管理する」 
 どうやって管理するか?
 競争を導入する。
 どんな競争を?
 全国学力テストを義務化する。ただし、学力テストの結果については教師および学校側に責任を問うものとする。よい成績を出した学校にはボーナスが出るが、悪い成績を出した学校はしかるべき処置を受ける。
例えば教師は降格か免職、学校の助成金は削減または全額カットで廃校になる。
 競争システムがサービスの質を上げ、学力の向上が国力につながるという論理だ。
 教育に競争が導入されたことにより教師たちは追いつめられ、結果が出せなかったものは次々に職を追われた。だが、この法律の本当の目的は別のところにあったと言われている。
 「個人情報です」
 そうキッパリ言い切るのはメリーランド州にあるマクドナウ高校の教師、マリー・スタンフォードだ。
 「おちこぼれゼロ法は表向きは教育改革ですが、内容を読むとさりげなくこんな一項があるんです。全米のすべての高校は生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出すること、もし拒否すれば助成金をカットする、とね」
 生徒の個人情報とは、名前、住所、親の年収および職業、市民権の有無そして生徒の携帯番号だ。個人情報漏洩に非常に敏感なアメリカの学校が今までずっと守ってきたその姿勢を崩したものは何だったのか。そのことを聞くとこんな答えが返ってきた。
 「格差ですよ。裕福な生徒が通う高校はもちろん個人情報など出しません。それどころか校内に軍服をきて武器を携帯した兵士が出入りするのさえ『武器持ち込み禁止原則』によって禁じています。ですが貧しい地域の高校、州からの助成金だけで運営しているところは選択肢がないため、やむなく生徒の個人情報を出すことになるんです」・・・・略・・・・
 米軍はこの膨大な高校生のリストをさらにふるいにかけて、なるべく貧しく将来の見通しが暗い生徒たちのリストに作り直す。そして・・・・略・・・・軍のリクルーターたちがリストにある生徒たちの携帯に電話をかけて直接勧誘するしくみだ。
 勧誘条件は大きく分けて五つある。(一)大学の学費を国防総省が負担する、(二)好きな職種を選ぶことができ、入隊中に職業訓練も同時に受けられる(三)信念と違うと感じたときは除隊願いを申請できる「良心的兵役拒否権」の行使が可能、(四)戦地に行きたくない場合は予備役登録が可能、(五)入隊すれば兵士用の医療保険に入れる。

 こういう約束は反故にひとしいことはこのルポをさらに読むと良く分かる。
 1973年に徴兵制は廃止し、志願制に切りかえたが「経済的な徴兵制」として貧しい若者を飲み込んでいく。
 この引用の前半部分を読んで、おや!と思わないだろうか。
 最近の日本の教育政策は全くこれと同じではないか、と。 
 ねらいは同じだ。
 ぜひともこの一冊よんでみてほしい。735円である。

 ターゲットになっているのはあなたか、あなたの子か、あなたの孫か。
 米軍が沖縄に横須賀に、日本の各地に基地をおいているのは断じて日本を守るためではない。イラクでアフガンで自国の主張、世界戦略のために戦争をしている。それでも自国の若者を戦争で死なせたくないとは思うだろう。その肩代わりをする兵士がほしい。そのために日本に改憲を迫る。
  
 あなたは憲法を変えたいか。